第207回 魁皇の“大記録”

  20年前には「不滅だろう」と言われていた横綱千代の富士の通算勝利数1045という記録を、大関魁皇がこの7月の大相撲名古屋場所中に破りました。相撲を中継放送するNHKはもとより、多くの報道機関がこの大記録を大きく報じ、魁皇を賞賛しました。
  魁皇の偉業に水を差すつもりはありません。相撲界入りしたときからこつこつと積み重ねてきた白星の数が、幾多の負傷を乗り越えて、いまでは“満身創痍”となりながらも、前人未到の域に達したのですから、実に立派なものです。
  しかしながら、この偉業を扱う報道機関の姿勢にはまったく納得ができません。魁皇自身が記者会見などで何度も示唆しているにもかかわらず、報道機関は、この大記録が、横綱ではなくて、大関によって打ちたれられたのだ、という事実をほとんど報じようとしなかったからです。
  この名古屋場所魁皇は初日から三連敗を喫しました。それも実に惨めな形で。あれが横綱ならば、当然のことながら、地位の重み、権威を損なうとして休場を強いられるか、前場所の成績しだいでは引退も考慮しなければならない状況でした。魁皇が四日目も出場し、勝ち、千代の富士の記録と並び、翌日には1046勝目をあげることができたのは、彼が、横綱ではなくて大関だったからです。そのことを疑うことはできません。
  「大相撲の大関というのは一年間にわずかに24勝するだけで永遠に保つことができる、重みのない地位だ」と、魁皇の出身地である福岡県に住む兄が言うのを聞いたのは二年ぐらい前のことだったと思います。そういう計算をしたことがなかったわたしは「なるほど」と、その目のつけどころの妙に、すこぶる感心したものです。たしかに、制度の上では、15日間すべてを休場しても、あるいは、極端なことをいえば、全敗しても、翌場所に8勝すれば、大関の地位は守られることになっています。一場所15日、年6場所、全90取り組み。大関はそのうちの24取り組みに勝てば、その地位保持することができるのです(魁皇 大関在位通算65場所 元大関千代大会と歴代一位タイ)。
  初日から五日目までに三敗でもすれば、体調不良や負傷を理由にして休場するのが慣例となっているかのような、あるいは、そんな場所が二つもつづけば引退に追い込まれることになりかねない横綱と、2場所連続して負け越さなければその地位にとどまることができる大関とでは、その一勝、いや、一敗の重みがまったく違いますよね。
  千代の富士の1045勝は、横綱の宿命であるそんな引退プレッシャーに耐え、その地位を守りながら達成されたものです。カドバンの場所を何度もかろうじて乗り切ってこの記録に到達した魁皇と、正真正銘の大横綱千代の富士とを同列に論じようとする報道機関の気がしれません。
  いや、本当のところは、魁皇の記録がいかにも大きいものであるように報じれば、場所に足を運ぶファンも増え、テレヴィの視聴率は上がり、新聞を買う者も増えよう、と考えてのことなのでしょうね、やはり。
  魁皇の大記録はあくまでもこの関取が横綱になれなかったから達成されたものだ、つまり、どの時点かで横綱になっていればとうに引退を強いられていて魁皇がこの記録に到達することはなかっただろう、ということを明らかにしないで平然としていられる日本の報道機関!
  何につけても、事を本質的なところで論じようとせずに、ただムードを煽り世論を誘導することで、購読者と視聴者の数を一定程度に保って生き延びようとしているマスコミの特質がここにもよく表れています。
  いやいや、マスコミというのは、しょせんは、そんなものなのでしょう。困ったことです。
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  上のエッセイをここに掲載したあと、間もなく、こんなニュースが報じられました。
  魁皇、現役引退を決断…日本人大関不在に (読売新聞 7月19日(火)19時17分配信)
  <大相撲の大関魁皇(38)(本名・古賀博之、福岡県直方市出身、友綱部屋)が、愛知県体育館で開催中の名古屋場所10日目の19日夜、現役引退を決断した><同夜、師匠の友綱親方(元関脇魁輝)が「本人が引退すると言ってきた」と発表した><20日に日本相撲協会に引退届を提出し、年寄「浅香山」を襲名する>
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  <<「九重親方は余力があって引退した。比べるのも申し訳ない」大関魁皇>>(朝日新聞2011年7月15日)
  <「九重親方(元横綱千代の富士)は余力があって引退した。自分は必死こいてやっと並んだ。比べるのも申し訳ない」13日、史上最多タイの1045勝を挙げた大関魁皇・・・>