第229回 谷垣さん、そんな大曲解は通用しません

  「前の“政権交代”では二重に落胆させられてしまった」と国民=有権者の大半は感じているに違いありません。第一には、政権を獲得した民主党の“予想外の能力のなさ”のために。第二には、事実上初めて野党となった自民党の“予想以上の無気力=知的老衰=ていたらく=ふがいなさ”のために。
  戦後の日本政治史上で初めて起こった本格的な“政権交代”のあとで、新政権政党である民主党がある程度はもたつくであろうとは、投票日の前から国民=有権者には分かっていたはずです。なにしろ“初めて”だったのですから。国民=有権者がそれでも民主党を圧勝させたのは、もし民主党があまりに無様な政権運営に終始すれば、自民党にまた政権を取らせればいい、と(どちらかというと、なんとなく)考えていたからだと思われます。世はまさに、国民=有権者が主導する“政権交代時代”に突入することになっていましたからね。
  ところが…。
  いまの日本の政治的な不幸は、新政権党である民主党政権担当能力が国民=有権者の許容範囲を超える程度に貧弱であったことよりは、民主党が失敗した場合には“受け皿”になるはずだった自民党民主党を超えるほどに無能であること=それほど知的に老衰していたことが事あるごとに明らかになってきたことにあります。なにしろ、その老衰のせいで、初めての“政権交代”のあとの行き先が、突然、国民=有権者に見えなくなってしまったのですからね(「支持政党なし」40パーセント以上!大阪での、というよりは、中央政界の風見鶏政治家たちをも巻き込みながら起こってる“橋下旋風”の陰の“煽り人”は、民主党への“政権交代”の最大要因でもあった、自民党の“ていたらく=ふがいなさ”にほかなりません)。
  自民党はあの“政権交代”の意味をいまだにちゃんと捉えていません。自分のこととしてきちんと受け止めていません。
  朝日新聞の社説の中にこんな個所がありました。
  <マニフェストという偽りに満ちた国民との契約で多数の議席を得た民主党政権は、消費税率を引き上げる権限を、主権者から与えられていない――>(朝日 社説 2012年1月27日)
  谷垣自民党総裁の国会での発言です。谷垣氏と自民党には、自己というものが見えていないし、言って良いことと悪いことの区別さえつけられなくなっている、ということが、この一文からも、よく分かりますよね(ついでにいえば、日本人の日本語力=論理的に考える能力=情報発信能力が深刻なレヴェルにまで劣化していることがここにもよく表れています)。
  どういうことかですって?
  だって<偽りに満ちた国民との契約で多数の議席を得た>なのですよ。つまり、谷垣氏は、事実上、国民=有権者民主党マニフェストに騙された、と主張しているわけです。国民=有権者は、それほど=民主党に騙されるほどにばかだった、と言いつのっているわけです。
  「苦言熟考」はこれまでに何度も「政権交代を実現させたのは民主党マニフェストではなく、長年にわたる自民党の失政だった」「自民党ではもうどうにもならないから、ほかのだれかに一度やらせてみよう、という思いが政権交代につながった」と言ってきています。民主党マニフェストは、いわば“お飾り”で、これをすっかり信じ込んで民主党に投票した者はけっして多くはなかったはずです。そのことは、あの選挙の前後の各種の世論調査の結果がちゃんと示していました。
  谷垣氏と自民党は、自民党自身による長期にわたる“思い上がり政権運営”があの政権交代の主な原因だった、ということを絶対に認めたくないわけです。そのために、国民=有権者を愚か者扱いしてまで、民主党の“偽りに満ちた”マニフェストを責め立てているのです。自己を故意に見誤った大曲解にすがっているのです。政界や報道界をはじめとして日本全体に蔓延している“未熟思考”の代表的な例だとえます。
  自党にはたいした誤りはなかったのにあの衆議院選挙に負けてしまったのは、愚かな国民=有権者民主党マニフェストに騙されてしまったからだ、という未熟な=子供じみた主張を国民=有権者が素直に受け入れると信じているらしい谷垣氏と自民党!国民=有権者をそこまであなどる自民党
  民主党が失政をつづけているのに支持率が上がらないのはなぜかが考えられないほどに、自民党の知力は衰退しきっているのです。
  毎日新聞はこう書いています。
  <谷垣禎一自民党総裁の26日の代表質問は、基本的には消費増税民主党マニフェスト違反であり、野田佳彦首相には税と社会保障の一体改革に関する与野党協議を呼びかける資格はないと批判する内容だった>(毎日 社説 2012年1月27日)
