第121回 英語になりそこなった“さよなら……”

  野球。9回裏。ホームティームが攻撃中。
  得点は6対3。ヴィジターがリード。
  満塁。ホームランが出れば、ホームティームの逆転勝利!
  地元ファンの打者への大声援。
  ピッチャーが振りかぶる。投げた。
  打った。大きい。打球はレフトスタンドに向かって伸びている。伸びている。入るか。入るか。
  入った。八番打者の、まさかの逆転満塁さよならホームラン!!
  劇的!ファンの熱狂!
  ホームティーム全選手がホームプレイト上で歓喜の押し合い圧し合い。
  
  “さよなら”(逆転)ホームラン(二塁打・安打…)。
  ホームティームのファンにとってはこの上ないエクサイティングな場面ですよね。
  “さよなら”=ゲイムセット=次の試合まで!
  状況をよく言い表した、なかなかいい表現ですね、“さよなら……”は!!

  ところが、この“さよなら”に当たる英語が、野球の本場アメリカには1990年代の終わりごろ(もしかしたら、2000年代の初め)までなかったのですよ。
  では、どう言っていたか。
  <GAME-WINNING home run><LAST AT BAT doule>というような言い方が普通でした。この二つをつないで使うアナウンサーもいました。<LAST AT BAT, GAME-WINNING home run!>
  別に<GAME-ENDING single>などと言われることもありました。

  でも、これらは、“さよならホームラン!”に比べると、なんだか、“風情”がありませんよね。
  しかも、ただの<GAME-WINNING home run>では、たとえば7回に打ったホームランが“決勝のホームラン”になった、ということかもしれません。
  <LAST AT BAT home run>では<ある打者が最後の打席で打ったホームラン>という感じがどうしてもしてしまいます。
  <GAME-ENDING double>は端的で分かりやすいのですが、ただ事実を述べているだけで、たとえば、あの<ホームプレイト上で歓喜の押し合い圧し合い>という興奮状況が目に浮かんでくるかどうか−−。

  こんな“風情”がない英語に最初に“不満”の声を上げたのは(わたしが知る限るりでは)当時アナハイム・エンジェルスの解説者だったレックス・ハドラーでした。
  ハドラーは日本でもプレイしたことがありましたから、英語の表現に比べると、日本の球界が使う“さよなら……”の方が状況をうんと的確に、効率的に言い表す言葉だということに気づいていたのです。

  ハドラーは野球の中継放送中に何度か<“さよなら”という日本語はアメリカ人のほとんど誰もが知っているのだから、アメリカでも“SAYONARA home run”というような言い方をそのまま採用したらいい><GAME-WINNING home run>など言うよりはよほどすっきりした放送ができるはずだ>などと自分の意見を述べていました。
  ロサンジェルスとその周辺に住んでいた、野球好きの(わたしの友人である)日本人たちはハドラーのこの意見を歓迎していました。
  <スシ><テンプラ>などの、すでに英語になっていた言葉に“さよなら(ホームランなど)”が加わるというのは悪くない、と感じていました。

  しかしながら−−。
  エンジェルスはやはりローカル・ティームにすぎませ。“全国区”のヤンキースではありません。解説者ハドラーの意見は全米には広がりませんでした。
  アメリカの野球界はやがて(2000年代の初めごろまでには)<WALK-OFF>という言葉を見出しました。
  “WALK-OFF”home run などと表現するようになったのです。
  <WALK OFF=急に立ち去る> 
  なるほど、これには“さよなら”に似た響きがいくらかはあります。
  いや、<急に立ち去る>には、“さよなら”が持っている<今日のゲイムはこれで終わった。お疲れ様。また次に!>といったような意味合いまでは、やはり、感じられないかもしれませんが、アメリカの球界が<これでいこう>としだいに合意しいった理由は分かような気がします。
  <GAME-WINNING home run>やに比べると“その場”の状況がすっきりと頭に入りますからね。<はい、終わり。じゃあ、またね>

  ハドラーは、もうちょっと(あとひと押し)というところで、“SAYONARA home run”の導入者としての“栄誉”を得そこねてしまいました
  野球放送で“SAYONARA”という日本語をしょっちゅう聞く機会を在米日本人は、惜しいところで、なくしてしまいました。“さよならホームラン(など)”は英語になるチャンスを逸してしまいました。
  
        +

  「XXがさよなら勝ち!」「XXがさよなら安打!」「XX hit walk-off   home run」などというアナウンサーの声をニュースで聞くたびに、そんなことが頭に浮かびます。