2012年の 【第245回 “官僚思考”が日本を危うくしている】 を再掲載

  =追加 2017年7月20日
  【記録文書「隠す」「捨てる」「ない」 政権は非開示押し通す】 東京新聞 2017年7月20日 朝刊 (http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201707/CK2017072002000119.html
  <いずれの問題でも、あるはずの文書の存在を認めようとしない姿勢が国民の不信感を生み、安倍内閣の支持率低下につながっているとみられる>
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  =追加 2017年7月17日=
  【春秋】 日経新聞 2017/7/17付 (http://www.nikkei.com/article/DGXKZO18930710X10C17A7MM8000/
  <過去の反省からか。公文書管理法には立派なことが書いてある。公文書は民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源だ。主権者たる国民が主体的に利用するのだから適切な保存が必要だと。国有地が安値で売却された森友問題で財務省は交渉記録を適法に廃棄したと国会で繰り返した。その答弁者が国税庁長官に就いた>
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=追加 2017年7月15日=
  【『森友、加計問題』の本質は情報公開と公文書管理にアリ】 VIDEO NEWS 2017年7月15日 (http://www.videonews.com/marugeki-talk/849/)
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  =追加 2017年7月11日=
  【余録 われわれ人民が比較的安心して生きているのは…】 毎日新聞2017年7月11日 東京朝刊
  <「われわれ人民が比較的安心して生きているのは、彼ら『役人の頭』もだいたいわれわれ人民の頭と同様であろう……われわれが悲しいと思うものは彼らも悲しいと聞いてくれるであろう、こう思えばこそである」▲「役人の頭」と題した一文にこう記したのは大正・昭和期の法学者、末弘厳太郎(すえひろいずたろう)である> <だが役所に入れば、人民のための法律や役所でなく、法律や役所のための人民という「役人の頭」が出来上がってしまう
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  =追加 2017年7月11日=
  【(天声人語)1945年の公文書廃棄】朝日新聞 2017年7月11日05時00分 (http://digital.asahi.com/articles/DA3S13029630.html?_requesturl=articles%2FDA3S13029630.html&rm=150
  <加計学園をめぐる国会での閉会中審査では、文書と突き合わせて追及されても「記憶にない」で逃げる答弁が目立った。こんな紙さえ残っていなければ……との心の声が聞こえてきそうだ>
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  =追加 2017年7月8日
  【(社説)加計文書問題 政権の勝手は許されぬ】 朝日新聞 2017年7月8日 (http://www.asahi.com/articles/DA3S13024742.html?ref=editorial_backnumber
  <国が持つ情報は、現在、そして未来の主権者のものだ。国民とその代表者はそこから経緯や教訓を知り、学び、めざす社会の姿を考える。公文書管理と情報公開が民主主義を支える車の両輪と言われるゆえんだ
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  =追加 2017年7月6日
  【加計学園獣医学部新設 京都案と比較の記録なし】 東京新聞 2017年7月5日朝刊 (http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201707/CK2017070502000134.html
  <山本氏は選定過程について「内部の打ち合わせだから記録は取っていない」と説明。「三つの審査基準」を誰が、どのような議論で決めたのか明らかにせず、基準の根拠も示さなかった
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  =追加 2017年7月5日
  【社説 安倍政権と官僚組織 過剰な情報統制をただせ】毎日新聞 2017年7月5日(https://mainichi.jp/articles/20170705/ddm/005/070/052000c
  <政権に不都合な文書の存在を認めない。確認されると内容がうそだと言う。さらに都合の悪い情報に「守秘義務」の網をかぶせようとする> <安倍晋三首相が「反省」を口にするなら、こうした「政と官」のゆがみを正さなければならない>
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  =追加 2017年7月5日
  【(社説)国税長官人事 政権の体質の象徴だ】朝日新聞 2017年7月5日(http://www.asahi.com/articles/DA3S13019239.html?ref=editorial_backnumber
  <佐川氏はどう答えてきたか> <森友との交渉記録については「売買契約締結で事案は終了しているので破棄した」などと繰り返し、職員への調査を求められても「いちいち指摘を職員に確認することはしていない」と突っぱねた。国会議員とその背後にいる国民に真摯(しんし)に向き合う姿勢からほど遠かった> <調べない。説明しない。押し切る。政権はそうした体質を改めるべきだ。疑問が依然として残ったままの森友学園問題への対応は、試金石の一つになる>
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=2017年7月4日 追加=  【加計学園に絞り込みの経緯「記録取っていない」 内閣府朝日新聞 2017年7月3日(http://www.asahi.com/articles/ASK736GR4K73UTIL055.html
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2017年6月30日 追加
  【記事 週刊金曜日編集部 2017年06月27日 12:28 小池都知事が情報公開と公文書管理で安倍自民党を牽制横田一)】(http://blogos.com/article/231229/
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  【第245回 “官僚思考”が日本を危うくしている】  2012年 
