第265回 問題あり 名詞の安易な副詞化

  <実際、賃金を上げずに物価の上昇だけを期待するのは合理的だろうか。なにより、それは経済にとって望ましいか>
  <結果、勤労者の購買力はむしばまれ、日本市場の縮小を助長した。ホームグラウンドの市場が縮んで、日本企業の競争力まで侵食され始めている>
  上の二文は【デフレと春闘―賃上げへ発想の転換を】と題する朝日新聞の社説(2013年1月16日)から取り出したものです。
  <実際>と<結果>の使い方を見てください。
  「新潮国語辞典 現代語・古語」によると…
  「実際」一(名)①実地の場合。まことの場合②本当のありさま。事実 二(副)ほんとうに。まったく。
  「結果」①実を結ぶこと。②原因によって達した結末の状態③ある行為により生じた影響・変化
  違いがすぐに分かるのは、この辞典では「実際」は名詞のほかに副詞としての機能が認められているのに対して、「結果」は名詞としてしか示されていないということです。
  朝日新聞の上の社説では、両者がともに副詞として使われています。
  ですが、上の辞典では、副詞としての用法が認められている「実際」についても、副詞としての機能は二次的なものとして扱われています。このことから、「ほんとうに」「まったく」として「実際」が使われるようになったのは、比較的にいえば、新しいことが分かります。名詞が副詞化して使われるようになったこと=名詞の副詞化を、この辞典が追認したものと思われます。
  「実際」は、もともとは〔実際(本当のありさま)をいえば〕〔実際(まことの場合)に目を向ければ〕などと使われていた、と考えるのが妥当なところではないでしょうか。
  ですから、上の文は、たとえば、〔実際には〕と〔には〕を加えて、〔賃金を上げずに物価の上昇だけを期待するのは実際には合理的(なの)だろうか〕というぐらいには書かれるべきだったと思います。
  それに対して「結果」は、少なくともこの辞典では、まだ副詞として認められていません。
  そうであるのに、<結果、勤労者の…>というような、辞典に認められていない言葉の用法を新聞、それも社説が軽々しく、新しがって、受け入れています。そんなことでいいのでしょうか。
  あくまでも〔その結果として〕というふうに使われるべきだったと思います。
  日本語を新しがって使うのは新聞の使命ではありません。日本語に関しては、新聞はむしろ保守的であるべきです。
  日本語を(〔その結果として〕を〔結果〕に縮めるという具合に)無用に劣化させて、日本人の思考力まで劣化させてはなりません。
  ついでに触れておけば、「結果」は、一方で、近年の流行として、〔結果を出す〕というように〔良い結果〕として使われることが多くなっています。「結果」には〔悪い結果〕もあるという事実を無視した、つまりは論理性を欠いた用法です。日本語が劣化していることの一例です。
    
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