第172回 “質”の達成目標が低いと…

  2006年からわたしの居住地となっているフィリピンのことを久しぶり書きます。ほめることにはならないのが残念なのですが、まあ、暮らしの現実の一端はこんなふうだ、という報告もたまにはしておきますね。
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  住まいの近くにあるファストフードのレストランで体験したことです。
  <1> ある日の夕方。持ち帰りの注文を済ませて、二つある出入り口の一つの近くに立って、出来上がりを待つことにしました。ファストフードと呼ばれるくらいですから、普通ならば、5分間もあれば手渡してくれるはずの料理が7、8分間が過ぎても調理場カウンターから出てきません。キャッシャーの一人にレシートを見せて、調べてくれと頼んだのですが、この女性は、もうすぐ上がってくるはずだ、と言うだけで、レシートに印刷されている注文内容をチェックすることさえしませんでした。さらに5、6分間。異なるキャッシャーにレシートを見せました。今度は注文内容に目をやって、調理場に問い合わせてくれたのですが、外から見えた限りでは、わたしの注文はどこにも通っていませんでした。発砲スチロールの箱に詰めた注文品が手渡されたときには、代金を支払ってから、おそらくは、20分間は過ぎていたはずです。
  ファストフードの店のフロアーに突っ立って待つ20分間は長く感じられますよ。
  さて、わたしが特に不快に感じたのは、出来上がりをわたしに手渡した人物が詫びなかったことです。
  ただちに"No apology? I waited standng here for about 20   minutes without any explanation from you. And you didn't     even say, 'Thank you!' Is that right thing to do?"(詫びの言葉はないの?そちらからの説明がないまま、20分間ほども待ったのだよ。しかも、あなたは「ありがとう」とさえ言わなかった。それが正しいやり方なわけ?)と苦情を伝えました。
  その人物が気まずそうな表情で"Sorry."と言いましたのでわたしは"Okay, your apology's accepted."."(そう言ってくれれば、それでいいんです)と告げて店を出ました。
  <2> 数週間後のこと。料理を食べ終わったあとで、めずらしく、デザートも、という思いになり、新たに注文するためにキャッシャー・カウンターに向かいました。二人掛けのテーブルの上には、読みかけの本を、ペイジを開いた状態で伏せておきました。ダイエット・コーラも透明のプラスティックの容器に半分以上を残しておきました。
  注文を終えて元の場所を振り返ると、テーブルはすっかり片づけられていました。その間に経っていた時間は、長くとも、2分間ぐらいだったはずです。
  だれが片づけたかはすぐに判りましたので、その青年にシグナルと視線を送って、まだ終わっていないのだ、と伝えました。青年は、キャッシャーの横辺りからわたしの本を持って来ました。でも、自分の不手際は詫びません。容器に半分は残っていたコーラも弁償する気はないようでした。
  テーブルがそんな状態で“放置”されていたら、「トイレにでも行っているのではないか」と最初に考えるべきではないか、ましてや、ほかに空いたテーブルがいくつもあるのだから、片づける前に、せめて5分間は待つべきではないのか、などと思いましたが、このときは、苦情を店に伝えませんでした。日本人の客はまず見かけない店なので、覚えられて、「なんだかんだと、よく不平を言う外国人だ」などという、見に覚えのない“汚名”を着せられるのは本意ではありませんでしたから。
  <3> 次に訪れたときには、麺類を注文しました。まず、テーブルに運ばれてきた容器に箸を入れ、麺をすくい上げようとしたのですが、麺の一本一本がくっつき合って、玉の形で固まっています。冷蔵庫から取り出した麺をそのまま容器に入れてスープをかけた違いない、と直感しました。
  案の定、麺をほぐしてスープをすすってみると…。生ぬるくなったスープの味は本来のものとは程遠くなっていました。
  冷蔵庫から出した麺には湯を通してから容器に入れる、ぐらいの店員教育ができない大規模チェーン店!あるいは、そう教えられているのに無視してしまう店員?忘れてしまう店員?
  このときも、だれにも何も言わずに店を出ました。“店員教育”は客の仕事ではないのだ、と自分に言い聞かせながら。
  それにしても…。三回訪れた店で三回連続して店側の不手際に行き当たる確率は日本ではどのぐらいでしょうか?
