第320回  「…いて」症候群の蔓延を防がねば

  
  福岡の兄の書庫から借りてきていた本を読んでいたら、興味をそそられる個所に行き当たりました。
  日ごろから、たとえばNHK(日本放送協会)の、「…いて」や「…おり」を多用する文体に違和感を覚えていたわたしとしては、そうですね、なんとなくそれに気づいてしまった、というところです。
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  その個所というのは……
  <幼い少年が泣き叫んでいて、両親が落ち着かせようとしている。ほかの観光客がそのまわりを取り囲み、何人かの警備官が秩序を取り戻そうと奮闘している> (P.59-60 ダン・ブラウン 「ロスト・シンボル」(上) 訳:越前敏弥 角川書店
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  この翻訳文の「…いて」(さらには「…取り囲み」)も、NHKが多用する「…いて」「…おり」文体と同様に、非常に“落ち着きが悪い”あるいは、おそらくは“誤った”使い方になっています。
  本来は、「…いて」のあとには、ここでの場合は、この文の“主語(に当たる語)”「幼い少年」がどうした、どうなった、というようにつながれなければなりません。たとえば「幼い少年が泣き叫んで(いて)、両親を困らせている」というふうに。
  そういうふうに書くのがいやで、どうしても「…いて」のあとに「幼い少年」以外の“主語(に当たる語)”、ここでは「両親」を持ってきたいのならば、日本文としては落ち着きが悪いのですが、たとえば、「幼い少年が泣き叫んでいるので、両親が落ち着かせようとしている」あるいは、せめて「幼い少年が泣き叫んでいて、その少年を両親が落ち着かせようとしている」というふうにつなぐべきです。(下に述べるように、英語原文には「to console him」と明確に「その少年を」が含まれています)。
  もっと良いのは、初めから、混乱の元となっている「…いて」を使わない工夫をして「泣き叫んでいる幼い少年を両親が落ち着かせようとしている」という文にすることです。
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  「ほかの観光客がそのまわりを取り囲み、何人かの警備官が秩序を取り戻そうと奮闘している」という二つ目の文も良い書き方ではありません。ここでも「ほかの観光客」と「何人かの警備官」がともに“主語(に当たる語)”として一つの文の中に、主従の格づけなしに、並立しているからです。
  文としての整合性を保つためには、たとえば、「ほかの観光客が三人のまわりを取り囲み始めたことを不穏と感じた警備官が何人かで秩序を取り戻そうと奮闘している」と、“主語(に当たる語)”を「警備官」一つにするのもいいでしょう。
  つまり、上の翻訳文では「…取り囲み」が、その前の文の「…いて」と同じく、文の論理・整合性を壊してしまうという働きをしているわけですね。
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  そうは言うものの、翻訳は原文を無視しすぎてはならないのですから、英語の原文も見てみましょう。
  翻訳文に先立って読んでいた原文のこの個所はこういうものでした。
A small boy was screaming, and his parents were trying to console him. Others were crowding around, and several security guards were doing their best to restore order.
  上の二つの翻訳文はともに、その前後が「and」でつながれています。つまり、いまの問題は、この「and」を、翻訳する際にどう扱うか、ということですよね。
  「A small boy was screaming, and his parents were」の「and」は「幼い少年が泣き叫んでいる。それをまずいと感じた両親がその少年を(him)落ち着かせようとしている…」といった意味合いで使われています。
  一方、二つ目の「and」は「ほかの観光客がそのまわりを取り囲」んで(不穏な状態になりかかって)いるもので、「何人かの警備官が秩序を取り戻そうと奮闘している」という文脈で使用されています。
  その辺りの意味合いができるだけ伝わるように翻訳したいものです。
  「泣き叫んでいる幼い少年を両親が落ち着かせようとしている。周りの者たちがその親子を取り囲み始める中で、何人かの警備官がなんとか騒ぎを鎮めようとしている」というのはどうでしょうか?
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  ところで、研究者の「リーダーズ英和辞典」によれば、「and」は「語・句・節などを対等につなぐのが原則」だということです。「対等」であることを際立たせるのに最もふさわしい書き方は、訳すときに「and」の前後をそれぞれに独立させる、というものかもしれませんね。
  「幼い少年が泣き叫んでいる。その少年を(him)両親が落ち着かせようとしている。ほかの観光客がそのまわりを取り囲んでいる。何人かの警備官が秩序を取り戻そうと奮闘している」
  この方が「…いて」や「…取り囲み」でつなぐよりはうんとすっきりとしたものになりますよね。
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  さて、改めてつけ加えますと……。
  これは報道機関に限られる問題ではありません。「すっきりとした」文を書くことができない頭では、人びとを誑(たぶら)かしにかかってくる“頭脳明晰な”誰かの虚言・妄言・暴言などの“悪”を見破ることができません。そんな誰かに簡単に騙されてしまいます。
  国民の頭脳を劣化させたあとに国民が権力の意のままになる日本をつくろうという怪しげな動きにNHKをはじめとする報道機関が媚ているのではないか、とまでは言いませんが……。
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 【2014年8月15日に追加
  <哲学者の鶴見俊輔さんが、敗戦の翌年に発表した論文「言葉のお守り的使用法について」に、手がかりがある>
  <「政治家が意見を具体化して説明することなしに、お守り言葉をほどよくちりばめた演説や作文で人にうったえようとし、民衆が内容を冷静に検討することなしに、お守り言葉のつかいかたのたくみさに順応してゆく習慣がつづくかぎり、何年かの後にまた戦時とおなじようにうやむやな政治が復活する可能性がのこっている」>(朝日新聞 社説【戦後69年の言葉―祈りと誓いのその先へ】2014年8月15日)
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  【第313回  こんな悪文を書いているようでは…】(http://d.hatena.ne.jp/kugen/20140521/1400616891
  【第272回 “悪文”が日本人をおかしくする】(http://d.hatena.ne.jp/kugen/20130330/1364597242
  【第266回 「つなげられない」症候群】(http://d.hatena.ne.jp/kugen/20130129/1359413241
  【第253回 日本語が貧弱になりつづけている】(http://d.hatena.ne.jp/kugen/20120928/1348785449
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