第282回 虚言に振り回されないために

  いわゆる“語学留学”をわたしが体験したのは1979年の秋から翌年の春にかけてのおよそ半年間です。留学先としては、日本との距離や授業料などを考慮して、カリフォルニア大学リヴァーサイド校(UCR)を選びました。
  プレイスメント・テストを受けた後に割りふられたのは、英語の実力では上から二番目にあたる400クラス。アメリカの高等教育機関に進学したい外国人の英語力を計るテスト=トーフルをその時点で受けたら(当時の配点方法で)400点台をとるだろうと思われる英語力の学生が学ぶクラスのようでした。
  毎日5時間、週5日、授業中には英語しか使われないという環境の中で、計20週間にわたって、文法、リスニング、語彙(ヴォキャブラリー)、ライティング、スピーキング(スピーチ)などの授業を、懸命といっていい熱心さで受けましたし、毎日の復習と予習とにも多くの時間を費やしました。そんな努力のかいがあったというのでしょうか、二学期間の授業を受けたあとのわたしの英語力は、実感としても、“留学”することを思いついたときには期待してなかったレヴェルにまで到達していました。
  ただし、リスニングは例外でした。授業中以外はおもに、日本人学生たちがつくっている“日本語環境”の中で時間を過ごしていたことが原因だったはずです。この語学留学の終盤になって受けたトーフルでの総合点が500をあまり超えていなかったのは、主として、リスニング力の伸び悩んだせいだったと感じています。
  さて、そんなこんなのこの“英語留学”中に、実は、その後のわたしの思考過程を変えるような大きな収穫がありました。ライティングのクラスで「小論文の書き方」を学んだことです。「目から鱗が落ちる」という表現がありますよね。あれでした。
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  一般には「パラグラフ・ライティング」としても知られているこの「小論文の書き方」は(ここで参考にしたサイトの著者名が不明なのが残念ですが、クラスでも)だいたいのところでは、下のように教えられていました。
A paragraph is a group of sentences about the same topic. A simple paragraph can be created as few as four or five sentences: a topic sentence, a few main support sentences, and an optional concluding sentence. One paragraph has one main idea.
  「一つのパラグラフには一つのメイン・アイディアしか書いてはならない」という、日本語で思考しているときには思いつきもしなかった考え方には大きなショックを受けましたし、理想的なパラグラフというのは、トピック・センテンスをサポート・センテンスで下支えするという優れた整合性=構造を持っていなければならないという(いま思えば当然の)教えにはすっかり感心させられてしまったものです。
  なぜといって…。わたしがそれまでに書いていた(日本語の)文章は、自分が「言いたいこと」を、思いつくままに書いていただけでしたからね。読む人に“理解してもらいやすい構造”で書いているかどうかにはほとんど注意を払わずに。
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  上のサイトに掲載されていた例文は次のとおりです。
Glass has important characteristics that set it apart from other materials. Glass appears to be fragile, but it can offer protection as well as visibility. Although many people consider glass to be merely practical, it can also be made into objects of beauty. Furthermore, the optical properties of glass have changed our view of the world. With its unique properties, glass is a versatile material with many uses. 
  このパラグラフは次のように構成されています。
Glass has important characteristics that set it apart from other materials. (トピック・センテンス)
Glass appears to be fragile, but it can offer protection as well as visibility. (サポート・センテンス1)
Although many people consider glass to be merely practical, it can also be made into objects of beauty.(サポート・センテンス2)
Furthermore, the optical properties of glass have changed our view of the world.(サポート・センテンス3)
With its unique properties, glass is a versatile material with many uses.(コンクルーディング・センテンス)
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  トピック・センテンスというのは、そのパラグラフの中で「言いたいこと」に当たります。
  サポート・センテンスというのは、その「言いたいこと」を裏づけするための文で、下のように説明されます。
  Supporting sentences give details and information to explain the topic sentences. If our topic sentence says that glass has important characteristics, we can support this statement by listing some of those characteristics.