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  唐突なのですが…。
  香港からの観光客を乗せたバスがハイジャックされるという事件がマニラ市内で起きたときに頭に浮かんだことの一つが、このファストフード・レストランの接客“哲学”のことでした。
  フィリピンで超一流のファストフード・チェインの一フランチャイズであるこの店では、顧客サーヴィスの質について、どう考えているのだろうか?どの辺りに達成・到達目標を置いているのだろうか?
  そもそも、最高のサーヴィスをどう達成するかについて、本部は、フランチャイズに対する指導・教育を行っているのだろうか。行っているとしても、わたしが受けた劣悪なサーヴィスから判断する限りでは、その思い描く“最高”の水準は低すぎるのではないか?
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  レストランに限ったことではありません。フィリピンでは、到達・達成目標が低すぎるのではないかと、多くの分野・状況で感じてしまいます。「まあ、この程度にやっておけばいいか」と思いながらやったに違いないと見える仕事・事例をいたるところで見てしまいます。
  あのバス・ハイジャック事件に対するフィリピン警察の動きを見てもそう感じました。
  警察は、そもそも、何を達成しようと考えていたのか?そうするためには何が準備され、どう実行されなければならないのかを、十分に検討していたのだろうか?
  中国人人質を、国の威信をかけて、絶対に無事に救出するのだ、という達成目標が警察内部にどれぐらい浸透していたのか?
  「まあ、なんとかなるだろう」という思いで始めた救出活動だったとしか思えない結果になってしまいました。
  外国人であるわたしが言うのは変ですが“国辱”に値する大失態でした。
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  常日ごろから達成目標とその質を高くしておかないと、そこに行き着くための方法・手段の検討も真剣で十分なものになりません。正しい方法・手段を学ぶ機会が与えられません。悪い状態が永遠につづくことになってしまいます。
  わたしのフィリピン人の友人や知人たちの多くは陽気で、好人物で、優しい性格なのですが、たしかに、事が「何かを達成する」ということになると…。
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  何でも話をする、年若い、まだ19歳の、友人がいます。彼にはこう言っています。
  「僕がフィリピンとフィリピン人のことをこういうふうに批判したりするのは、この国とこの国人たちを好きだからだ」「もともと持っている能力に見合う、もっといい暮らしを皆にしてほしいからだ」
  国と政府は一日、いや一刻も早く、手を打つべきです。世界に知れ渡っている汚職文化を払拭して、あらゆることについて、“質”に関する国民教育を開始するべきです。“質”を向上させるとはどういうことか、向上させるにはどうすればいいかを、国を挙げて考え始めるべきです。
  ファストフードの店で、注文を調理場に通しそこなって客を20分間も待たせたのに、「詫びないのか」と客に言われるまで、どんな不都合なことを自分たちが客にしたのかに思い至らない国民ばかり、というのは、それがどの国の話であれ、やはり、おかしいのです。
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  警察の不手際を厳しく指摘=バス乗っ取り事件で報告書−比
 【マニラ時事】今年8月、フィリピンの首都マニラでバスが乗っ取られ、香港の観光客8人が死亡した事件で、フィリピン政府調査委員会は21日までに、人質救出に失敗した原因に関する報告書の一部を公表した。報告書はアキノ大統領の指示があったにもかかわらず、警察特殊部隊の投入をためらった警察幹部の不手際などを厳しく指摘した。
 報告書は、(1)元警察官の犯人との交渉を経験の浅い警察官に任せた(2)交渉に犯人の実弟を参加させたが、結局「交渉の妨げになる」として、実弟を拘束・移送し、犯人を逆上させた(3)装備・訓練不足の部隊が救出作戦に投入された−などの警察の不適切な対応を挙げた。
 特に実弟の拘束は「人質に対する犯人の発砲を招いた主因である」と断じた。
 このほか、報道関係者の責任として(1)生中継を通じて、警察の配置状況などを犯人に知らせてしまった(2)人質解放交渉の重要な時間帯にラジオ局キャスターらが繰り返し、犯人の携帯電話に電話してインタビューし、警察の捜査を妨害した−と批判。こうした行為を「ジャーナリストの倫理規定を破るものだ」と述べた。(2010/09/21-23:46)