第122回  手抜き妖怪“オリ・オラズ”の跋扈を許すまい

  日本語の世界を“オリ・オラズ”という手抜き妖怪が跋扈しています。
  報道番組で特にそれが顕著です。

  “オリ”というのは、現代ではほとんど見られ(聞かれ、使われ)なくなった“オル”の一形態で、“オリ”と“オラズ”は“オル”から生まれた双子同士の“妖怪”だ−とたとえることができるかもしれません。

  ニュース番組などに頻繁に顔を出すその“オリ・オラズ”の親“オル”がそもそも何者であるかを調べてみると−。

  【オル
  <現代国語例解辞典>(小学館) 補助動詞。動詞の連用形に、助詞「て(で)」を添えた形に付き、「…ている」の意を表す。(抜粋)
  <新潮国語辞典 現代語・古語> 動詞の下に付き、動作・状態の継続・持続の意味を添える。自分を卑下する語。また他人の動作を卑しめののしる語。(抜粋)

  その子の妖怪“オリ・オラズ”がどういうふうに報道界を席巻しかけているかというと、例えば−。

  2009/03/14-15:27 時事
  <中国当局は、10日のチベット動乱50周年と合わせ、徹底した取り締まりと「愛国教育」を続けておりラサ市では治安部隊による厳戒態勢が敷かれた>

  2009年3月14日2時0分 朝日
 <後任の救急医はまだ2人しかめどがたっておらず、4月以降のセンターの機能に不安の声が上がる異例の事態となっている>

  この二つの例から明らかなのは、第一に、報道界をいま跋扈している妖怪“オリ・オラズ”からは<自分を卑下する語。また他人の動作を卑しめののしる語>という要素、特に後者がすっかり抜け落ちているということです。

  ですから、このごろのニュース番組では、<麻生首相は……を認めておらず>といったような言い方が普通に見られ(聞かれ、使われ)ます。いえ、そんなふうに述べることがむしろ流行しています。
  麻生氏はとても首相の器ではないと思う人も少なくないでしょうが、それでも、自国の首相の行動・状態を<他人の動作を卑しめののしる語>で表現していいのでしょうか?
  <中国当局>を“オラズ”と<卑しめののしる>のは新聞やテレヴィの正しい姿勢でしょうか?

  “オリ・オラズ”がのさばる以前には、新聞などは大方、次の例のように表現していました。

  2009.3.14 13:35 産経
  <同署幹部は「けが人は出ていないが、転倒する恐れがあることや、住民から不安の声が多数寄せられたことから、悪質な行為と判断した」としている>
  <多数寄せられており>ではありませんね。手抜きのない、論理が通った、きれいな表現の一例です。

  上の朝日の記事でいえば、<後任の救急医はまだ2人しかめどがたっていないために、4月以降のセンターの機能に不安の声が上がる異例の事態となっている>と書けば、だれかを<卑しめののしる>ことにも、論理の手抜きにならないのです。
  時事では<中国当局は……を続けるだけにとどまらずラサ市では治安部隊による厳戒態勢を敷いた>というのはどうでしょうか?

  つまり、第二に明らかなのは、日本の放送・報道界は(自分たちが何をしているかが分からないまま)日本語の“おろかな簡便化”に向かって突き進んでいるということです。どこででも妖怪“オリ・オラズ”を使ってすませようとしているのです。

  文の節と節を手抜きの言葉でつなぐことが普通になれば、日本人の思考能力までが劣化してしまいます。ある事柄と他の事柄のあいだにある正しい関係(つながり)が見えなくなってしまいます。筋道をちゃんと立てて物事を見ることができなくなってしまいます。
  日本語だけではなく、日本人の思考能力さえも劣化させてしまいかねないこんな“妖怪”をいま以上にはびこらせてはなりません。
  
  ところで…。
  “オル”については、ドラマの脚本でも事態はかなり深刻になっています。
  <主君XX公は……と言われておった><……と言っておられた>とういようなせりふが頻繁に聞かれます。…どこかがおかいいと感じませんか?
  <いられる><いられた><いらっしゃる><いらっしゃった>をこのまま死語してしまっていいのでしょうか?

  “悪語”に“良語”を駆逐させてはなりません。