第228回 信頼できそうなのは河野太郎氏ただ一人

  NHKテレヴィを見たり、新聞各社がインターネットで発信しているニュース・記事・論調、さらには個人のブログなどを読んだりして判断するところでは、いまの日本の政治家の中で「信頼できそうだ」とわたしが思う政治家は自民党河野太郎氏だけです。河野氏が、たとえば、彼自身のブログ「ごまめの歯ぎしり」(http://www.taro.org/gomame/index.php)で取りつづけている姿勢は一貫しています。筋が通っています。その姿勢をわたしなりにまとめて言うと「だれの考え(政策・案・論・意見・主張・提言)であろうと、正しいものは正しいし、間違っているものは間違っているのだ」と言い切るというものです。そのテーマが何であれ、河野氏が論じることには、揺らぎやぶれがありません。基幹が定まっています。だれかの“ごまかし”や“取り繕い”“責任逃れ”を許しません。見逃しません。
  最も代表的な好例とは言えませんが、数日前のブログで河野氏は、たとえば、こう書いています。
  タイトルは【在外公館で何が起きているのか】(2012年01月17日)
  <外務省は、この(註:北京での日本大使館建築に関わるトラブルの)他に、駐クロアチア大使がセクハラ事件を起こしたという報道に対し、抗議するどころか、この件については否定も肯定もしないという態度で、事実上セクハラがあったことを認めながら、処分を公開しないという不可思議な対応を取っている>
  どうです?一般的にいうと、“セクハラ”行為には、深刻な人権侵害、もっとひどければ犯罪の可能性さえあるというのに「この件については否定も肯定もしないという態度」なのですよ、外務省は。いやいや、官僚の論理・やり口がよく分かる対応ぶりではありませんか。
  河野氏はここでは「不可思議な」としか述べていませんが、同省の隠蔽・取り繕い体質を同氏が“悪”だと見ていることは疑いありません。
  「処分を公開しない」ということは、つまりは、その処分によって駐クロアチア大使は社会的な制裁をまったく受けないということになりますよね。省内の規則がどうであれ、外務省は、いつも通りに、仲間のかばい合いにしか頭が向いていない、ということが、ここでも明らかになっているわけです。セクハラの再発をどう防止するか、もっと大きく言えば、外務省という組織の運営を、国民の目が届く健全なものにどう変革していくかについて、外務省は真剣には考えていないのです。そんなことにはまるで関心がないのです。
  そういう、“取るに足りない”と外務省が考えているとしか見えない件についても、河野氏は、このブログの最後に<外務委員会と決算行政監視委員会で、きちんとこうした問題を解明する>と述べています。自分の選挙区での人気取りをまず第一に考える他の政治家たちには見られない、政治家の本来の役割を十分に認識した、実に正しい執着ぶりだといえます。河野氏自身が官僚組織と“なあなあ”の仲の政治家ではないことがそれで明らかになってもいます。
  ところで、民主党の「脱・官僚依存」政策は早々と雲散霧消してしまったようです。
  そもそも、口先で唱えるだけで「脱・官僚依存」ができるはずはありませんでしたよね。官僚組織内の、利権の分け合い、仲間同士のかばい合い、隠蔽・取り繕い体質を、河野氏のように、細かいところまでいちいちと暴露し改善を求めていこうという、長期にわたる覚悟が民主党にはもともとありませんでした。「脱・官僚依存」という耳当たりの良い題目を唱えれば票になるのではないか、という程度の思いしか民主党にはありませんでした。政権交代後の民主党を見る限りでは、そうとしか思えません。
  官僚たちの思考が、いかに国民のものと離れているか、国民の利益を害することがいかに多いか、あるいは、もっと率直に、組織的に、大量に行われる“天下り”、取り放題の退職金などの官僚組織の“悪行”が日本という国をどれほど傷めつけてきたかを、自分たちの“利権保持”に汲々としている彼らに悟らせるのは容易なことではない、とは民主党は考えていませんでした。「脱・官僚依存」政策で自分たちの利権・権益を失うことにどれだけ官僚たちが抵抗するかも民主党は頭に入れていませんでした。
  民主党の国会議員の中のだれが、いまも「脱・官僚依存」を本気で、声高に叫んでいますか?官僚組織が抱えている問題をだれが地道に取り上げ、改善しようとしていますか?
  政治家としての河野氏が際立っているのは「政党や政治家、官僚などが国民のためにちゃんと働いているか」ということを常に、事の是非を判断する基盤にしているからです。正しいものは正しいし、間違っているものは間違っている、とする基準を河野氏は常にそこに置いているのです。河野氏の論に揺らぎやぶれがないのは、その“国民のために”という基盤がしっかりしているからです。自分の選挙区の住民や産業団体、労働組合などといった者たちの利権配分要求に縛られていないからです。
  河野氏は、政界に数多くいる、ただの“世襲議員”ではありません。この人に匹敵する“筋が通せる政治家”は、少なくともわたしが知る限りでは、ほかにはいません。日本国民にとっては実に不幸なことです。
  ついでに言うと、河野氏を党の役職につけないことにしている自民党が(民主党が失政にまみれているというのに)支持率を低迷させているのは当然です。党内随一、あるいは唯一の良心的知性を、いわば、座敷牢に閉じ込めているのですからね。