第310回 とうとう軽い追突事故を

  やはり“とうとう”と言うべきなのでしょうね、4月の第一月曜日に、“軽い”追突事故を起こしてしまいました。フィリピンに移住して以来およそ8年。自分の車を駐車場の柱にぶつけたというようなちょっとした“自損”事故はそれまでに何度かあったのですが、相手がある“他損”事故はこれが初めてでした。
  “軽い”というのは、わたしの前部の右側バンパーにはかすり傷がわずかにできただけだったし、相手の車の後部左側のダメッジの程度も、ちょっと見たところでは、そうですね、わたしが加入している自動車保険の補償限度額(10万ペソ=約26万円)には絶対に達しないことが明らかなものだったからなのですが、追突後に、お抱え運転手につづいて降りてきたオウナーが「なぜ(衝突前に)止まらなかったのだ。この車はほんの2か月前に買ったばかりの新車なんだぞ」と、腹立ちと悔しさを、言葉と表情で訴えたときには、もっともだ、と思うしかありませんでした。
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  そうではありましたが……。
  さて、わたし自身の経験から言えば、非日常的な(好ましくない)何かが起こるときは、それ以前のどの時点からか、前もって考えていた行動のいくつかが、そのとおりにはいかなくなり、何かに吸い寄せられるように“そこ”に到ってしまうもののようです。
  この日の場合は……。
  旧城塞都市イントゥラムロスの中にある移民局で、滞在ヴィザの延長手続きをすませたあとの帰り道。
  ちょっと立ち寄りたいところを思いついたので、ユナイテッド・ネイション通りへと左折するつもりでロハス・ブルヴァードを南下していました。ところが、車を走らせながらでは分からない何らかの理由で、その左への進路が木製の柵でブロックしてありました。
  立ち寄ろうという考えを瞬時のうちに捨て、プレジデント・キリノ通りで、自宅の方向へと左折することに決めて、南下しつづけました。
  しかしながら、どういうわけだったのか、この交差点でも左折ができなくなっていました。ここもブロックされていたのです。
  次の左折ポイントはブエンディア通りです。余儀なく三番目として選択した交差点でした。そして、左折したあとのそのブエンディアの、かなり混雑した交通事情の中で、前の車、トヨタの新車の後部左側にぶつけてしまったのです。ギギという、金属と金属をこすりりつける鈍い音がしました。
  「ああ、前の二つの通りのうちのどちらかに左折ができていたならば……」
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  このトヨタ車がわたしの車の前にいたのにも、こんないきさつがありました。
  ブエンディアの東行き方向のその場所には、何か月も前から、工事中のまま放置されている、一辺が4メーターほどのほぼ正方形の穴がありました。その穴の前に(ほとんど無造作に)置かれた事故防止柵の前で、左右の車の流れにさえぎられてどこにも進めなくなっていたのが、そのトヨタでした。
  普段どおりに“フィリピン流に”、つまりは、余計な親切心を抱かずに“われ先に”という運転をしていればよかったのですが、ふと、“魔がさしたように”わたしはトヨタのために進路を開けてやったのです。……その“親切心”が間違いでした。
  トヨタが前に来てからほんの数十秒後に「ギギ」という不快な音。
  わたしの車の左前方路上にコンクリートの割れ目を見つけて「あれを避けてハンドルを切らなければ」と思っているほんの一瞬のあいだに、前のトヨタが急ブレイキを使ったのです。
  「この割れ目に気づいていなかったならば……」
  その辺りの車の進行速度はほぼゼロ、のろのろ運転の極みだったのですが、わたがブレイキペダルを踏んだときには、もう……。
  なんという皮肉。「わたしがトヨタ車に進路を譲っていなかったならば……」
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  少なくとも、マニラ首都圏の“かなり混雑した交通事情の中”では、“十分な車間距離”をとって運転する者は、まず、いません。取れないのです。車の頭の突っ込み合いが当たり前なのです。ですから、ぶつけたときにも、相手の車の運転手とオウナーには気の毒だとは感じたものの、「いつか自分がこんなふうになるのも、相手と同様の目に合うのも、まあ、時間の問題、ありえること、だったのだから」という思いにとらわれていて、動転は特にしてはいませんでした。
  運が悪ければ、この程度の事故の被害者になることも加害者になることもある、と前もって覚悟していたわけですね。
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  ウィークデイのマニラ首都圏の主要道路には警官・交通取締官があふれています。このときも、ほんの50メーターほど先からすぐに警官がかけつけてきました。一人、二人、三人。
  事故現場の模様をそのうちの一人が線画スケッチして、わたしと相手の運転者に「この図にサインしろ」と差し出してきました。
  ところが、サインしたあとにそのスケッチを再確認すると、車の進行方向が逆向きになっているではありませんか。間違いを指摘して、方向は訂正させたのですが、サインは元のまま。つまり、互いが相手の車を自分のものだとするスケッチができ上がってしまったわけです。こんな杜撰なことでだいじょうぶなのだろうか?
  そんなことは気にしないらしい警官の一人が「いまからパサイ市の警察署に行く。ついて来い、と自分のモーターバイクを走らせ始めました。二人の運転者がそれを追いました。
  とにかく、人が負傷したのではない軽い追突事故でしたし、わたしが加入している保険が損害額を十分にカヴァーしていることも事実上分かっていましたから、調書を書く警官にも緊張感はありませんでした。この警官が確認したかったのは、わたしが自分の過失を認めるかどうかという点だけでした。
  自動車保険の適用を申請するのに必要な正式の事故報告書「ポリス・リポート」は翌日に取りに来いということでした。
  翌日の午前中に取りに行ったときにはそのリポートはすでにでき上がっていました。双方の車のダメッジを写した写真がそれぞれ二枚ずつ添付されていました。
  またまた、ところが……。自宅に戻ってその写真を見ると、そのうちの二枚には被害者のものではない車が写っていました。トヨタの新車ではない車の、それも、実際にキズができた後部左側ではなくて、前部右側を写した写真だったのです。
  スケッチにつづく、警察の二つ目のミステイク。
  でも、この二つ目のミステイクについては、いまのところ、わたしも無視することにしています。届けたところで何かが変わることはなさそうだからです。
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  この事故の始末はまだついていません。修理をさせたトヨタ・マニラベイからの修理費用明細書を先方(の弁護士が)がまだ送ってきていないからです。それでも、イースター・サンデイも過ぎましたから、数日中には……。
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  日ごろは、細心の注意力と必要な大胆さの両方を保ちながら運転しているのですが、マニラの交通・道路事情の悪さに、今度ばかりは、何と言いましょうか、そう、してやられてしまいました。
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  【第269回 怖い、マニラ首都圏での運転】(http://d.hatena.ne.jp/kugen/20130228/1362004680
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  【第15回 いやあ、ぶつけられてしまいました!】 (http://d.hatena.ne.jp/a20e2010/20101210/1291934803
  (2005年の12月に書いた文章です。事故に遭ったのはカリフォルニア州リヴァーサイド郡のヘッメット市内でした)
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