第256回 駐車した車が見つからない!

  前回の“タバコを再び吸ってしまった夢”の話に引っ張られて、今回も夢について書くことにしました。
  学説はさまざまなのかもしれませんが、睡眠中に見る夢は、わたし自身についていえば、そのほとんどが“何かをやろうとするがそれができない”というものです。“せっかくやめていたタバコをまた吸ってしまった”というのも、すこし捻った形ではあるものの、おなじパターンですよね。
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  若いころ、それも、自分で自動車の運転をするようになる前にくり返して見ていたのは“鉄道を使ってどこかに行こうとするのだが、列車に乗り遅れるか、乗り遅れそうになる、たとえ間に合っても、それが目的地とは異なるところに向かってしまう”というような夢でした(時事往来「夢判断」1988年8月16日 http://d.hatena.ne.jp/ourai09/20090416/1239835022)。
  エレヴェイターを使って建物の上階にある“ある場所”に行こうとするが、動き出したそのエレヴェイターが斜め上の方向に急速に上昇し始め、やがては、まるでジェットコースターのような動きになり、やっと止まったときには、その“ある場所”とはまったく無縁のところに来てしまっている…という夢もよく見ました。
  同類には、階段を上がって“ある場所”に行こうとするのだけれども、その階段が途中でなくなって、先に上がれなくなってしまう、まれになんとか、複雑な形態で上につながる空間を見つけ、そこを上りきっても、その“ある場所”には行き当たらないし、そこで会うことになっていた人物にも出合わない…というような夢もありました。
  山道を登るか下るかして“どこか”に行こうとしているのだが、崖や岩に遮られて道がなくなってしまうか、分からなくなってしまう…というのも何度もくり返して見た夢の一つです。
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  自分で車を運転するようになってから数えきれないほど何回も見てきたのは“自分の車を駐車した場所が見つからない”という夢です。
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  1990年代の前半にアメリカで最も人気が高かったシテュエイション・コメディーの一つに「サインフェルド」というのがあります。強すぎるぐらいに強い個性を持つ男性3人と女性1人がニューヨークでの日常の暮らしの中で非日常的にくり広げる騒ぎが見どころでしたが、そのうちの一作で“モール(デパートメント・ストアー)の大きな立体駐車場のどこかにとめた自分たちの車が見つからない”という作品は秀逸でした。誰もが一度や二度は体験しているに違いない失敗談を、個性豊かな登場人物たちを使ってオモシロオカシク描いてあるのですから、再放送を何度見ても、心底から笑ったものです。…だって、自分の車をとめた場所に加えて、レストルーム(トイレ)も見つからない状態で、何時間も車を探しつづけるとなると…。いかにもありそうではありませんか。あるいは、買ったばかりの、水を入れたプラスティックバッグの中の金魚が、こんなことでは酸素不足で死んでしまうのではないか、といったん心配し始めてしまうと、さあ…。車が見つからないまま時間が経過するにしたがって、騒動がどんどん大きくなっていきます。
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  もっとも、わたし自身が何度もくり返して見てきた“駐車した場所が見つからない”夢には笑えるところがまるでありません。こっちだったはずだと向かった場所に車はない、ではあっちだったか、と行ってみたところでも同様だ。そんなことをくり返す。不安がだんだん大きくなる。待て、そもそもオレは車でここに来たのだったっけ、と自分を疑い始める。だが、車のキーは自分の手にある。では、車はどこに?
  焦る気持ちが不安をいっそう大きくする。車がこのまま見つからないとなると、オレはどうやって家に帰ればいいんだ?オレはいったいどうなるんだ?
  不安が頂点になった辺りで、目が覚めます。
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  “しくじる”“思うように事が進まない”というような夢を、形を変えてではありますが、何度も何度も見るのですから、そのことには何か意味があるはずですよね。目覚めている状態で現実に活動する人間に、脳が何かを伝えたがっているのですよね。
  そうだとすると…。自分のすることが夢の中でこれだけ抑制されていれば、脳内に“免疫”のようなものが生じて、現実の暮らしの中での抑制には負けないでいられるようになる、というのはどうでしょう?
  夢の中での“失敗慣れ”が、目覚めているときの人間を強くする?…我慢強くする?
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  でも、時間を守る、約束を守る、という点では、日本での数倍もの我慢を強いられる国、フィリピンに移り住んでからも、“思うように事が進まない”夢を見る回数が特に増えたわけではありませんので、上の説には怪しいところがあります。
  それにしても、夢というのは実に興深いものです。 
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