第301回 “美しい国”ってどんな国?

  官僚というのはいったいどういうふうに物事を考えるのでしょう?
  いくらか旧聞に属しますが、たとえば、中学での武道の正式教科化。
  文部科学省が公表している「武道・ダンス必修化」という「お知らせ」にはこう説明してあります(以下、ダンスの部分は省略)。
  <文部科学省では、平成20年3月28日に中学校学習指導要領の改訂を告示し、新学習指導要領では中学校保健体育において、武道を含めたすべての領域を『必修とすることとしました』>(『』はわたしがつけたものです)
  文部科学省=官僚は<必修とすること>の是非をどう検討したのでしょう。例によって、狭い範囲の“関係者”や“お上”の思うところに沿った答申しかしない“有識者”の意見を聴取した?
  いずれにしても、官僚の“初めに結論ありき”の姿勢しかここには見えませんよね。なにしろ『必修とすることとしました』なのですからね。
  では、なぜ<必修>としたのか?その理由については<武道は、武技、武術などから発生した我が国固有の文化であり、相手の動きに応じて、基本動作や基本となる技を身に付け、相手を攻撃したり相手の技を防御したりすることによって、『勝敗を競い合う楽しさや喜びを味わう』ことができる運動です。また、武道に積極的に取り組むことを通して、武道の伝統的な考え方を理解し、相手を尊重して練習や試合ができるようにすることを重視する運動です>と文部科学省=官僚は説明しています。
  文部科学省=官僚はここですでに、何が<楽しさや喜び>であるかを判断する自由を国民から奪おうとしています。肉体のぶつかり合いによって<勝敗を競い合う>ことを嫌う権利を国民から奪おうとしています。
  こういう押しつけが(一部の)国民を精神的に萎縮させ“武道嫌い”をつくるかもしれない、とはまるで考えていません。
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  説明はこんな具合に進められています。
  ++中学校武道の必修化に向けた条件整備
  <文部科学省では、平成24年度からの中学校学習指導要領の完全実施に向けて、各学校で武道を安全かつ円滑に実施できるよう、指導者・施設・用具の観点から、『各教育委員会の取組を支援しております』>
  ++地域スポーツ人材を活用した運動部活動等推進事業
  <児童生徒が多様なスポーツに親しみ、体力の向上を図るとともに、教員の負担を減らし、多くの児童生徒と向き合う時間を確保する観点から、『地域スポーツ人材(外部指導者)の活用等について実践的な研究を行う』>
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  これが文部科学省=官僚が行う仕事の実態です。
  国民がそれを望んでいようと望んでいまいと、とにかく『必修とすることとしました』→国が決めたことだけれども、どう実行するかについては、いくら無責任だと言われようとも、地方自治体に丸投げして『各教育委員会の取組を支援しております』→必修とすることにはしたが、国にも地方自治体にも十分なカネがないので、とりあえずは『地域スポーツ人材(外部指導者)の活用等について実践的な研究を行う』
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  この「お知らせ」からは文部科学省=官僚の思考がいかに粗末・粗雑かつ無責任であるかがよく分かりますよね。この「お知らせ」には、ちゃんとした筋がまったく通っていないではありませんか。
  <武道は、武技、武術などから発生した我が国固有の文化であり…>と美辞麗句を並べるだけ並べて、実は、<指導者・施設・用具>の育成・拡充・整備については、積極的な役割を国は果たさない。武道の実質的指導者についても、文部科学省としては、その育成は特に行わずに<地域スポーツ人材(外部指導者)の活用>を図ることとし、とりあえずは<実践的な研究を行う>?
  よくもまあ、こんな杜撰ででたらめ、無責任な“事業計画”が立てられたものだ、と思いませんか?
