第302回 「病理学」から「死因究明学」へ

  「PATHOLOGY」「PATHOLOGIST」という単語があります。
  わたしがこれまでに読んだ英文の(ほとんどがペイパーバックの)本の多くは推理・探偵・法廷闘争小説です。ですから、この二つの単語にはすこぶる頻繁に行き当たってきました。
  KENKYUSHA`S ENGLISH-JAPANESE DICTIONARY FOR THE GENERAL READER という辞典では「PATHOLOGY」には「病理学;病理;病状」、「PATHOLOGIST」には「病理学者」という訳がつけられています。
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  「苦言熟考」は(2005年前後に書いた)その第31回から第34回の「翻訳はホントウニ難しい!!」1〜4(http://d.hatena.ne.jp/kugen/20081204/1228353415など)、番外編の「“翻訳で遊ぼう”はてな?集」1〜5(http://d.hatena.ne.jp/kugen/20081208/1228696173など)で、法廷推理小説<REASONABLE DOUBT> Philip Friedman (IVY Book)の日本語訳本「合理的な疑い」(ハヤカワ文庫)には誤訳や誤訳だと思われる個所が多すぎると指摘したことがあります。
  「番外“翻訳で遊ぼう”おまけ編」1〜2(http://d.hatena.ne.jp/kugen/20081213/1229128014など)では「誤訳ではないけれども、こう訳した方が読者に分かりやすいのではないか」という個所も取り上げて意見を述べました。
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  その「おまけ編」の第7項目では<a medical doctor trained in the specialty of forensic pathology>という原文に触れていました。翻訳文庫本「合理的な疑い」では83ページに「法医学を専門とする(略)医学博士」と訳されています。
  それについて、わたしは次のように述べていました。
  -- <forensic>というのはここでは<法廷の、法廷で用いる>という意味です(「リーダーズ英和辞典」研究社)。
-- <pathology>はふつう<病理学>と訳されます。
-- すると<forensic pathology>は<法廷病理学>となるべきでしょうか?何であれ、ただの「法医学」では手抜きだと思えますね。
-- <pathologist>という単語もこの小説の中に出てきます。どの辞書でも<病理学者>という訳になっています。この<病理学者>が何をするかというと、簡単にいうと、医学の見地から死因を究明するのです。
-- 小説を読んでいてこの単語に出合うたびに、これは、ただの<病理学者>ではなく<死因究明学者><死因究明医>とでもした方がうんと分かりやすいのに、と感じます。
-- すると<forensic pathology>は?<法廷(用)死因究明学>あたりが一番ではないでしょうか?
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  その「死因究明学」「死因究明学者(死因究明医)」という訳語が日の目を見るときがきたようです。
  2014年1月21日の東京新聞インターネット版に【大阪大「死因究明学」立ち上げへ 犯罪見逃すな】というタイトルをつけた記事が掲載されました。
  <死因を科学的に究明し、犯罪死の見逃しを防ぐ専門家養成のため、大阪大は来年4月から新しい学問分野「死因究明学」コースを立ち上げる。発案者の松本博志教授(法医学)によると、世界初の試み。世界的に未整備の死因診断ガイドライン作成や、海外と比べて低い解剖率の上昇を狙う>
  <内閣府によると、2010年は約1万9千体を約170人の法医学者や監察医が解剖した。警察が扱った遺体の約17万4千体の約11%と、解剖の実施率は欧米よりも低く解剖医などの人材育成が急務とされてきた>
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  「死因究明学者」あるいは「死因究明医」を本格的に育成することに大阪大学はしたわけですね。
  「法医学者や監察医」「解剖医」というあいまいな名はやがて「死因究明学者(あるいは死因究明医)」に置き換えられていくことになりそうです。
  英和辞典の説明も、そう遠くない時期に、改められることになるでしょうね。
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