  コンクルーディング・センテンスというのは、その「言いたいこと」を言い終えたことを示す文です。
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  「小論文の書き方」のクラスで「目から鱗が落ちた」と感じたのは、私自身が、いや、大半の日本人が、実に多くの場面で、トピック・センテンスだけで会話をしたり、意見を交換した(つもりになった)りしていることに気づかせられたからでした。
  サポート・センテンスを示さなくても、つまりは“言いっ放し”でも、相手を納得させることができるはずだと、大半の日本人が信じているらしいことに目を向けさせられたからでした。
  サポート・センテンスが付されていないトピック・センテンスはただ“主観”あるいは“希望”を述べているにすぎない、だから、“主観”や“希望”ではなくて“事実”や“真実”を述べたいのなら、その「言いたいこと」には“根拠がある”ということをサポート・センテンスでちゃんと示さなければならない、ということを学んだのです。文章を書いたり、何かを論じたりする際の強固な土台が初めて見つかったのです。
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  1979年から34年が過ぎています。
  下の引用を見てください。
  【医療と成長―財源を語らない無責任】(社説 朝日新聞 2013年7月7日)
  <一方、医療分野の振興で経済成長をめざそうという主張が目立つ><自民党は公約で、医療関連産業の市場規模を現在の12兆円から20年に16兆円へ拡大させることを掲げた><日本維新の会は「規制緩和によって医療政策を拡充」とうたい、みんなの党は「医療・介護の大改革」をアピールする><民主党も政権を握っていたとき、革新的な医療技術の開発を成長戦略に盛り込んでいる><医療技術の進歩自体は歓迎すべきものだ。ただ、それを利用するにはお金がかかる。日本の医療費は、だいたい年3%ずつ増えているが、うち1〜2%分は「医療の高度化」が要因だ><誰がどう負担するのか> <そう考えるなら、各党とも公的医療の財源を確保する道筋を示す必要がある。医療産業の振興を叫ぶだけでは無責任だ>
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  このエッセイで述べていることに沿って読み直せば、上の社説は、各政党の<医療産業の振興を叫ぶ>という“トピック・センテンス”にはその<道筋を示す>ためのサポーティング・センテンス”が欠けている、と指摘しているということになります。
  進行中の参議院議員選挙で各政党が掲げている選挙公約のほとんどすべてはトピック・センテンスだけで成り立っているのではありませんか?その公約を実現するための“道筋”をサポート・センテンスとして書き込んでいる政党はありますか?
  “アベノミクス”もおなじです。威勢がいいトピック・センテンスがずらりと並べられていますが、その“威勢”を支えるためのサポート・センテンスは欠けています。
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  サポート・センテンスを欠いた論は、実は、何も言っていないのとおなじです。それが選挙公約であれ経済成長戦略であれ、言っていることを裏づけするサポート・センテンスが欠落しているものは、そもそも“論”ではありません。
  政治家たちが懲りることなく“暴言”や“妄言”“失言”をくり返すのも、何かを論じるのに必要な“思考の構造”が彼らの頭にはないからです。発言をまともに裏づけることができるサポート・センテンスが自分には書けるだろうか、とはまったく考えないからです。…そうでなければ、“言いっ放し”の方が相手をたぶらかしやすい、と常日頃から信じているからです。
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  いえ、口にすること、文章にすることのすべてを「小論文の書き方」の教えどおりにしなければならない、と言っているのではありません。このエッセイ自体もそういうふうには書かれていません。
  「“裏づけ”がないことを自分は言いっぱなしにしてはいないだろうか?」「ちゃんとサポート・センテンスをつけて自分は論じているだろうか」と考える習慣を身につけることができれば、人は、世を支配しにかかってくる“虚言”を見破り、それに打ち勝つことができるようになるだろう、そうなりたいものだ、と言っているのです。
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  UCRの英語プログラムのライティングのクラスで「小論文の書き方」を学んだことで、わたしの目から鱗が落ちました。実に大きな収穫でした。
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  「小論文の書き方」に関するサイトをアメリカの多くの大学が持っています。
  日本語では、たとえば、「小論文・レポートの書き方」(http://shouronbun.com/index.html)というサイトもあります。
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