第271回 選挙制度をもてあそぶ自公

  【衆院選改革案 中小政党の優遇枠は疑問だ】(3月15日付・読売社説)
  <自民党が、新しい衆院選挙制度の原案をまとめた><比例選定数を30減らし、150とする。このうち90は、従来通りドント式で各党に議席を配分し、残り60は、得票数が2位以下の党にだけ配分する。全国11ブロックは8ブロックに再編する。これが自民党案の柱である><だが、優遇枠の新設は制度上、「1票の価値の平等」という観点から憲法違反の恐れが指摘されている。得票数が1位の党に投票した比例票が、2位以下に投票した票に比べて、優遇枠の分だけ軽く扱われることになるからだ><現行の小選挙区比例代表並立制よりも制度が複雑で、有権者に分かりにくいという弊害も看過できない>
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  政党・政治家(それに官僚)がいかに身勝手であるかを思い知らせられる機会はけっして少なくありませんが、自民党が数日前にまとめた改革原案の骨子部分を読売新聞の社説で知って「ああ、またか」と思わざるをえませんでした。
  選挙制度の改革が必要であるのは、そもそも、違憲であるという裁判所の判断が頻出している、いわゆる「一票の格差」をなんとしても是正しなければならないからです。そうしなければ民主主義の基本が揺らぐからです。
  なのに、友党である公明党議席数を確保できるようにと、自民党は<「1票の価値の平等」という観点から憲法違反の恐れが指摘されている>“優遇枠”を新たに設ける案をまとめたのです。
  しかも、その案は、全体としても、<現行の小選挙区比例代表並立制よりも制度が複雑で、有権者に分かりにくい>というのですから、ひどい話です。
  自民党はいったい何がやりたいのでしょうか?
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  日本の政党・政治家というのは、たとえば、衆議院と(強すぎる)参議院のあり方はいまのままでいいのか、あるいは、参議院の役割はどうであるべきか、などというような根本的な問題は(票の獲得にはつながらないので)議論することができないくせに、制度の細部をいじくって改革をした振りを(して何かを自党に有利に)することには、変に長けてもいるし、大きな熱意を注ぎもする、実に身勝手極まりない存在であるようです。
  自民党の上の衆院選改革案のどこに真に“国民のために”や“国民に分かりやすいように”という配慮が感じられるでしょうか?
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  制度や機構、運営方法などを複雑あるいはあいまいにすることで国民の頭を混乱させ、やがては国民を思い通りに動かす、というのは、歴史的に見ても、政党・政治家(と官僚)の常套手段であったはずです。
  何やら訳が分からないこと、筋が通らないことを言い出したときは、彼らは国民のためにはならないことを企図しているのです。
  非常に複雑であるか、あるいは逆にあいまいである情報は、いつの時代も、常に、権力者の強力な武器として利用されてきたに違いありません。その複雑さやあいまいさを手前勝手に解釈すれば、権力者はほとんど何でも、思い通りにできるのですから…。
  ですから、政党・政治家(と官僚)には、“筋が通った分かりやすさ”を国民は常に求めなければなりません。
  日本を良くするためには、国民は、自民党の今回の衆院改革案のようなものを受け入れてはなりません。いえ、どの政党が提出する、どんな案であれ、それが分かりにくいものであれば、国民は拒否するべきです。
  分かりにくさの陰には必ずといっていいほどに、意図的な“悪”が隠されているはずですから。
  “改革”という呼び名の下で選挙制度を彼らの都合がいいようにいじくらせてはなりません。
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  ついでに…。
  衆議院のある選挙区の一票と他の選挙区の一票のあいだに何倍の開きがあれば、その状態は“違憲”であるか、という議論にも、国民は大きな関心を寄せる必要があります。たとえば、2・0倍以下だったら合憲だ、などという裁判所の判断をありがたがってはいけません。単純に考えれば、かりにそれが1・1倍であっても、そこには間違いなく格差・不公平があるのですから。
  一方で、参議院のあり方を根元から改変することを前提にして、参議院では格差が何倍あってもいいのだ、といような議論もあっていいと思います。
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  分かりにくい議論は絶対に受けつけない。そんなふうに国民が決意すれば、日本はいくらかなりとも良くなります。
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