第1回 「人民の、人民による…」  2004年11月29日(再掲載)

  11月26日の『ロサンジェルス・タイムズ』のスポーツ欄を読んでいるあいだに、たまたま、ちょっと興味深い文に出あいましたので、最初のエッセイはそれに関して書かせていただきます。

  その<興味深い文>というのは、

  The question: Who has the hardest job this season and what happened?
  The answer: Scott Drew, who took over a Baylor program ravaged by fallout of the alleged murder of one player by another player and the ensuing cover-up from ex-coach Dave Bliss.

  というものです。NCAA (National Collegiate Athletic Association =全米大学スポーツ協会)のバスケットボールの新シーズンに関する予測やゴシップを並べた記事の一部で、前年に選手の中に殺人容疑者が出たりしたBaylor 大学の新コーチに就任したスコット・ドゥリュー氏の仕事がいちばん難しいものになるだろう、という内容です。

  ただ、わたしが目をとめたのはそんな内容ではなくて、

  the alleged murder of one player by another player という個所です(①)

  ところで、日本人にもよく知られたリンカーン米大統領の「ゲティスバーグ演説」のなかにこんな個所がありますよね。

   ...that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth(②)

  これを、例えば、あるサイトでは<演説は、「人民の、人民による、人民のための政府を、この地上から消え失せないようにすることが生き残ったものの責任である」と結ばれた>と説明しています。
 (http://www.hyogo-kokyoso.com/shibutanso/kanwa/messages/25.shtml
 
  典型的な日本語訳ですよね。

  この「人民の、人民による、人民のための…」の最初の「人民の」の「の」が分かりにくいという声をこれまでに何度か聞いたり読んだりしたことがあります。

  たしかに、「人民による政府(by)」「人民のための政府 (for)」はすっきり頭に収まりますが「人民の政府 (of)」の「の (of)」はどういう意味なのでしょう。「人民による」「人民のための」政府と言ってしまえば、それだけですでに政府の形態は表現しきれているのではないかと思えます。
  「人民の政府」というのは蛇足ではないかとさえ感じられます。

  そこで、例文①をみてください。
  The alleged murder of one player では、このof は明らかにone player に<対する>、または、one people を<相手とする>殺人容疑という意味を表しています。

  では、例文②のthe government of the people はどうでしょう。このof も、the people に<対する>、または、the people を<相手とする>ガバメントということを意味してはいないでしょうか。

  そうなると、従来の<人民の、人民による、人民のための政府>は<人民を相手とする、人民による、人民のための政府>と変わり、全体の意味からあいまいなところがなくなってきますね。

  一方、辞書(研究社の「リーダーズ英和辞典」)によると、ofには<…の所有する><…に属する>という意味もあります。この解釈を採用すると、the government of the people は the people が<所有する>あるいは、the people に<属する>政府ということになりますね。
  こちらの解釈でも、ただ<人民の>よりは意味が明確になります。

  ついでに by the people の by にも触れておきますと、この by はthe people <によって運営される>と考えて問題はないと思います。

  つまり、リンカーン大統領の、あのよく知られた演説の締めくくり部分は「人民に対する(あるいは、人民に属する)、人民によって運営される、人民のための政府」ということになるのではないでしょうか。

  「人民の、人民による、人民のための…」という訳の言葉の流れの良さのために、「人民の」の「の」はどんな意味だろうと考える人は多くはないでしょう。

  分かったつもりでふだんは軽く聞き流しているほかの多くの言葉の中にもちょっと奥深い、知的好奇心がくすぐられる何かが潜んでいるかもしれません。
  シニアー・ライフを楽しむひとときの一角に、たまに、そんな好奇心を差し挟んでみるのもいいと思いませんか。