今回は、1988年3月15日に「加州毎日新聞」のコラム「時事往来」に書いた〖<読みかえ>文化〗

  =「加州毎日新聞」は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です=
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  古田武彦という歴史学者がいる。日本の古代史が専門だ。元高校教師で、どこかの大学で歴史を専攻し、のちに研究室に残り、助手、助教授、教授と、研究一筋にやってきた、という経歴の持ち主ではない。
  日本の国家の起源を探る古代史研究は−文献上は−ほとんど、中国に残されている「三国志」(写本数種)の中の<魏志東夷伝倭人の条>−魏志倭人伝−の解読に絞られて行われている。だが、<倭人伝>には、少し誇張して言えば、研究者の数だけ読み方があって、その膨大な研究論文の数にもかかわらず、解読に定説はないに等しいようだ。
  <そうなったのは何故か>と古田氏は考えた。
  <倭人伝>は、群がる研究者の手で、あまりにも無残に“ご都合主義”的に切り刻まれ、解釈され、意味を変えつづけられてきた。日本の古代史研究者たちが普通に用いてきた最も有用な読解法は、<倭人伝>の解釈に苦しむ個所、自分の推論に適合しない個所は、“中国人が間違えたもの”として処理する、というものだった。<倭人伝>にたとえば“西”と書いてあっても、自分の説にとって都合が悪ければ平気で“これは、日本を訪れた中国人たちが聞き間違えたか書き写し損なったもの”などと見なし、たとえば“これは北の誤り”と決めつけきたのだ。
  江戸時代以来、こういう“読みかえ”が古代史研究者たちの常識となっていた。
  古田氏は、もし、“西”と“北”が取り違えられていると思ったら、その可能性を検討するために<倭人伝>を含む<魏志>全体に視野を広げ、ほかにも同じ“西〜北”の混同、取り違えがあるかどうかを確認すべきではないか、と考えた。古代文書が書かれ、残され、書き写されているあいだに、間違いが生じる可能性や、偽物が紛れ込む恐れはおおいにあるが、“西〜北”の間違いと決めつけるには、それなりの“証拠”が必要なはずだ、というわけだ。
  古田氏の「邪馬台国はなかった」という本が刊行されたのは1970年だったと記憶している。この本の中で古田氏はまず、古代日本のどこかに存在したとされ、一般に“邪馬台国ヤマタイコク、ヤマダイコク)”と呼ばれている国の名に疑問を抱いた。<魏志>を含む「三国志」(古代中国の魏、呉、蜀の正史)の最も信頼できる写本には実は“邪馬台国ヤマタイコク”ではなく“邪馬壹国(ヤマイチコク)”と書かれていたからだった。“壹”は“壱”であり“一”の古文字。“台”の古文字である“臺”と“壹”はたしかに字面は似ているが、文字の国である中国の“正史”の写本の中で間違えて気づかないほど似てはいない、と古田氏は見た。
  だが、と古田氏は考えた。日本でこのように“邪馬台(臺)国”の呼称が定着しているからには<魏志>のほかの個所でも中国人は“壹”と“臺”とを取り違えているかもしれない。
  親鸞の研究では実績があったものの、古代史ではまだ素人だった古田氏はそれから−まったく気が遠くなるような話だが−<魏志>の中のすべての“壹”と“臺”の文字を探し出し、それぞれの意味などを確認しながら、両者に混同がないかどうかを調査した。
  結果はどうだったか。−混同はただの一つも見つからなかった。
  日本の古代史学界はいったい何をもって“邪馬台(臺)国”と呼ぶことにしたのだろう。
  客観的な方法で確認されるまでは、自分に都合のいい、勝手な読みかえはしない、というあまりに平凡な方法論と信条を守り通すために、古田氏は史料の探査と研究に多大の時間を割いている。
  古代史学会では“異端者”である古田氏の史実を求める孤独な戦いはいまもつづいている。
  まさかこの学会に倣ったのでもあるまいが、外国と“条約”“協定”などを結ぶと、日本政府の解釈は何故かいつも、相手国のものとは異なってしまう。国内向けの“読みかえ”で国民を騙しているとまでは言わないが、真摯さに欠けるという印象を抱かせられることが少なくない。
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  〖安倍首相の「積極的平和主義」に本家からクレーム〗 朝鮮日報 2015−8−24 (http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/08/24/2015082400419.html
  <平和学者ガルトゥング氏が1960年代に提唱した「積極的平和」とは>
  <「日本の安倍晋三首相は、私が主張した『積極的平和主義』という言葉を盗用しないでほしい。安倍政権が歩んでいる道は『積極的平和』とは正反対だ」> <日本の市民団体の招きで、今月19日から日本各地を回り講演を行っているノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥング氏が、22日に沖縄で講演を行った際、冒頭のように述べた>  
  <ガルトゥング氏は1969年に発表した論文で、単に戦争のない状態を「消極的平和」とする一方、貧困や差別などの「構造的暴力」がない状態を「積極的平和」と定義した。ガルトゥング氏の研究を土台として、人権や福祉の向上に関する市民運動が大きく盛り上がった。ガルトゥング氏は「安倍首相がいう平和とは、軍事力に基盤を置いたものであり、戦争を拒否する日本の平和憲法こそが真の積極的平和主義の象徴だ」と指摘した>
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