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  民主党を離れ(除籍処分を受けたあとに)新党「国民の生活が第一」を立ち上げた小沢一郎氏が、その騒動のあいだに民主党を非難する道具としてほとんど言及しなかったことがあります。前の衆議院議員選挙の際に民主党が掲げた、いまとなっては悪名高き、あの公約の中の重要な柱の一本だった「脱・官僚依存」がそれです。
  いえ、小沢氏は、あの公約を武器にして実現した政権交代のあとに「官僚対策」を何もやらなかった、というわけではありません。ただ、やろうとしたことは、幹部官僚を政府の意思決定から排除するなどといった、いわば、形の上の“いじくり”にとどまっていました。
  「脱・官僚依存」に民主党が失敗したのは、結局は、「官僚依存」政治のどこが悪いかを十分には検討しないままに、漠然としたムードで「政治主導」を打ち出したからだったと思います。当時は、報道機関を含めて、みなが、何が「官僚主導」政治であるかをちゃんと定義づけないで、それぞれの意見を述べていました。そして、その意見の中の多くが、「とにかく官僚の意見を聞くな、通すな」という、単純で、すこぶる乱暴な、小沢流の「脱・官僚依存」論と似たり寄ったりのものでした。
  次の選挙で自分が再選されることだけを考えている、勉強不足の、怠惰な議員たちには、その内容の是非については問題だらけではあるものの、それなりに“優秀”だと見える日本の官僚たちが考え出すにものに勝る政策は打ち出せないのではないかとは、小沢氏を筆頭にして、ほとんどだれも考えなかったようです。
  政府の政策決定過程から、事実上、幹部官僚を外そうという動き、小沢氏が主導しようとした「脱・官僚依存」は、すぐに頓挫してしまいました。当然でした。官僚組織に真に国民のためになる知恵をなんとか出させようとは、まったくしなかったのですから。
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  「苦言熟考」はその第137回http://d.hatena.ne.jp/kugen/20091109/1257770835)で「官僚主導」をこう定義しました。<官僚の(価値観に基づいた)、官僚による、官僚のための政治><官僚の世界に目を向けた=官僚の利便を最優先にして行う=“政治”です>と。そのあとに<日本の政治は、実際に、明治政府の創設以来、ほぼそのように行われてきたはずです><そして、その官僚たちに頼り切って政府が政策を決め、実行するのが“官僚依存”です>とも述べています。
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  「官僚主導」政治が悪であるのは、なんといっても、官僚たちの目が国民に向いていないからです。官僚たちが自分たちの権益を保持することを第一に考えるからです。国民が収めた税金を、一部の団体や業界、自治体などのためにではなく、真に国民全体の利益のためにどう使うべきかに官僚たちがほとんど無関心だからです。
  そうであることを官僚たちに許しているのは、煎じ詰めていえば、国民(有権者と政治家たち)が「官僚による情報の独占」にまっとうな異議を唱えないからです。政治家=議員たちと異なって選挙の洗礼を受けることがない、つまりは、よほどの悪事を働かないかぎりは身分も組織も揺らぐことがない、勝手し放題の官僚たちに「国民のために情報を公開させる」という形でしっかりと切り込まなかったからです(いまの政治家の中では、自民党河野太郎氏が唯一の例外でしょう・・後注:河野太郎氏はその後、政府・官僚寄りの姿勢に転じてしまいました)。
  「情報は力(の源泉)なり」。官僚たちはそのことを知りつくしています。そう思います。
  「脱・官僚依存」の鍵は「独占している情報を官僚たちに徹底的に公開させる」ことにありました。しかしながら、日本人の大多数は「情報公開」=事実を明るみに出させることがいかに重要であるかが分かっていませんでした。
  大阪地方検察庁特捜部による証拠改ざん事件が発覚しても、「情報の徹底的な公開」を求める声は十分に大きなものにはなりませんでした。取締りの全面的な可視化についても、警察と検察の抵抗をいまだに許しています。
  東京電力福島第一原子力発電所であれだけの大惨事が起こったというのに、東電はあらゆる情報を出し惜しみしました。出し惜しみして、惨事の原因を自分たち以外のところに求めて平然としています。
  「情報を独占している者が勝つ」という文化が日本を覆いつくしているのです。そのために、日本の多くの分野でさまざまな活動が停滞しきっているというのに…。
  日本全体に官僚型思考がいきわたっているのです。「情報の公開は、どうしようもなく迫られてからすればいい」「自分たちのためにならない事実は、可能な限りで、隠しつづけるのがいい」「自分たちに都合が悪い情報・事実が明らかになっても、事をあいまいに説明してすませていれば、そのうちにみながそれを忘れてしまうはずだ」というような具合に
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  【“いじめ”自殺 隠すことが教育なのか】 東京新聞 社説 (2012年7月10日)
  <大津市の中学二年生の自殺で、教育委員会や学校はいじめの兆候やSOSを見逃していた。調査もわずか三週間で打ち切った。情報をきちんと調べず、隠蔽(いんぺい)していたのなら最悪の教育ではないか><昨年十一月には、自殺した生徒へのいじめがあったことを発表した。だが、三週間で調査を打ち切り、「自殺といじめの因果関係は判断できない」との見方を示した。あまりに拙速で、無責任ではないか><市教委や学校は、一体何を守ろうとしてきたのか。見て見ぬふりをするような対応は、問題の解決に役立たないどころか、同じようないじめの温床にもなる。組織を守ることを優先し、子どもの立場に立てなかった不明を深く反省すべきである>
  【“無責任政府”に憤り 米データ不公表で双葉町長ら】(2012年7月11日 福島民友ニュース)
  <「情報があれば多くの町民を守れた」。参考人として井戸川克隆双葉町長と吉田数博浪江町議会議長が出席した10日の参院予算委員会は、米国エネルギー省から提供された東京電力福島第1原発周辺の放射線分布地図を政府が公表しなかった問題をあらためて議論。野田佳彦首相は謝罪したが、「(原因が)特定できていない」「政府事故調の検討を受け対応する」などあいまいな答弁に終始。井戸川町長らは「情報が欲しかった」と訴え、なお消せない原発被災者の憤りを政府、国会議員にぶつけた>
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  日本人の思考が官僚化しています。中央官僚のネガティヴな思考パターンが日本のあらゆるところに浸透しています。
  情報を徹底的に公開し、それを基にして、肯定的な議論を真摯に交わすこと。それができる国に一日でも早くしないと、日本は創造的なことが考えられない、重要な問題がいつまでも解決できない、陰湿な、停滞する国になってしまいます。真剣にそう心配しています。


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