第289回 自分流シャレで遊んでみる

  このエッセイは9月20日に掲載する予定で書いていたものですが、その前日、19日から(おそらくこの地域での広範囲の洪水のために)地元の電話回線が大混乱し、インターネットも、さきほど、26日午前、まで使えなくなっていましたので−−。
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  苦言熟考」で言及しておきたいことはこの瞬間にも数多くあります。ですが、今回は“息抜き”−−。
  落語とシャレの話でくつろがせてもらいます。
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 その前にちょっとだけ触れておけば、その「言及しておきたい」ということの中には、こんなものが−−
  たとえば“集団的自衛権”。<この懇談会は、第一次安倍政権で首相が設置。第二次内閣でも今年二月、全く同じ十三人のメンバーで再スタートした。現在は十四人。いずれも講演や論文などで、集団的自衛権の行使を容認する考えを明らかにしている有識者ばかりだ>【首相有識者懇が再開 憲法解釈見直しありき】 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013091890070130.html 東京新聞 2013年9月18日。
  たとえば“秘密保護法案”。<国の情報は公開が大原則のはずだ。これまでの情報公開への取り組みや公文書管理の扱いを見ていると、政府は原則をなおざりにしたまま、情報の囲い込みにばかり目を奪われているように思える>【疑問点があまりに多い秘密保護法案】 http://www.nikkei.com/article/DGXDZO59415920X00C13A9EA1000/ 日本経済新聞 2013年9月7日。
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  国民に公正な情報・資料を提供して広く自由に議論してもらおう、という発想が自民党にはないことがあまりにも明らかです。
  国会の議席の上でゆとりある多数派となっていることをいいことに、御用学者などを集めた有識識者懇談会とやらの意見を大急ぎで聞い(たふりをし)たあとで、有無を言わせずに、何事も自党が望むように国会で決めてしまおう、という傍若無人ぶりがますます顕著になっています。
  民主主義とか基本的人権とかいう点では、いまの自民党というのは根底から危険な政党です。日本の中国化、いやいや、北朝鮮化を進める恐ろしい政党です。
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  さて、さて、落語。落語は、若いころから、好きでした。
  兄が東京の大学に通っていたころには、兄の下宿に遊びに行くたびに、一度は、新宿の寄席、末広亭に出かけるようにしていましたし、その後、結婚してからは、文庫本版の落語全集のようなものを買って、自分で読んだり、その中から、よく知られた古典を妻に読んで聞かせて二人で笑ったりもしたものです。
  ことしの6月に福岡に帰省した際には、そんなことを覚えている、おなじく落語好きのその兄が柳家小三治独演会に、それも二晩つづけて、連れて行ってくれました。
  毎年、1月下旬にマニラに遊びにやって来る兄夫婦、その友人との長距離ドライヴ旅行の途中で、先代柳家小さん人間国宝)の秀作「千早振る」をネタにしばらく落語談義にふけって、皆で大笑いをしたこともあります。
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  その兄が数か月前に、YouTubeで落語が見られることを教えてくれました。
  いやあ、(いまはやっている言葉でいうと)すっかりハマッテしまいました。
  合法的にアップロードされたものかどうかは知りようがありませんが、とにかく、その数が多いこと、多いこと!
  古典を自分の主芸とする名人たち、(何代目であるかには触れずに名を挙げますと)古今亭志ん生や、三遊亭円生柳家小さん桂米朝人間国宝)、それに、落語家としては“若死に”した古今亭志ん朝桂枝雀などのヴィデオはそれぞれ、いったい何本見られることか!
