第273回 情報発信伝達能力は…まだまだ

  わたしが住んでいるマカティ市は、全体として、フィリピン随一の商業センターだと位置づけられています。富豪のアヤラ一族が開いたアヤラ・センターがその中心をなしています。
  さて、デパートメント・ストアーのシューマートやルスタン、ランドマーク、大モールのグロリエタ、グリーンベルト、さらにはいくつかの一流ホテル、高級コンドミニアムなどで成り立っているそのアヤラ・センターの一角に、そこに行くたびにわたしが利用してきた「パーク・スクェアー1」という、一階がモール、二階から上が立体駐車場になっている建築物があります。
  マカティ市に移住して以来、アヤラ・センターに行くときは、わたしはいつもこの「パーク・スクェアー1」の駐車場を使っていたわけです。
  一方の一階部分の店舗の中には、レストランやスポーツ用品店などを含めて、多くの業種の店舗があるのですが、「パーク・スクェアー1」を最も特徴づけていたのはコンピューターに関連するさまざまな小売り店でした。
  多くのコンピューター関連の店の一つで、インターネットをワイヤーなしで自分のコンピューターとつなぐためのルーターをわたしが買ったのは昨年の11月の初めごろだったと記憶しています。毎年、1月か2月かに遊びにやってくる兄が必ず自分のラップトップを持ってきますので、わたしの住まいの中で兄とわたしの二人が自由にコンピューターが使えるようにしておこうと思い立ったからでした。
  ところが…。買ったそのワイヤーレス・ルーターが12月の中ごろに早くも故障してしまいました。
  故障はしたのですが、自分だけがコンピューターを使う分にはDSLモデムと直結させていればいいし、ルーターの保証期間は購入後1年間なのだから、次についでがあるときに店に持ち込めばいい、と決め込んで、何も手を打たないでいるうちに、あっという間に、兄たちがやってくる一月中旬になってしまいました。故障したルーターを修理させるか交換させるかするときがやってきたのです。
  アヤラ・センターのデパートなどでショッピングもしたい兄たちを連れて「パーク・スクェアー1」に行ったときのことです。思いもしなかったことに、あの立体駐車場が利用できなくなっていました。というよりは、建築物全体が、鋼鉄板を並べた囲いに覆われ、完全に閉鎖されていたのです。建て直しか大規模な修理が行われることは容易に想像できたのですが、この閉鎖がいつ行われ、いつまでつづくのかなどの説明は鋼鉄板にはまったくありませんでした。
  何という不親切ぶりでしょう。
  いやいや、そんなこと以上にわたしが不服に感じたのは、そもそも、それ以前は少なくとも月に一度か、それよりも頻繁に、この駐車場を利用していたのに、建て直しか修理のためにここが近いうちに閉鎖されるという事前の予告を、どこででも、一度も、見たり聞いたりしたことがなかったということです。思えば、あきれるほどの顧客・利用者軽視ではありませんか。ここが閉鎖されているあいだに使うことができるほかの駐車場の所在個所もまったく紹介されていませんでした。
  もっと重要だったのは、ルーターの保証期間は一年間だと言っていたくせに、あのコンピューター関連用品店からも、店が数か月後には閉店させられ、ほかの場所で営業させられることになるだろう、とは聞かせられてはいなかったことです。
  購入から1、2か月後にはもう故障してしまったルーターに関する苦情は、いったい、どこに持って行けばいいのだ?わたしが買ったときにはこの建築物が閉鎖されることはすでに分かっていただろうに、店は何の予告も警告もわたしにしていなかった!
  待てよ、長い休業を強いるわけにはいかないのだから、「パーク・スクェアー1」の所有者は、入居していた多くの店に仮店舗の場所を提供しているはずだ。それはどこだ?その情報はどこにあるのだ?
