第189回 日本の低迷はつづく

  日本の政党や政治家たちはなぜこんなにも能天気なのでしょうか?
  報道機関はなぜこんなにも無能なのでしょうか?
  いえ、そもそも、日本国民は長期的な視野を持つことがなぜこんなにも不得手なのでしょうか?
  いまちゃんと見据えなければならないことが日本人にはまったく見えていないように思えてなりません。
  たとえば…。
  消費税率を上げて、社会保障にかかる費用を賄うですって?何パーセント引き上げれば何年間賄えるというのでしょう?
  法人所得税率を下げて企業活動を活性化して、景気を上向きにし、その結果として全体的な税収を増やすですって?法人税の数パーセントの引き下げで国民総生産がどれほど上向くというのでしょう?
  ほんとうに、日本人には何も見えていないようです。
  そんな個々の対応を積み上げれば日本が置かれている状況が良くなると、日本人が本気で信じているとしたら、日本はすでに極めて危ない状態にある、といえましょう。日本の将来は暗い、と断言してもいいかもしれません。
  政局中心の思考しかできなくなっている政党と政治家たちがそんな“危ない”日本をますます崖っぷちに追い込んでいます。
  目の前で起こっていることしか見えない報道機関が、将来を見渡すときに必要な思考能力を日々日本人から奪い去っています。
  いま、何よりも先に日本人が総力を挙げて取り組まなくてはならないのは、少子高齢化問題です。そう見えませんか?
  1990年代前半のいわゆる“バブル崩壊”からあとの経済不振の原因は、歴代政府の経済政策が間違っていたからでも、日銀の金融政策が甘かったからでも、産業界がなすべき努力をしてこなかったからでもないはずです。
  <日本の経済不振は構造的なものだ><少子高齢化という、すでに始まっている人口構造の変化が、現在のデフレ経済をはじめとする、日本が抱えている諸問題の最大の原因だ> 学者や識者のさまざまな意見の中ではこの説が最も説得力を有しているように思えます。
  少子高齢化に真剣に、ただちに取り組まないと、多くの問題を抱えたまま、日本は世界の二流国に落ちてしまうに違いありません。
  JAPAN BUSINESS PRESSは昨年、<とうとう15歳以上に占める労働力人口の割合は6割を切り、少子高齢化が加速度的に進むと2030年は3人に1人が65歳以上、2050年には総人口が8000万人台にまで減少すると予測される>と書いていました。
  予測値は、それを計算する人によっていくらかは違っているのでしょうが、大筋のところではこんなところのようです。今後のおよそ40年間で、日本の総人口が数千万人も減少するのです!
  国税地方税を納める労働人口も、いうまでもなく、激減します。
  日本の産業が拡大再生産できなくなる、どころか、過去の生産実績を維持することすらできなくなります。
  労働人口が激減した中で、消費税率を何パーセントまで引き上げれば、2050年の社会保障費を賄うことができるというのでしょう?
  そんな議論は、現実に起こっている少子高齢化を前にしては、まるで役に立たない、と思いませんか?
  日本人は長期的な視野を持たなければなりません。
  日本がいま直面している、おそらく人類の歴史上で初めての大問題=極端な少子高齢化=は、個々の経済・財政・金融政策などでは解決できるものではない−。そろそろ、そう腹を決めようではありませんか。
  では、どうする?
  端的にいってしまえば、労働人口をできるだけ減らさないようにするしかありません。減少幅を抑えながら、労働の生産性とそれが生み出す付加価値を高める、というのも有効な手段でしょう。
  そうするためには、第一に、女性労働者数を飛躍的に増やすことが考えられます。「こども手当て」程度の案では何の助けにもなりません。女性が家庭の外でも内でもちゃんと働くこと=生産活動に携わること=ができる環境を総合的に整備する必要があります。
  第二には、広範な分野での外国人労働者の受け入れも欠かせないでしょう。その必要性が増す一方の看護介護分野だけではなく、外国語教育からハイテク産業向けの人材まで、高い付加価値を提供してくれる(留学生を含む)外国人を大量に受け入れる、ということです。就労者の平均年齢が66歳に達しているという日本の農業を守り、その生産性を上げたいのなら(外国での大規模農場経営に国が国策として乗り出さない限りは)農業従事移民も歓迎しなければならなくなるでしょう。
  日本人自身の能力=国際競争力=を強化するためには、学生の海外への留学の促進、語学教育の高度化、優秀な理工系学生への“英才教育”など、教育の分野でも大改革が求められるはずです。
  そういうことができなければ、日本に明るい未来はないと思います。日本の低迷はどこまでもつづくことになります。
  政界も報道界も、「政治とカネ」などの問題にいつまでも関わりきっているときではない、ということを知るべきです。いまは、40年後に日本が二流国になってしまわないためには何をなすべきかを国民とともに考えるときなのです。