第260回 礼に始まり礼に終わる?

  2012年の福岡場所は横綱白鵬が優勝して11月25日に終了しました(九州場所をあえて福岡場所と呼ぶのは、名古屋場所を中部場所、春場所=大阪場所を関西=近畿場所、夏(5月)場所・秋(9月)=東京場所を関東場所とは呼ばないから、整合性ということを考えればこうなる、と思ったからにすぎません)。
  NHK(日本放送協会)の国際放送でこの福岡場所を見ていて「日本相撲協会はいったい何を考えているのだろう?」と、いつもの場所中とおなじ思いに何度も捉えられました。
  日本人が物事をちゃんと考えなくなってきている=きちんと物事を捉えなくなっている=自分の言っていることが事実や証拠、計画などでちゃんと支えられているかどうかに無頓着になっている、というのは、わたしの長年の憂いなのですが、大相撲の世界にもこの種の“でたらめ”があふれています。
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  第一のでたらめは「相撲は礼に始まって礼に終わる」という、同協会の主張・喧伝です。神話と呼んでもいいかもしれませんね。
  思い出してください。いわゆる花道から土俵下に入る際とそこから出て花道に戻る際の力士たちの頭の下げ方に、誠心誠意の「礼」が感じられますか?相撲を終えて土俵から下りる直前の力士の頭の下げ方に(自分が勝ったにしろ負けたにしろ)相手力士と土俵への深い敬意が示されていると、あなたは受け取りますか?
  力士たちの表情には「こうしたところでは頭を下げるものだと教えられいるから下げているのだ」というような不遜な気配さえ感じられます。そこに「礼」が込められていないのです。福岡場所で小結を務めた豊真将をのぞいては。
  生地佐賀の言葉に「きゃーなずったように」というのがあります。わたしたちの親の世代までは頻繁に使っていた言葉の一つのようです。その意味は最も広くは「誠意のかけらも見せずに」、少し狭めれば「だれか=他人=相手を小ばかにしたように」というようなところでしょうか。
  そんな佐賀弁を思い出すのは、ほとんどの力士たちの頭の下げ方が「きゃーなずったように」見えるからです。
  「相撲は礼に始まって礼に終わる」ものだと言い募りたいのなら、相撲協会はまずこの頭の下げ方から改めなければなりません。下げた頭と視線はちゃんと真正面の元の位置まで戻すこと!それが土俵への、相手力士への「礼」の正しい示し方なのではありませんか?
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  第二のでたらめは「満員御礼」の出し方。北の湖親方が前に理事長だったころに、協会は客の入りが8割程度になれば「満員御礼」の垂れ幕を下げている、という話が巷間に伝わったことがありましたが、この福岡場所で(19年ぶりに!)5回出たとかいう「満員御礼」の日の客席も、相変わらずで、あちこちに空きが目立っていました。8割で「満員御礼」を出す虚礼は、協会の客に対する謝意=誠意の表れではなく、自分を良くみせようという見栄に根づいたものだとしか思えません。
  ちなみに、日本のプロ野球が試合ごとの観客動員数を細かく公表するようになってから、かなりの年数が経ちましたよね。しかし、この事実からも、相撲協会は何も学んでいません。試合が行われる日の東京ドームの入場者数はいつも5万5000人だとしていた、ジャイアンツの、あの「自分さえよければ」という情報伝達感覚を、相撲協会はいまでも持ちつづけているのです。…あれで、真実を知らせることが新聞の使命だとは、ジャイアンツの親会社である読売がまったく考えていないことがよく理解できたものでしたが。
  空席が目立つ日の「満員御礼」から、正確な情報伝達というものを相撲協会がいまだにどれぐらい軽視しているかが知れますよね。
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  第三のでたらめは、協会がいまでも「ゆるふん」を厳しくは取り締まっていないことです。「ゆるふん」(ゆるく締められたふんどし)というのは、つまりは、相手が手を掛けてくれば「すぐにのびてしまうまわし」のことを言います。この福岡場所ででも、何度も「ゆるふん」を武器にして相手力士の力をそいで勝った相撲がありました。
  年配の相撲好きなら覚えているかもしれませんね、いまの(またその名を出しますが)北の湖理事長が現役時代に、この「ゆるふん」相撲で勝ち星をずいぶん重ねていたことを。
  立ち会いの瞬間での変わり身(はたき込みや肩すかし、突き落としなど)も、相撲への関心、興味を減らしてしまう最大の原因の一つですが、それには、相手の動きを見て、その場で咄嗟に判断して=体が動いて、ということもありえます。ですが、「ゆるふん」は土俵に上がる前の、控え室でまわしを締めるときに、それを使うかどうかを決めることができる、卑怯極まりない戦術です。「礼に始まる」はずの大相撲ではあってはならない戦術なのです。
  故意に「ゆるふん」を戦術にする力士はいない?
  相撲協会が(それがあると長年にわたって指摘されつづけてきたのに知らんふりでやり過ごしてきた)「八百長」事件で揺るいだのはまだ、ほんの少し前のことでしかありません。カネのやり取りをしてまで星勘定を合わせようという力士がこの世界にはいたのですよ。「ゆるふん」戦術を故意に選ぶ力士はいない、とどうして言い切れますか?なのに、協会は(少なくとも公には)いままで一度も「ゆるふん」に関する自己調査・取調べをやったことがありません。相手力士の髷に指が絡んで抜けなかっただけで反則負けとなるのに、故意にそうする「ゆるふん」で勝った力士を罰する規定が協会にはないのです。
  「ゆるふん」は「礼」に反する戦術なのだから、けっして使ってはならない、というような指示を出して、相撲協会はこの卑怯な戦術を排除しなければなりません。…本場所での空席を少しでも減らしたいのなら。
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  第四のでたらめは、大相撲とその土俵は神聖なものだ、という思い込みです。
  怪我することが多い競技ですから、土俵に向かってお払いをしたり塩を撒いたりして無事故を祈るのも、まあ、いいでしょう。たとえば、漁師には、海にお神酒を捧げて漁が無事に、大漁で終わることを祈願する習慣があるようですから。しかし、「女は土俵に上げない」?
  格闘技に負傷はつきものです。大相撲だけが危険な競技なのではありません。柔道や空手の道場に「女には使わせない」という決まりがありますか?そんな、目に見える差別をしてますか?している差別を、まるでそれが誇らしい=神聖なことでもあるように言い張っていますか?女性を差別しつづける伝統のどこに「礼」の美しさを見ろと相撲協会は言うのでしょう?
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  相撲協会は自らの意識を変革するべきです。
  「礼に始まり礼に終わる」などといった嘘にいつまでも酔いしれるのではなく、相撲も格闘技の一つだ、と割り切るところから出直す、というのはどうです?
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  ついでながら、日本放送協会(NHK)は、相撲協会をヨイショするだけの報道機関に成り下がっています。協会については当たり障りのないことしか言わない公共放送。相撲協会が傲慢さを保ちつづけていられるのは、必要な批判をNHKがしないからでもあります。
  報道や論説にも、NHKはおなじように、だれかにヨイショする”姿勢で臨んでいるのでしょうね。