  しばしば使われる言い方をここでもすれば、「民間企業がこのような“事業計画”を実行に移したら、ほとんど間違いなく倒産に追い込まれるでしょうね」
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  文部科学省=官僚の頭は、まるでワガママな幼児のものであるようにしか働いていません。〔あれをしたい〕〔あれをやらなければ〕と思うと、周囲の環境・現実がどうであろうと、とにかく〔やるのだ〕と決めるけれども、それをどう実現するかについては考えも方策も持ち合わせがない。そのことが周囲や当事者たちにどんな混乱をもたらすかについては何の関心もない…(ちゃんとした教師・指導者を育てる以前に小学校でも英語教育を、英語の授業は英語で行うことなどを決めてしまったのと同様に)。
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  日本の行政というのは、それがどの分野であれ、どんなものであれ、その多くはこんなふうに、政府・官僚が決めたことをやるのだ、という決意だけに支えられて実行に移されているのでしょうね。その“決めたこと”自体の良し悪しの検証はだれにもさせずに…。
  その政策が失敗したときにも、誰も、何も責任を取らない形で…。
  原子力発電に関する政策がそうでありつづけたように。
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  安倍晋三氏が首相に返り咲いてからの自民党の傍若無人ぶりには凄まじいものがあります。…何につけても問答無用。
  いやいや、やはり、ここでも、事の善悪をわきまえない“幼児のワガママ”のような、と言った方がいいでしょうね。
  日本国民にとって不幸なのは、分に見合わない“力”をこの“幼児”に与えてしまったことです。“力”を手にしたこの“幼児”が日本を滅ぼそうとしているのに、少なくとも次の国政選挙までは、その暴挙を止める手立てが国民にはないに等しいことです。
  その暴挙を安倍政府・自民党は“戦後の平和主義日本を破壊する”という明確な意図をもって行っているというのに…。
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  安倍政府・自民党は“愛国教育”の必要性を、ますます声高に、訴えています。
  憲法を、いや、ありとあらゆる法律・法規を改悪するか、新たに悪法を制定するかして、何が何でも、その“愛国教育”を進めようとしています。
  “道徳教育の充実”というようなスローガンを掲げて、国民の心の領域にまで干渉の手をねじ込もうとしています。
  ここで、振り返ってみてください。
  安倍政府・自民党が“日本を、すべての国民に愛してもらえるこんな国にします”と言うのを聞いたことがありますか?“美しい国”というのが、具体的にはどんな国であるのかの説明を聞いたことがありますか?
  日本の実態がどんなものであれ、つまり、たとえ日本が(そう安倍首相がこよなく愛している)あの大日本帝国のような非道な軍事国家であろうとも、国民が無条件にその国を愛する国、それが“美しい国”だ、と彼らは言っているだけではありませんか。
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  建築中の住宅の設計図も完成予想図も見せずに「これは実に住みやすい、快適な家だ」と言えと強制する建築会社・工務店がありますか?そんなでたらめで筋が通らない強制をする企業があると思いますか?
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  “愛国教育”に関して安倍政府・自民党がやっていることは、煎じ詰めれば、そういうことです。
  このまま“好き勝手”を許しつづけていると、「日本は実に住みやすい、快適な“美しい国”だ」と言わない国民を罰することさえ安倍政府・自民党はやりかねません。
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  文部科学省=官僚は<指導者・施設・用具>についての周到な準備がないまま中学での武道必修化を決めました。その決定が教育現場に混乱をもたらし、さらには生徒に身体的な危険をもたらしはしないだろうかとはまったく考えもせずに…。
  安倍政府・自民党の“愛国教育”推進の動きが含み持っている危険は、独善と怠慢、無責任が産み出した文部科学省決定の比ではありません。“現場の混乱”程度ではすまないのですから。
  安倍政府・自民党が“これだ”と指定する価値観にすべての国民を含みこんで、反対を許さないようにしようとしているのですから。
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  国民が十分に警戒していないと、彼らはそのうちに、あの大日本帝国こそが“美しい国”なのだ、と主張するようになりますよ。国のために戦場で餓死することも厭わない国民が“愛国者”なのだと言い出しますよ。そんな“愛国者”になんかはなりたくないという者を“非国民”と呼び始めますよ。
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  「国民のすべてが愛することができる、こんな日本を、わたしたちはこう築いていきます」と言わない政治家・政党を信じてはなりません。
  「理想の国はこうだ」とその像を彼らが描いてみせないのは、彼らの胸に“疚しいところ”があるからだ、と思うべきです。彼らが国民を意図的にたぶらかそうとしているのだ、と。
  そんな連中に(わたしの母方の叔父がミャンマーでそうされたように)戦場で餓死または傷病死、あるいは強いられた玉砕死をさせられてはなりません。
  安倍首相らが力ずくで再現させようとしている“大日本帝国”とはまさしくそういうことを平然と行った国だったのですよ。
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  「苦言熟考」はこれまでに何度も「こんな筋が通らない日本語を使いつづけていると、日本人はまっとうな思考ができなくなる」という趣旨のエッセイを掲載してきました。
  世の中の動きを見れば、日本語の劣化が進むに従って、筋が通らないことがますますはびこるようになってきていることが知れます。
  無責任な職務怠慢や、悪意ある意図による“悪行”を、自民党政府と官僚は、これでもかこれでもかと言わんばかりに、くり返しています。
  なのに…。
  日本語力を高めて、“筋が通らないこと”を“筋が通っていない”と感じ取る力を国民が身につけないと、日本は、元に戻ることができないほどに不幸な国になってしまいますよ。
  安倍政府・自民党の傍若無人な政治を漫然と受け入れつづけていると……。
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  「著書「美しい国へ」から安倍晋三語録 – 衆議院議員 安倍晋三https://www.s-abe.or.jp/analects03
  「こんな本を出して恥ずかしくないのか、安倍晋三美しい国へ』/五十嵐仁の転成仁語」http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/2361a26ed3787551a401be5889ad381e
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