第125回 ОFW  フィリピン産業・経済の“矛盾”

  3年ほど前から携帯電話でテキスト・メッセイジを交換している、まだ顔を合わせたことがない友人がいます。ファースト・ネイムの頭文字をとってL嬢と呼ぶことにします。
  L嬢は、メトロマニラの南隣の州、カヴィーテに住む看護学生です。一般のカレッジを出たあと(たぶん、家族全体の生活設計の一端として)看護士になろうと思い立ち、いま、The UNIVERSITY OF PERPETUAL HELP SYSTEMの看護コースに通っています。
  
  一週間か10日間に一度ぐらいはテキストで挨拶を送ってきていたこのL嬢が数か月前に突然、しばらく“音信不通”になってしまいました。次にメッセイジ送ってきたのは、彼女の携帯電話機から直接にではなく、インターネットを通してコンピューターと携帯電話とのあいだでメッセイジが交換できるサーヴィスを使ってのことでした。このサーヴィスでは、メッセイジをコンピューターから受けて返信した者が行き来の通信料を払うシステムになっているようです。つまり、費用はわたし持ちのコミュニケイションだったわけです。
  いえ、その<わたし持ち>の費用というのはメッセイジの一往復で(おそらく)5円ほどのものにすぎないのですが…。

  さて、日ごろはわたしに何かを負担させることを(それがたとえ5円でも)避けたがるL嬢がこのサーヴィスを使ったのは、少し前に、自分の携帯電話機をひったくられてしまっていたからでした。使う自分の電話機がなかったのです。彼女がひったくりにあったのは、不運なことに、これが二度目のこと。一度目はかなり以前にマニラに出てきたときだったそうです。「あれ以来、マニラには行きたくなくなっています」と彼女は前に言っていたものです。

  この二度目の盗難は、L嬢の家族に大変な痛みをもたらしました。(両親がともにすでに他界しているためにいま)家計を取り仕切っている姉にL嬢はひどく叱られました。L嬢に再び携帯電話機を買い与える財政的なゆとりが家族にはありませんでした。L嬢と家族は、電話機を奪われたことの悔しさと不便さとにただ耐えるしかありませんでした。

  このL嬢の家族を財政的に支えているのは、彼女のもう一人の姉です。中東で働き、カヴィーテの家族に送金してくれているのです。
  ですが、昨年後半に顕著になった世界大不況の波は中東も飲み込みました。姉の収入も減少し、不安定になりました。家族への送金も、その額が減り、間があきがちになりました。
  家族はこれまでに何度も、カレッジでの勉学をL嬢にもうやめさせるべきではないか、と話し合っています。彼女が学習意欲を失いかけた時期もありました。…ぎりぎりの暮らし。それがL嬢とその家族の日々のようです。

  外国(海外)で働くフィリピン人労働者のことをこの国ではふつうОFWという略称で呼びます。OVERSEAS FILIPINO WORKERSのことです。
  調査機関SOCIAL WEATHER STATIONSの情報によると、フィリピン国内の300万世帯で、その家族のうち少なくとも一人が海外で働いているということです。
  一般には、読売新聞が昨年12月に<米国、韓国の工場労働者やシンガポール、香港で働くメイドなど、海外で就労する約900万人>と報じたように、800万人から900万人という総数が広く使われていますから、海外に働き手を出している家族では平均で3人ずつほど、ということになります。この900万人というのはフィリピンの<労働力人口の2割>に当たっているそうです。
  これだけの割合と数のОFWが、フィリピンへの送金という形で<国内総生産(GDP)の1割>を稼ぎ出しているわけです。そのことはこの国にとっては“いいニュース”でもあります。

  ですが、たとえば…。

  フィリピンでは毎年、2万人以上の看護士が誕生しているそうです。しかし、フィリピン国内の新規需要は1万人以下。1万数千人の新看護士が、もし就職先を海外に見出せなければ、資格を無駄にしてしまう、という仕組みになっているのです。つまり、苦労を重ねて資格を取得したあとでも、わたしの友人、L嬢を待っている状況は必ずしも明るいものではないということです。
  いえ、看護士に限らず、フィリピンでは、自国が生み出す労働力を吸収するだけの産業基盤がないのです。「出稼ぎ大国」(読売新聞)と呼ばれるのは、フィリピンにとって、けっして名誉なことではないのです。

  今回の世界大不況でОFWも多数がそれぞれの出稼ぎ先の国で仕事を失っています。帰国を余儀なくされた者の数も膨らんでいます。L嬢の家族に見られるように、フィリピンへの送金額も減っています。
  読売新聞は<海外労働者支援団体「ミグランテ」(本部・マニラ)のガリー・マルティネス議長は、「自国産業の育成を怠り、労働力の輸出に終始してきたツケだ。このままでは、フィリピン人はどこにも働く場所がなくなる」と訴え>ていると伝えていました。

  ОFWはフィリピンにとって、貴重な外貨を稼ぎ出してくれる頼もしい労働力ではあるのですが、全世界でのその活躍の裏には、歴代フィリピン政府の無能と怠慢という大きな問題が横たわっているのです。

  いえ、家族のうちのだれかが海外で働いているというのは、国内ではまず得られない額の収入を意味しますし、その家族にとって、とりあえずは“幸運”な状態を意味しているのですよ。
  …たしかにそうではあるのですが、L嬢とその家族も、実は、ほかの数百万の家族と同様に、フィリピン政府の長期間にわたる“無能と怠慢”の被害者であるのかもしれません。