  民主党マニフェストに消費税増税案が含まれていたかどうかに国民=有権者が大きな関心を抱いている、と谷垣氏と自民党が本気で考えているとしたら、それは大間違いだと思います。“政権交代”につながったあの衆議院選挙の際に、投票を済ませたあとの国民=有権者が望んでいたのは「何でもいいから、本当に国民のためになる政策を実行してほしい」ということだったと思います。どの政党のマニフェストに何が書かれていたかは、まあ、どうでもいいことであったはずです。国民=有権者は、谷垣氏と自民党が期待しているほどには愚かでありませんでしたし、“政権交代”を、よりよき政策をより迅速に実施させるために不可欠のものというぐあいに、すこぶる現実的に考えていたはずです。そこのところが自民党には、いまも、まったく理解できていません。
  自民党がはやばやと“万年野党”になりきっている=支持率を上昇させられないでいる最大の原因はそこにあります。自民党はとうに“政策立案党”ではなくなっているのです。建設的なことが論じられなくなっているのです。谷垣氏の国会での発言がその事実をさらに明確にしてしまいました。対案提出能力を失い果て、与党の“揚げ足取り”しかできなくなってしまった旧政権政党
  意図的に曲解に曲解を重ねて自己の無気力=知的老衰=ていたらく=ふがいなさから目を逸らせようとするだけの自民党に明るい未来はありません。
  “政権交代時代”の到来を自ら妨げるだけの“万年野党”になり下がるつもりが、もしも、ないのなら、自民党は党としての考え方を根本から変えなければなりません。論理的な矛盾にまみれた曲解に酔いしれているときではありません。
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  言いたい(やりたい)ことは、とりあえず、言って(やって)みるが、それが客観的にどう受け取られるかまでは考えられない、子供じみた“未熟思考”の持ち主は何も谷垣氏と自民党だけのものではありません。たとえば…
  【社説:議事録作成せず 怠慢で済まぬ背信行為】 (毎日新聞 2012−1−29)
  <東日本大震災に関する政府の重要会議の議事録が軒並み作られていなかったことが分かった><いずれにしろ、公文書の適切な管理に対しての認識が政治家・官僚を問わず甘すぎる>
  根はおなじところにあります。議事録を残さないこと、あるいは、議事録はなかったとあとで言わなければならないことが客観的にはどういう意味を持つかを政府・関係者が前もって熟考した形跡はここにもありません。
  もう一つ…
  【民主年金試算―出さない方が混乱する】(朝日新聞 社説 2012−1−31)
  <またまた民主党が、ふらついている><いったん、党の新年金制度の財源試算を公表する考えを示したのに、1週間あまりで先送りへと方針転換したのだ><試算は、消費増税に向けた社会保障と税の一体改革の与野党協議に入る前提として、公明党が求めていた。応じないのは、わざわざ野党に協議を拒む口実を与えたようなものだ><そもそも、試算を出さないことに、どんな意味があるのか>
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  ところで、消費税率の引き上げはかならずしも谷垣氏と自民党が強弁するようには受け取られていません。
  【消費増税は「必要」63%…読売世論調査】(2012−1−29)
  <読売新聞社が21〜22日に実施した全国世論調査(面接方式)で、社会保障制度を維持するために消費税率の引き上げが「必要だ」と答えた人は63%に上った><ただ、消費税率を政府・与党案通りに「2014年4月に8%、15年10月に10%に引き上げるべきだ」と答えた人は16%にとどまった>
  要するに、国民=有権者の多くは“納得できる増税案”を求めているのです。すこぶる現実に考えているのです。民主党マニフェストに簡単に騙されるほど国民=有権者はばかではないのです。
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  情報発信・受容ということに関して日本人全体がいかに“あまい”かについては、「苦言熟考」は、たとえば「第202回 野球場の距離表示からでも始めますか」(http://d.hatena.ne.jp/kugen/20110601/1306903930)ででも触れています。