第214回 <記者団>の無責任と怠慢、そして傲慢

  日本の報道機関の質と能力がひどく衰えている−−あるべき姿からは程遠いものになっている−−という趣旨のエッセイを「苦言熟考」は書きつづけています。
  その衰えを知るのにいい、最近の例が次の産経新聞の記事(9月12日インターネット配信)です。見出しは<<枝野経産相内定に自民「原発対応ができなかった菅内閣の要」>> 内容は<自民党幹部は12日昼、不適切発言で引責辞任した鉢呂吉雄経済産業相の後任に枝野幸男官房長官が内定したことについて、「東日本大震災東京電力福島第1原発事故の対応ができなかった菅直人内閣の要だったではないか」と批判した。党本部で記者団の質問に答えた>というものです。
  いったい何が伝えたくて書かれた記事なのだろうということのほかにも、この記事にはいくつもの問題があります。
  第一に、二つの政党間の一方を悪く述べた、偏った内容であるのに、その書き手である記者の名を付していません。事実を追求する気はさらさらないまま、無責任な記事を書いたことを恥じてのことであれば、いくらかはスクワレマスが、実際のところは、匿名だから何をどう書こうとかまわないんだ、というような横着さしか感じられません。
  第二に、<自民党幹部>の<批判>としてありますが、それに間違いはないにしても、この程度の<批判>を口にするだけのことで自分の名を伏せたがる政治家の意見をありがたがって記事にする必要があるのかどうか…。また、この<幹部>を匿名にしたことで、この記事の価値がほとんどゼロになっていること−−信憑性に疑問符がつきかねないということ−−を、まともな記者教育を受けた者なら自ら悟っているはずです。
  第三に、<記者団の質問に答えた>と書いているのに、記者団がどう質問したのかを書いていません。おそらくは<(不適切発言で引責辞任した)鉢呂吉雄経済産業相の後任に枝野幸男官房長官が内定したことについて>どう思うか、というように<記者団>の中のだれかが尋ねたのでしょうが、それは、初めからどういう返答があるかが分かりすぎるほど分かっている“誘導質問”に等しいもので、創造性と探求欲を欠いた、いや、ある意図に基づいているとさえみられる醜い<質問>です。どこの新聞社の何という記者が<質問>したかを明らかにせずに<記者団>と逃げるのも、日本の報道機関に染みついた卑劣な慣行です。
  第四に、ここが最大の問題点ですが、この<自民党幹部>が何の根拠も証拠も挙げずに<東日本大震災東京電力福島第1原発事故の対応ができなかった菅直人内閣>と決めつけていることに、この記事はまるで疑問を抱いていません。そもそも、<菅直人内閣>がいつ、どこで、どんなふうに<対応ができなかった>かを、ましてや、どうやっていれば最高の対応ができていたかを、この記事だけではなく、日本の報道機関は明確に述べたことがありません。“対応が遅い”という、被災者の苛立ち、当然の不満を<対応ができなかった>という言葉にすり替えて、少しの検証もなしに“それでよし”とするのは、完全に間違った、無責任な態度です。報道機関が自らを怠惰である−−信頼できない機関である−−と宣言しているようなものです。証拠と根拠なしに記事を書くことができる報道三流国に日本をしてはなりません。
  第五に、そもそも、二つの政党の一方が相手を<批判した>とだけ書く偏向記事から読者は何を学ぶことができるのでしょう?この記事にはバランス感覚のかけらさえ感じられません。いえ、どの政党を最終的に支持するかは新聞社が自由に決めていいことだと思いますよ。しかしながら、記事そのものがバランス感覚を欠いていたら、その記事はほとんどデマゴーグだと言えます。上の記事のように。
  待て、上の記事には事実だけが書かれている、どこにも創作はない、そのどこがデマなのだ、ですって?困りましたね。片方の主張や意見だけを伝える記事は事実全体の(よくても)半分しかまだ伝えていないのだ、ということが理解できない者は報道記者でいる資格がありません。すぐにも職を変えるべきです。ちなみに、アメリカでは、内容が一方の言い分に傾いている記事では、たとえば、もう一方にインタヴューを申し込んでいるがまだ返事がない、というような注釈を記者がつけることが普通です。
  第六に、現場の記者が上のような一方に偏った欠陥記事を提出してきているのに、それを上層部が(自ら意図的に改変していないとしたら)そのまま配信してしまうという理性や倫理上の問題がこの新聞社にはあります。
