第286回 再び「確信犯」の誤用について

  日本の報道機関はいったいどうなってしまったのでしょう?正しく言葉をつかうことには関心がなくなってしまったようですよ。
  関心をなくしてしまって、自らの言論・報道活動の際に言葉=日本語を正しく使っているかどうかを検証するシステムを内部に持っていないことにさえ、新聞社やテレヴィ局は無頓着であるように見えます。これは実に大きな問題ですよ。
  だって、個々の言葉について軽々しく考える頭で、日本の、世界の、複雑で難しい状況・事情が正しく理解できますか?正しい言論・報道活動ができますか?
  「苦言熟考」は、特に“公共放送”NHKの言葉遣い、文の書き方について、何度も苦言を呈してきました。新聞各社が紙上(あるいは、インターネット上)に掲載した悪文についても、主として「悪文は論理破綻の元凶・証拠」という趣旨で、警告をくり返してきました。
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  さて、ここでまた「確信犯」という言葉を取り上げるのは、この語があまりにも多くの事例で、本来の、正しい使用法から離れて使われるようになっているからです。
  【第212回 正しく使われなくなった「確信犯」】(http://d.hatena.ne.jp/kugen/20110901/1314835378)が俎上に乗せていたのは東京新聞の「私説・論説室から」でした。筆者は長谷川幸洋氏。そして今回も…。
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  【汚れた強打は見たくない】 (「私説・論説室から」 佐藤次郎 東京新聞 2013年8月14日) 
  <あきれるほかはない。これほど薬物追放が叫ばれている時代なのに、スポーツ界はドーピング問題ばかりだ。このままではスポーツの未来が大きくそこなわれることになるだろう><米メジャーリーグで当代一の強打者、アレックス・ロドリゲスら十三選手が出場停止処分となれば、陸上ではトップスプリンターが検査で陽性を示した。トルコでは三十一人もの選手が処分を受けている。自転車競技ツール・ド・フランスも疑惑から縁が切れないようだ。これは、多くの競技者がいわば「確信犯」であるのを示している><薬物検査は飛躍的に厳しく精密になったが、薬物やその使用を隠す方法も進化している。負の循環。一部の選手はためらいも罪悪感もなく、発覚の可能性も承知したうえで、当然のように禁止薬物を使っているように見える。競技力を上げて大金を稼ぐために。いまやそういう時代なのだ>
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  「ニコニコ大百科」の説明を読んでみましょう。
  【設定】 ある電器店員が映りの悪いテレビの調整を依頼された場合:
  #「この回路をつなげば直る」と思い込んで操作したが、実は誤った回路を繋いでしまい、テレビを故障させてしまった → このケースは過失犯となる。(※ただし、日本の現行刑法上、器物損壊の過失犯は処罰されない。刑法38条1項を参照。あくまで民事責任が発生するのみ。)
  #「このテレビを壊せば客は新しいテレビを買ってくれる」と考え、わざと間違った修理を行い、テレビを壊した → このケースは故意犯であり、本来の法学的用法では確信犯には該当しないしばしばこうしたケースが「確信犯」として誤用されてきた
  #「テレビは社会的に害悪なものであり、この世に存在してはいけない」との信念のもと、テレビを破壊した → これが本来の意味での「確信犯」である
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  【第212回 正しく使われなくなった「確信犯」】を見ると…。
  #「はてなキーワード」は<自らの信念に基づいて、それが社会の規範、道徳に反していると判っていても、正しいと思う行為を行うこと。思想犯・政治犯・国事犯など>としています。
  #「goo辞書」には<道徳的、宗教的または政治的信念に基づき、本人が悪いことでないと確信してなされる犯罪。思想犯・政治犯・国事犯など>との説明があります。
  要するに、自分は悪いことを行ってはいない−−正しいことをしている−−と“確信”して行われる犯罪、あるいはその犯人を「確信犯」というのが正しいわけです。
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  このように明白な誤使用にさえ気づかない=誤使用をなくすためのシステムを持っていない新聞が、たとえば麻生副総理大臣の「ナチスの手法に見習え」発言を、論理的な破綻なしに、正しく批判することができると思いますか?筋が通った議論ができると思いますか?
  政治家のどんな悪質な暴言も、それが“撤回”されれば、それ以上には追及できないのが、いまの報道機関ですよね。自らが言葉を厳密に使っていないのですから、詰めが甘くなるのは当然です。
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  時が流れるにつれて、ある言葉の使われ方が変化するのはまれなことではありません。
  たとえば「犬も歩けば棒に当たる」:「故事ことわざ辞典」はこう説明しています。<「棒に当たる」とは、人に棒で殴られるという意味。本来は、犬がうろつき歩いていると、人に棒で叩かれるかもしれないというところから、でしゃばると災難にあうという意味であった。 現在では、「当たる」という言葉の印象からか、何かをしているうちに思いがけない幸運があるという、反対の意味で使われている>
  しかしながら、ここで取り上げている「確信犯」は法律用語なのですよ。時の流れでその意味が変わってもいいという言葉ではありません。新聞が、まして「論説室」を名乗るコラムが、何度も誤用してもいい類の言葉ではないのです。
  仮に、世間の通例に倣い、この誤用を承認して、もともとは「故意犯」と呼ばれるべき事例を「確信犯」と呼んいいことにすると、本来の「確信犯」には呼称がないことになってしまいますよ。さあ、どうしましょう、報道機関?
  日本語を、しかも法律用語を、間違って使う風潮を先導するのは、言うまでもなく、報道機関の任務ではありません。
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  第231回 もう救いようがない? NHKの日本語 (http://d.hatena.ne.jp/kugen/20120219/1329606723
  第224回 再び 再び “悪文”について (http://d.hatena.ne.jp/kugen/20111215/1323907722
  第223回 NHKは言葉をもっと大事に使わなければ (http://d.hatena.ne.jp/kugen/20111206/1323129068
  第219回 こんな文を書く記者が“言葉狩り”に走る (http://d.hatena.ne.jp/kugen/20111101/1320131933

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