  3月になってから一度、この場所を見に出かけました。鋼鉄板には何やら絵が描かれ文字が書かれていましたが、工事がいつまでつづくのか、閉店した店はどこに移ったのかの情報はやはり見当たりませんでした。
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  ところで…。
  4月の3日に、ヴィザを更新するために、マニラの移民局に出かけました。正午になる少し前に自宅の近くまで戻ってくると…。
  上院議員の選挙の時期になっていることは知っていました。その選挙運動中のある日に、自宅のすぐそばの六叉路が閉鎖され、その真ん中に決起集会用のステージが築かれることも(マカティ市に住み始めてから7年ほどが過ぎている)わたしには分かっていました(それにしても、それが伝統であるとはいえ、どこかの校庭や公園、広場ではなくて、交通量が多い六叉路を閉鎖して、そのど真ん中にステージ!六叉路のうちの三本に、プラスティック製の白い椅子をそれぞれ数百も並べて!)。
  分かっていても、理解できなかったのは、決起集会のために何日の、何時から何時まで、この交叉点が通行止めになるという事前の通知・予告が、今回も、なされていなかった(に違いない)ことでした。
  いえ、予告されていなかったとしても、迂回できる道路がすぐに分かるように現場で取り計らわれていたのなら、まだよかったのですが、迂回図はどこにも見当たりませんでしたし、この交叉点からちょっと離れたところで交通整理をしている警官などには、車の流れを良くするために必要な情報が、以前もそうだったように、入っていませんでした。たとえば、どの道を直進あるいは右折すれば、この六叉路を避けて目的地に向かえるのか、などについて、通りがかった自動車の運転者が尋ねても、あっちに行ってみろという以上には答えられないのです。たがいに連絡しあえる通信機を警官たちが持っていないのですから、それも当然です。
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  4月に入ってからまた、アヤラ・センターに行く用事ができました。
  あの鋼鉄板の囲いのところどころに、一階の店がどこで仮営業しているかを示す図面が描いてありました。故障したルーターを持ち込む場所がやっと分かったのです。ほかの多くの店に混じってあの店もそこで仮営業しているかどうかについては、実は、まだ分かってはいなかったのですが…。
  それでも、最後のコンタクト手段となるはずだった、店がくれていた領収書にあった電話番号はすぐには使わずにすみそうでした。
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  フィリピンはいま、経済的に大きく成長しています。マニラ首都圏での高層ビルの建築ラッシュだけを見ても、そのことが分かります。
  ですが、そういう状況にあるフィリピンだからこそ放置してはならない問題があります。情報発信伝達能力の不足です。
  上の二例からも知れるように、利用者や顧客に、特に事前に、どんな情報をどう提供するべきかという発想がすこぶる希薄なのです(第269回「怖い、マニラ首都圏での運転」http://d.hatena.ne.jp/kugen/20130228/1362004680ででも、ことに道路標識の設置に関して、おなじようなことを述べています)。
  情報発信伝達能力を高めることなしに、その社会が成熟することはありえない、と考えています。
  情報発信伝達能力の高低でその社会の民度の高低が分かります。
  とにかく自分がやりたいこと、やる必要があることはやる、もし、やったことにどこからか不満の声が上がれば、上がったところでそれぞれに対処していけばいい、という態度や姿勢を許しつづけていては、民度や成熟度は上がりません。それが上がらなければ、民主主義も経済成長も限界つきでしか達成できません。
  その点で、フィリピンは重要な岐路を迎えています。  
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  日本はどうでしょうか…。
  福島第一原子力発電所であれほど重大な事故を起こした東京電力の情報発信伝達能力はどういうものでした?
  たとえば、憲法選挙制度の改変を議論する政治家たちの情報発信伝達能力を高く評価できますか?  
  「自分に都合がいいものであれば、それでけっこう」という手前勝手な情報を彼らは国民に向かって垂れ流しつづけてはいませんか?国民に分かってもらえるような情報を早めに発信伝達しなければと、彼らは心がけていますか?

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