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  日本国民は上の産経新聞のような記事を毎日のようにどこかで読ませられています。読ませられているうちに、上のような記事には重大な欠陥があるということに気づかなくなっているようです。
  いまの新聞=報道機関は歪みきっています。
  視点を少し変えて…。朝日新聞天声人語(2011年9月14日)はその一文で、野田政権に<一方的な発信ではなく、火花が飛ぶ国会論戦、記者団との丁々発止に時間を割いてほしい>と求めています。<記者団との丁々発止>ですって?上のような欠陥記事を書いても平然としているのがいまの記者=記者団の実態なのですよ。そんな程度の記者=記者団にだれかと<丁々発止>と渡り合う議論ができる−−そんな能力がある−−と本気で信じているとしたら、この天声人語の筆者はかなりな能天気だといえます。自社内で記者を徹底的に再教育するところから出直してほしいところですが、朝日新聞の看板である天声人語がこれですからね。多くは望めないのかもしれません。
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  9月14日の朝日新聞にはこんな記事もありました。<<自公の3党協議対応「おかしい」 共産党・穀田氏が批判>> <共産党穀田恵二国会対策委員長は14日の記者会見で、自民、公明両党が民主党との3党協議の前提として臨時国会予算委員会開催を要求していることに関連し、「ある時は3党協議でやって合意内容を他党に押し付け、それが不調に終わったら全野党を集めて足に使うのはおかしい」と述べ、自公両党の対応を批判した>
  上の産経新聞の記事とちょっと比較してみましょう。ここでも、記事には<自公両党の対応>を一方的に<批判した>とあるだけで、自公の反論は示されていません。ですが、少なくとも、上の産経記事とは違って<対応ができなかった>というような政治的で一方的な決めつけはありません。<ある時は3党協議でやって合意内容を他党に押し付け、それが不調に終わったら全野党を集めて足に使う>という点に事実のねじまげが疑われるところはありません。つまり、自公の反論がなければひどくバランスに欠ける、という記事ではありません。<批判した>のが<共産党穀田恵二国会対策委員長>であり、それが<記者会見で>でのことだったことも明確にしてあります。<記者団>による“誘導質問”めいたこともなかったようです。この記事に問題があるのは、ほかの大半の記事がそうであるように、無記名で書かれていることぐらいでしょうか(つまり、格別に大きな問題のない記事も、それはやはり、あるわけですね)。
  読者の信頼を保ちたい、いや、いくらかでも回復したいのなら、新聞社はせめてこのぐらいには冷静に記事を書くべきだと思います。
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  ところで…。日本の報道機関はどういう基準で記者候補者を採用しているのでしょうか。これは事実の裏づけなしに、ただそう感じていることにすぎませんが、心底から記者になりたがっている、意欲的な人物を記者にしているのでしょうかね?採用(あるいは社内)試験での成績がたまたま良かったから、などというような機械的な基準ではないことを願っています。
  それにもう一点…。大きな政治記者会見のやり方も変えるべきだと思いますよ。一人の記者に再質問を事実上許さない−−もう一歩踏み込んだ質問がどの記者にもできない−−いまのやり方では、すべてが尋ねっ放しになってしまって、ちゃんとした記者が育ちません。記者の頭脳が萎えてしまいます。記者を怠惰にしてしまいます。「死の町」「放射能をつけた」騒動で見られたように、日本の報道界は、卑しい“言葉狩り”しかできない−−それをまっとうな取材活動だと信じる−−無能な記者ばかりになってしまいます。
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  いわゆる記者会見で一部の記者がどういうふうに振舞うか−−物を考えているか−−傲慢か−−を知りたい方は、たとえば、<<経産相会見「ヤクザ言葉」記者 本人が鉢呂氏に謝罪>>(http://news.livedoor.com/article/detail/5862429/)を訪ねてみてください。