第126回 それでも「密約はない」ですって?

  自民党政府が代々“堅固”に維持してきている政策に<非核三原則>があります。外務省のホームペイジには−

  非核三原則について

  日本が核兵器持たず、作らず、持ち込ませずとの非核三原則を堅持することについては、これまで歴代の内閣により累次にわたり明確に表明されている。政府としては、今後ともこれを堅持していく立場に変わりはない。

  −と説明してあります。

  さて、そのうちの<持ち込ませず>については早くから<守られていない><持ち込みを米軍に許す密約があるはずだ>という疑惑と指摘がありました。

  歴代の自民党政府は<米軍による持ち込みは“事前協議”の対象事項だ><米国から“事前協議”の申し入れはいままで一度もない><ないのだから、持ち込みはなされていない><非核三原則は守られている>という“子供だまし”に等しい論法でその疑惑と指摘を否定してきました。

  6月下旬に、その“密約”があったことを自民党政府が隠しつづけてきたことが、日本サイドでも明らかになりました。
  <日本サイドでも>というのは、アメリカ側では1981年にすでに、ライシャワー元駐日大使の「核持ち込み」証言という形で周知の事実になていましたし、その後に、密約があったとする公文書も公開されているからです。

  その<日本サイド>での新展開について、毎日新聞は−

  1960年の日米安全保障条約改定時に核兵器搭載艦船の寄港などを日本側が認めた密約について、87年7月に外務事務次官に就いた村田良平氏(79)=京都市在住=が、前任次官から文書で引き継ぎを受けていたことを明らかにした。(略)日本政府は密約の存在を否定しており、歴代外務次官の間で引き継がれてきたことを認める証言は初めて。
  村田氏によると、密約は「外務省で使う普通の事務用紙」1枚に書かれ、封筒に入っていた。前任者から「この内容は大臣に説明してくれよ」と渡され、89年8月まで約2年間の在任中、当時の倉成正宇野宗佑両外相(いずれも故人)に説明。後任次官にも引き継いだという。

  −と報じています。

  こういう明白な証言があるのに、麻生首相は7月14日、平然と<「『密約はなかった』。そうずっと答弁を申し上げてきている。密約はなかったということなので、私としては、改めて調べるつもりはない」と述べ>ています(朝日新聞)。

  自民党が、党と麻生内閣への支持率をここまで、惨めなまでに下げてきた原因の一つがここにあります。
  現実を見ずに、自らの頭の中だけにある是非の論理で押し通そうとする態度がそれです。
  こんな屁理屈、嘘が通用すると思っている、その頭脳の動きようです。

  東京都民が<国政選挙の前哨戦だ>と考えた東京都議会議員選挙を麻生首相が<都議会(選挙)と国政(選挙)は違う」と言い放って、民意を無視しようとしたのもその例の一つです。

  いえ、麻生首相だけのことではありません。自民党そのものがそんな視野狭窄の政党に成り果てているのです。
  常識が働く社会では、こういう重大な嘘を平然とつく者はほかでも数多く嘘を重ねてきているはずだ、と考えます。自民党は嘘で固められた政党ではないか、と疑います。
  
  「苦言熟考」は2008年4月29日に「フィードバック能力を失った自民党はもう“死に体”」という文章を掲載しています(http://d.hatena.ne.jp/kugen/20081107/1226038718)。
  自民党はあの時点での状態からまったく改善されていないどころか、ますます悪くなってきています。
  自己修正能力を完全に失っています。

  麻生首相は<“政権交代”は目的であってはならない>というようなことを力説し、国民=有権者を、小賢しくも、諭そうとしていました。首相はここでも民意がまったく読めていません。
  いま大半の国民=有権者が感じているのは<“政権交代”を目的にしよう>ということです。<“死に体”の自民党と無理心中をさせられるのは嫌だ><民主党がどういう政治をやるかどうかはあとで心配することにして、とりあえず、ここは、自民党に死んでもらおう>ということです。

  いまだに<密約はなかった>と言い張る政権を誰が信じますか?自らの都合に合わせてしか物事が考えられない、国民=有権者の真の姿が見えていない政党をいつまでも支持しつづける者がどこにいるでしょう?