第245回 “官僚思考”が日本を危うくしている

  民主党を離れ(除籍処分を受けたあとに)新党「国民の生活が第一」を立ち上げた小沢一郎氏が、その騒動のあいだに民主党を非難する道具としてほとんど言及しなかったことがあります。前の衆議院議員選挙の際に民主党が掲げた、いまとなっては悪名高き、あの公約の中の重要な柱の一本だった「脱・官僚依存」がそれです。
  いえ、小沢氏は、あの公約を武器にして実現した政権交代のあとに「官僚対策」を何もやらなかった、というわけではありません。ただ、やろうとしたことは、幹部官僚を政府の意思決定から排除するなどといった、いわば、形の上の“いじくり”にとどまっていました。
  「脱・官僚依存」に民主党が失敗したのは、結局は、「官僚依存」政治のどこが悪いかを十分には検討しないままに、漠然としたムードで「政治主導」を打ち出したからだったと思います。当時は、報道機関を含めて、みなが、何が「官僚主導」政治であるかをちゃんと定義づけないで、それぞれの意見を述べていました。そして、その意見の中の多くが、「とにかく官僚の意見を聞くな、通すな」という、単純で、すこぶる乱暴な、小沢流の「脱・官僚依存」論と似たり寄ったりのものでした。
  次の選挙で自分が再選されることだけを考えている、勉強不足の、怠惰な議員たちには、その内容の是非については問題だらけではあるものの、それなりに“優秀”だと見える日本の官僚たちが考え出すにものに勝る政策は打ち出せないのではないかとは、小沢氏を筆頭にして、ほとんどだれも考えなかったようです。
  政府の政策決定過程から、事実上、幹部官僚を外そうという動き、小沢氏が主導しようとした「脱・官僚依存」は、すぐに頓挫してしまいました。当然でした。官僚組織に真に国民のためになる知恵をなんとか出させようとは、まったくしなかったのですから。
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  「苦言熟考」はその第137回http://d.hatena.ne.jp/kugen/20091109/1257770835)で「官僚主導」をこう定義しました。<官僚の(価値観に基づいた)、官僚による、官僚のための政治><官僚の世界に目を向けた=官僚の利便を最優先にして行う=“政治”です>と。そのあとに<日本の政治は、実際に、明治政府の創設以来、ほぼそのように行われてきたはずです><そして、その官僚たちに頼り切って政府が政策を決め、実行するのが“官僚依存”です>とも述べています。
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  「官僚主導」政治が悪であるのは、なんといっても、官僚たちの目が国民に向いていないからです。官僚たちが自分たちの権益を保持することを第一に考えるからです。国民が収めた税金を、一部の団体や業界、自治体などのためにではなく、真に国民全体の利益のためにどう使うべきかに官僚たちがほとんど無関心だからです。
  そうであることを官僚たちに許しているのは、煎じ詰めていえば、国民(有権者と政治家たち)が「官僚による情報の独占」にまっとうな異議を唱えないからです。政治家=議員たちと異なって選挙の洗礼を受けることがない、つまりは、よほどの悪事を働かないかぎりは身分も組織も揺らぐことがない、勝手し放題の官僚たちに「国民のために情報を公開させる」という形でしっかりと切り込まなかったからです(いまの政治家の中では、自民党河野太郎氏が唯一の例外でしょうーー後注:河野太郎氏はその後、政府・官僚寄りの姿勢に転じてしまいました)。
  「情報は力(の源泉)なり」。官僚たちはそのことを知りつくしています。そう思います。
  「脱・官僚依存」の鍵は「独占している情報を官僚たちに徹底的に公開させる」ことにありました。しかしながら、日本人の大多数は「情報公開」=事実を明るみに出させることがいかに重要であるかが分かっていませんでした。
  大阪地方検察庁特捜部による証拠改ざん事件が発覚しても、「情報の徹底的な公開」を求める声は十分に大きなものにはなりませんでした。取締りの全面的な可視化についても、警察と検察の抵抗をいまだに許しています。
  東京電力福島第一原子力発電所であれだけの大惨事が起こったというのに、東電はあらゆる情報を出し惜しみしました。出し惜しみして、惨事の原因を自分たち以外のところに求めて平然としています。
  「情報を独占している者が勝つ」という文化が日本を覆いつくしているのです。そのために、日本の多くの分野でさまざまな活動が停滞しきっているというのに…。
  日本全体に官僚型思考がいきわたっているのです。「情報の公開は、どうしようもなく迫られてからすればいい」「自分たちのためにならない事実は、可能な限りで、隠しつづけるのがいい」「自分たちに都合が悪い情報・事実が明らかになっても、事をあいまいに説明してすませていれば、そのうちにみながそれを忘れてしまうはずだ」というような具合に
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  【“いじめ”自殺 隠すことが教育なのか】 東京新聞 社説 (2012年7月10日)
  <大津市の中学二年生の自殺で、教育委員会や学校はいじめの兆候やSOSを見逃していた。調査もわずか三週間で打ち切った。情報をきちんと調べず、隠蔽(いんぺい)していたのなら最悪の教育ではないか><昨年十一月には、自殺した生徒へのいじめがあったことを発表した。だが、三週間で調査を打ち切り、「自殺といじめの因果関係は判断できない」との見方を示した。あまりに拙速で、無責任ではないか><市教委や学校は、一体何を守ろうとしてきたのか。見て見ぬふりをするような対応は、問題の解決に役立たないどころか、同じようないじめの温床にもなる。組織を守ることを優先し、子どもの立場に立てなかった不明を深く反省すべきである>
  【“無責任政府”に憤り 米データ不公表で双葉町長ら】(2012年7月11日 福島民友ニュース)
  <「情報があれば多くの町民を守れた」。参考人として井戸川克隆双葉町長と吉田数博浪江町議会議長が出席した10日の参院予算委員会は、米国エネルギー省から提供された東京電力福島第1原発周辺の放射線分布地図を政府が公表しなかった問題をあらためて議論。野田佳彦首相は謝罪したが、「(原因が)特定できていない」「政府事故調の検討を受け対応する」などあいまいな答弁に終始。井戸川町長らは「情報が欲しかった」と訴え、なお消せない原発被災者の憤りを政府、国会議員にぶつけた>
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  日本人の思考が官僚化しています。中央官僚のネガティヴな思考パターンが日本のあらゆるところに浸透しています。
  情報を徹底的に公開し、それを基にして、肯定的な議論を真摯に交わすこと。それができる国に一日でも早くしないと、日本は創造的なことが考えられない、重要な問題がいつまでも解決できない、陰湿な、停滞する国になってしまいます。真剣にそう心配しています。


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