第124回 <にほん>の語感を愛する心

  
  先生のあのときの担当科目が国語だったのか、社会だったのか、あるいは理科だったのか、それともほかの何かだったのかも覚えていません。
  先生の名前もすっかり忘れています。不思議なことに、その顔はいまでも鮮明に思い返すことができるのに…。

  1960年、受験勉強に励んでいた中学三年生のときでした。それに間違いはありません。
  ですが、授業のどんな流れの中からそういう話が出てきたのかもまったく思い出しません。

  とにかく、その先生は<日本>という字を黒板に書いてから(実は、福岡の方言混じりでだったのですが)こんなふうに話したのでした。
  
  「これだけどね。<にほん>と読むべきか<にっぽん>と読むべきか。…どう思う?ボクは<にほん>とする方がいいと思っているけどね。なぜといって、<にっぽん>と読むと、軍や軍人たちが何かというと<だいにっぽんていこく>なんて声高に叫んで国民を戦争に駆り立てていった戦前、戦中をどうしても思い出してしまうからね。語感がやわらかい<にほん>がボクはいいな」

  あのとき、先生の年齢は五十歳代の初めだったはずです。
  話を聞き終えたときにすぐにわたしの頭に浮かんだのは<あ、これは“告白”だ>という思いでした。直感でした。
  <先生自身が“だいにっぽんていこく万歳”などと叫んで、自分の教え子たちを積極的に戦場に送り込んだ“軍国教師”だったのに違いない。だから、そのことを反省して、いま、あえて、“にほん”の方が好ましいと言っているのだ>
  
  “戦後”15年。“60年安保”をめぐる左右の対立で、首都東京は騒然としていました。
  その“戦後”に生まれた平和至上主義ムードに取って代わろうとでもいうように、教育の現場にも“復古”の波が押し寄せ始めていたのかもしれません。
  先生は、世の中のそんな変化を憂慮して、唐突に、生徒たちにそんな話をする気になったのではなかったでしょうか?
  そんな気がします。
  本来の授業内容とは無関係に、ふとそんな“告白”をしてしまった先生がすごく優しく、人間味を帯びて見えていました。
  
  読売新聞のインターネット版(2009年6月30日)に<「にっぽん」「にほん」、どちらも「日本」…政府が答弁書>という見出しが付された短い記事がありました。
  <政府は30日の閣議で、「日本」を「にっぽん」と読むか「にほん」と読むべきかについて、「いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はない」とする答弁書を決定した>というものです。

  正直に言いますと、日本=自民党政府にまだこのような柔軟性が残っていたことに、わたしは驚きました。
  憲法改正、軍事力強化、自衛隊の活動拡大などを戦後ほぼ一貫して追い求めてきた自民党は、その党員の多くが(公に認めるかどうかは別にして、多かれ少なかれ)大東亜戦争肯定論者であるに違いありません。
  その戦争に日本国民を追い立てたのは<だいにっぽんていこく(陸軍・海軍)>でした。
  <にほん>か<にっぽん>かと問い詰められるようなことがあれば、日本=自民党政府は(呼び方に関する歴史上の事実がどうであれ)ためらうことなく<“にっぽん”だ!>と回答するに違いないと、わたしは思い込んでいました。
  その出発点から右へ右へと傾きつづけてきた教科書検定の長年の歴史がそのことを証明しているはずでした。

  ところが、今回の答弁書は…。

  日本=自民党政府のこの答弁をわたしは、無条件に、歓迎します。
  福岡のあの中学校で<にほん>という呼び方を(ずいぶん複雑な思いで)支持したあの先生の、あの、ちょっと気後れしたような、それでも誠実さが目ににじみ出ていた表情を思い出しながら…。