  加えて、柳橋、柳好、金馬、文楽三木助、可楽、円蔵(彦六)春団治松鶴、円楽、談志……。
  落語家の総数は、東京と大阪とを合わせると400人に達するだろうといわれていますが、YouTubeを代表とするヴィデオのアップロード・サイトに自分の噺が一席も載せられていない落語家は少ないのではないかと思われるほどに、その陣容は多様でもあります。
  つまり、インターネットのヴィデオ掲載サイトで楽しむことができる落語の数は、ありがたいことに、ほとんど無限に見える、ということですね。
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  広く馴染まれている古典落語によく登場する人物といえば八っつあん、熊さん、与太郎、大家(家主)さん、それに、ご隠居さんなどですよね。八っつあんと熊さんは職人、与太郎は二十歳ぐらいの、頭の動きが遅い、無職の若者とほぼ決まっているように、ご隠居さんというのは、まずは、商売を息子に譲ったあと、横丁の住まいで悠々自適の暮らしを楽しんでいる“物知りの老人”ということになっています。
  その横丁のご隠居が出てくる噺のいくつかに耳を傾けているあいだに、ふと、こんなことを思いました。
  “横丁のご隠居さん”は息子に商売(の経営権)を譲って“老後”を楽しんでいるわけだが、人間が“隠居”することを考え始めるのはどんな状況でなのだろうか?
  落語の世界ならぬこの現実の暮らしでは“隠居”ではなく“退職”もしくは“引退”というのだろうが、その“退職”もしくは“引退”には、人それぞれではあるにしても、これといったきっかけがあるものなのだろうか?
  そこで、話が分かりやすいように、スポーツ選手、運動家を“材料”にして、彼らが“退職”もしくは“引退”した方がいいのではないかと考始めるべきなのはいったいどんなときなのだろうかと、あくまでも落語にほとんどを占拠された頭で、考えてみました。
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  ちなみに、橘家円蔵月の家円鏡)は「たいこ腹」という噺の“まくら”の中で、落語家にも“定年”はある、それは噺の“とちり”や“忘れ”がひどくなったときだ、と語り、自分自身がその“定年”を考えだしたことについては、「浮世床」を語っていた際に、噺の終わりの方で「湯屋番」に入ってしまったのに、そのことにすぐには気づかなかった、ということがあってからだ、と告白しています。「布団敷いて寝ましょうよ」というくだりが両方の噺にあったことが原因だったそうですよ。
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  自分流のシャレで、そろそろ引退した方がいいのではないかと思うのは、こういうスポーツ選手、運動家たちです…
  *レースに備えて馬にまたがろうとする際に、5回に2回はその馬の向こう側に転げ落ちるようになった競馬の騎手(そんな具合だったら、レース中に落馬することもあるかも。いやいや、ご自愛を!)
  *柔道着を整えなおすようにと審判に命じられたもので正座して直しているあいだに脚がしびれて立ち上がれなくなる柔道家(教えている町道場では、子供たちに気づかれないように!)
  *取り組み前に床山さんに髷を結ってもらっているあいだに、その日とる相撲のことよりは抜け毛の本数の方を気にするようになった相撲取り(だって、引退後の断髪式での見栄えのことをもう心配し始めているわけでしょう?)
  *内角に投げられたボールがかすんで見えるようになったので半月型の老眼鏡(シニアグラス)をかけて打席に立とうかと考え始めた野球選手(近視の選手なら二重焦点レンズ?無理、無理!)
  *ゴルフバッグの中のクラブ3、4本を、雇用主のプロに持ってもらわないと、トーナメント会場の急斜面が登れなくなったキャディー(たしかにバッグは重い。だから、このプロが優しいのはよく分かりますが、それで賞金が稼げます?)
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  そんなばかな、という状況がもしもあったら?笑いとシャレの多くはそんなところから産み出されるものですよね。
  上の5作は(だれにでも笑ってもらえるようなシャレにはなっていないかもしれませんが)、それ考えているあいだは、脳の、普段はあまり使わない部分が動く、気分転換ができる、案外に楽しい遊びでしたよ。
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  あなたはどんなときに“引退”あるいは“退職”を考えます?
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  【ビートたけし 自身の引退の時期に触れる「誰が決断するのか」】(デイリースポーツ 2013年09月28日)
http://news.livedoor.com/article/detail/8109212/
  <「自分はお客の前で芸をして上がってきた人間なんで、自分で辞めようとは思わない。じゃあ、誰が決断するのか。引退はお客が決めること。お客さんが『もうたけし見たくない』となったら自然と視聴率も悪くなる。誰も見なくなる。そしたら辞める」><「リタイアってのは体が動かなくなって、発想もできなくなって、倒れたらリタイアだと思うよ」>