数ヶ月前に民主党内で<生方副幹事長の解任事件>が起きたとき、<苦言熟考>は次のように発言しています。
(http://d.hatena.ne.jp/kugen/20100323/1269338788
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小沢氏には党内民主主義というものがどういうものかが分かってない−という<苦言熟考>の従来の指摘が正しかったことがここでも判明しました。「そこまでする(解任する:註)必要はないのではないか」では十分ではないのです。
(一行略)
その政治手法が自民党の体質に染まりきっている小沢氏を立て、小沢氏に頼りきってここまでやって来た民主党の限界が“これでもか”というほど明確に見えてきました。
小沢氏に幹事長辞任を求める意見を党内ではなくて党外で発表したことを非として(形式論で)この解任を容認した鳩山代表も小沢氏とほぼ同類の旧人政治家であることを自ら証明しました。
この二人は、民主党が、党内に向けても国民に向けても、まだ<開かれた党>ではないことをすっかり明かしてしまいました。
民主党は、その政策の是非や実行力が問われる前に、自民党並の旧態依然としたその体質で、自ら大きくつまづいてしまったのです。
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小沢幹事長は当代には稀な、すこぶる“優秀”な政治家であるかもしれません。本当の意味での政権交代が可能な国に日本を導いたという点でも、この人を軽んじることはできません。しかし、この人が“優秀”であるのは、あくまでも、旧時代の政治手法において、という限定がついてのことだと思えます。
政治家小沢一郎が自らの“実力”を堪能する時代はもう終わっています。
(略)
民主党は“小沢氏的な体質”を払拭することができるでしょうか?
それも、ただちに?
それができなければ、夏の参議院議員選挙で民主党が大勝することはないでしょう。
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読売新聞にこんな記事が掲載されました(2010年6月25日)。
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小沢氏「過半数とったら私の役割終わり」
<民主党の小沢一郎前幹事長は25日、参院選候補の応援のため訪れた青森県平川市での会合で、「参院で過半数をとることによって、今までの仕組みを変えるのが私の願い。そういうレールを敷いたら、私の役割は終わり。後は次の世代の人にバトンタッチしていきたい。最後のご奉公のつもりで、死にものぐるいでがんばる」と述べ、世代交代を進める考えを示した>
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政治家、それも小沢一郎氏ほどの“熟練実力者”が語ることの中の多くは、政局の流れを読むための、いわゆる“観測気球”であるかもしれませんので、上の“考え”をそのまま受け取ってもいいのかという疑問が残りますが、この「わたしの役割は終わり」という発言は、政治に変化を求める国民=有権者にとっては素直に歓迎するべきものだと思います。
政権交代が可能になったあとの日本には、小沢氏が代表する古い政治手法はいりません。あってはなりません。
おなじ意味で、守旧にしか頭が行かずに、自らの体質改善に失敗した自民党も、自民党以上に老いさらばえた<たちあがれ日本>も小沢氏とともに政界から消え去るべきです。政界全体の「世代交代」は小沢氏が身を低くしただけでは実現しません。
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言うまでもなく<政治とカネ>も<米軍普天間基地の移設>も重要な問題です。引き上げ反対派によって<消費税引き上げ>をどうするかという点に問題が矮小化されている<財政再建>も、参院選挙の大事な争点であって当然でしょう。
しかしながら、現時点で国民=有権者が最も重要視しなければならないのは、国民の願いが国政によく反映されるシステムを築くことではないでしょうか?官僚制度の大改革を含めて、政治と行政の流れを国民=有権者がよりよく見通すことができるようにすることではないでしょうか?
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小沢氏は、その流れが見えないところで“豪腕”を発揮できる政治家でした。
昨年の衆院選挙で民主党政権の誕生を支持した人びとの中に、小沢氏なしでは民主党は何もできないと主張するおかしな傾向があります。この人たちは、民主党に新しい政治を求めながら、それを、小沢氏が代表する古い体質のまま、古い手法でやれと言っているわけです。大きな自己矛盾だと言えます。
参院で議席の過半数を取ったら「私の役割は終わり」と言った小沢氏自身の方がはるかに状況が分かっているようです。
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国民=有権者はいま考えるべきです。
鳩山前首相はすでに政界の最前線から離れ始めています。次には、小沢氏に「私の役割」を終えてもらい、自民党と<たちあがれ日本>にはいずれ解党してもらって、日本の政治の見通し、風通しを、これを機に、よくしたいと思いませんか?
よくしたかったら、小沢氏の上の発言を真に受けたことにして、参院選では民主党とその候補者に投票してみることです。
古い、自己撞着した、非論理的で非生産的な思考や行動を政界と官界から一掃することで日本の政治はいくらかましになるはずです。
裏芸、裏取引に優れた者が政治を牛耳る時代はもう終わりにしましょう。
常に正々堂々と表舞台で筋を通すことができる政治家たちを、できるだけ多く、この参院選挙で当選させましょう。