第338回 ティーム力と髪の長さとの関係?

  マニラ首都圏の八つの大学で構成されているUniversity Athletic Association of the Philippines(UAAP)の77番目のシーズンが終わりに近づいています。
  わたしがずっと注目してきた女子ヴァレイボールも第一次、第二次の総当りリーグ戦が終わり、上位4ティームによる勝ち上がり方式のトーナメントに間もなく突入しようとしています。
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  「苦言熟考」は、ほぼ一年前の昨年3月に【第307回 フィリピン大学女子ヴァレーボール:優勝したのは】というエッセイを掲載しています(http://d.hatena.ne.jp/kugen/20140321/1395349974)。2013年11月30日の【第296回 フィリピン ヴァレーボール 学ばないことには】(http://d.hatena.ne.jp/kugen/20131130/1385761437)を受けて書かれたものでした。
  その昨シーズン。シーズン前の(リーグ戦で上位4位に残れれば上出来だろうという)大方の予想を覆して優勝候補の“強豪”De La Salle University(DLSU)を破り“奇跡の逆転優勝”を果たしたのは、アジアでのヴァレイボール先進国タイからヘッドコーチを迎えていたATENEO DE MANILA UNIVERSITY(ADMU) LADY EAGLESでした。
  さて、今シーズン。昨年優勝したADMUが、総当たりのリーグ戦を無傷の14戦全勝で乗り切り、これから始まる勝ち上がりトーナメントでは、連続3敗しなければ優勝するという優位なポジションにつけています。ライヴァルである“強豪”DLSUは、予選リーグでADMUに2敗して、トーナメントには2位で臨むことになっています。
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  −−というぐあいに下地を整えたところで、フィリピンの大学女子ヴァレイボールを材料にして、頭を少し遊ばせてみることにしましょう。
  次のようなリポート(記事)を読んだら、それをどう解釈しますか?
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  *シーズン75に圧倒的な力を示して優勝したのはDe La Salle University(DLSU)だった。プレイヤーたちは、一人の例外もなく、短髪だった(ポニーテイルはもちろんのこと、ピグテイルにしている選手さえいなかった)。
  *シーズン76のDLSUは、予想に反して決勝戦でADMUに大逆転され、準優勝に終わった。そのプレイヤーたちの中には、肩まで届くほどではなかったが、髪をいくらか伸ばしかけた(ピグテイルの)者が数人含まれていた。
  *DLSUは今シーズン、リーグ戦を2位で終わり、勝ち上がりトーナメントではADMUをひどく不利な立場から追いかけることになっている。このティームには、髪をポニーテイルあるいはビグテイルにしているプレイヤーが少なくとも4人はいる。
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  上のリポートから何を読み取りますか?
  1「強豪DLSUの力が落ちてきているのは、プレイヤーたちの中に、髪を長くする者が出てきたかららしい、と考えるのがやはり自然だと思える」?
  2「DSLUのティーム力とプレイヤーたちの髪の長さとには何の関係もない。なのに、このリポート(記事)は、いかにも両者に関連があるかのような書き方がされている。だから、このリポートは信頼できない」?
  3「いや、関連はあるはずだ。DSLUがシーズン75に優勝したのは、全プレイヤーが短髪にすることに同意するほどティームの結束が固く、実力を十二分に発揮できたからだ」?
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  とりあえず、三つの解釈例を上に挙げてみました。
  リポート(記事)には、DLSUの成績とプレイヤーたちの髪の長さとが、そう、単なる事実として、並べて述べられているだけですよね。
  しかし、これを読む方では−−
  並べて書かれているからには、そこには(ここではまだ明らかにされていない)何らかの関連があるに違いない(1)。
  科学的には絶対に証明できないティーム力とプレイヤーたちの髪の長さとの関連性がいかにもありそうに書かれたこのリポートには何か裏、隠された狙いがある、と考えるべきだ(2)
  相互の関連性は科学的には証明できないかもしれないが、シーズン75では、プレイヤー全員が短髪にすることで同意したというところにティーム力の(精神的な)源泉があった、だから優勝できた、と推測できるのではないか(3)
  −−などと、さまざまに考えるかもしれませんよね。
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  つまり、事実を記述しただけのリポート(記事)でも、それが伝える意味は必ずしも一つではないということです。
  ある情報をどう受けとめるべきか−−。
  解釈するのは、結局は、情報の受け手です。情報に惑わせられないためには、正しく解釈する能力を受け手は身につけていなければならない、ということですよね。
  意図的にあいまいにした情報で他人を、いや大衆を、惑わせようという輩もこの世には少なくないようですからね。
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