そうですね、たとえば、<カリフォルニアではフリーウェイを走っている自動車の25パーセント以上が日本製だ>と言われだした一九八〇年代後半以前には、多くのアメリカ人にとって日本はまだ、ただ<極東に位置している>国に過ぎなかったかもしれません。
極東。
思えば、実際、主に陸地を東に移動することで得られた知識がやがて集約されて地球全体が自分たちの視野に収まりかかってきたとき、ヨーロッパ人にとっては日本や韓国、中国はとてつもないほど<東の果て>に存在している国々と見えたことでしょう。そして、その見方を、のちにヨーロッパから新大陸に移り住んだ人たちも受け継ぎました。太平洋がまだ彼らに征服されてはいなかったころのことです。
しかしながら…。
中間の歴史をすっかり飛ばして言いますと、過去数十年ほどのあいだに、まずは日本が経済大国となり、次には韓国が台湾、香港、シンガポールなどと競って大きな経済成長をとげ、さらには中国が長い眠りから覚めて巨大な経済力を示し始めるという大変化が起こっています。
その結果、今日では、少なくとも、わたしが住んでいるカリフォルニアを含むアメリカ西海岸から見れば、日本や韓国、中国はもう<極東の国々>ではなく<太平洋のすぐ“西”にある国々>になっています。
歴史が何度も示してきたように、ある時代に、ある地域でできあがった<世界観>はけっして万人に悠久不変なものではないわけですね。
いや、いや、話がずいぶん大きくなってしまいました。今日書かせていただこうと思ったのは、実は、<猛打賞>のことで、<世界観>というような大仰な言葉は使わなくてもよかったのですが…。
その<猛打賞>というのは、お分かりのように、あるゲームで3安打以上を記録した選手に日本のプロ野球の球団が(たぶん金一封として)出している(か出していた)らしいあの賞のことです。
下の見出しを見てください。「読売新聞」のインターネット版(4月17日)にあったものです。
「イチロー、今季初の猛打賞」
つづく記事の書き出しはこうでした。
<シカゴ(米イリノイ州)小金沢智】マリナーズのイチローはホワイトソックス戦に「1番・右翼」で先発出場。4打数3安打で今季初の猛打賞だった>
この見出しと記事に問題があることにお気づきですか?
いえ、いまさら言うまでもなく、問題は<猛打賞>にあります。
<日本のプロ野球にはあるかも知れないが、大リーグにはそんな賞はない>のです。ですから、イチローが3安打しようが5安打しようが、こちらで彼が<猛打賞>を受けることは絶対にありません。
大リーグの試合のテレビ中継をこれまで、たぶん、何千と見てきたはずですが、所属する選手にどこかの球団が<猛打賞>を出したという話はただの一度も聞いたことがありません。
ですから、「イチロー、今季初の猛打賞」というのはまるきりの間違い報道です。
なぜこういう間違いが起きるのでしょう?
<日本では3安打すれば猛打賞>という<当然の事実>を日本以外の国でのことにも、何の疑いもなく、当てはめたからですね。
<もしかしたら、自分の尺度は通用しないのではないか>と自問したことがないからですね。
はて、大リーグにも<猛打賞>はあったっけ、と考えたことがないからですね。
似たような間違いに<オリンピック*位入賞>というのがあります。
このことは、いまは<楽天ゴールデン・イーグルズ>のジェネラルマネジャーを務めているマーティー・キーナートさんがずいぶん前に、MSN日本のコラムで指摘していたことです。
キーナートさんは、オリンピックの賞は金・銀・銅のほかには何もないのだから、たとえ4位、5位、6位と奮闘しても選手が賞をもらうことはありえない、日本の報道はおかしい、というようなことを書いていました。
ここカリフォルニアで、1988年のソウルから2004年のアテネまで五回の夏季オリンピックをかなり熱心に(やはりテレビで)見てきたわたしも、そういう順位に終わったアメリカ人選手が何か<賞>をもらったという話は聞いたことがありません。同期間内に開かれた冬季オリンピックでもおなじです。
たとえば、日本の国民体育大会では6位まで<賞>がもらえるのでしたっけ?
日本での何かの大会が6位まで<賞>を出すから、オリンピックでも出しているに違いないと思い込んで日本では、<**選手*位入賞>などと、現実とは異なる報道をしつづけているのでしょうか?
ヨーロッパ人やアメリカ人が昔ながらの自分の尺度を使うことしか知らずに、いまだに<日本や韓国、中国は極東の国々>としか考えられないとしたら…。
彼らが、例えば、国際経済の主要な担い手でありつづけるのは難しいでしょうね。
<猛打賞>という言葉は、3安打した野球選手を表現するのには便利かもしれませんが、日本の報道機関にはもう少し目を開いてもらいたいという気がします。
些細なことでも、海の向こうの―世界の―現実にはちゃんと目を向けてもらいたいものだと思います。
どんな報道をするかで国民全体の意識も変わるわけですから。
報道はそれほど大事な仕事なのですから。