翻訳という仕事は難しいものです。「苦言熟考」は過去にも何度かそう述べたことがあります。
5月に日本に里帰りしたときに、兄の本棚にたまたま「サザンクロス」(パトリシア・コーンウェル)の文庫本(講談社 相原真理子訳)がありましたので、それを借りてきて、いま少しずつ読んでいます。コーンウェルの小説はペイパーバックでそれまでに七、八作ほどは読んでいましたので、その日本語版にも、まあ、なんとなく親しみを感じたものですから。
この本は、しかし、それ単独にではなく、BERKLEY FICTIONの英語本と平行させて読んでいます。前に「合理的な疑い」(ハヤカワ文庫 延原泰子訳)という小説の日本語があまりにひどかったことを思い出してにわかにわいてきた好奇心から、相原氏の翻訳も原文と比べてみようと思ったからです。
まだ半分ほどしか読み進んでいませんが、大まかな印象では、相原真理子訳は「合理的な疑い」の延原泰子訳よりも数段は優れているようです。しかしながら、それでも、「翻訳というのは難しいものだ」と改めて思わせられる個所にところどころで行き当たることがあります。
たとえば、この文庫本の17ペイジに<「あたしたちはいったい何なのよ。あちこちの警察をまわって歩く移動外科病院じゃあるまいし」と、ウエストは言いつのった。「ばっかみたい。時間の無駄もいいとこだわ。こんな不毛なことをやるのはじめてよ」>というところがあります。
意味が分かりますか?そんなものが仮にあるとしても、自分たちが「警察をまわって歩く移動外科病院」のようだと何故に「ばっかみたい」なのでしょうか?この訳では説明されていませんよね。
「合理的な疑い」の日英両語を比較したときの経験から言いますと、こんなふうに日本語自体があいまいだったり、意味を成さないような個所は(翻訳者自身も気づいている可能性が高いのですが)まず例外なく、手抜き訳か誤訳になっています。
英語の方はこうなっています。
"Like we're some kind of MASH unit for police departments," she added. "Who are we kidding? What a waste of time. I don't remember when I've wasted so much time."
SHEというのは、“警察行政改革人”ジュディー・ハマーに、一年間の請負仕事だからということで、元恋人のアンディー・ブラジル巡査とともにノースカロライナ州のシャーロット市からヴァジーニア州リッチモンド市の警察本部に連れてこられているハマーの補佐官ヴァジーニア・ウェストのことです。リッチモンドでの仕事と暮らしが彼女にはなかなか好きになれないようです。
さて、ここで「移動外科病院」と訳されているのは「MASH」という言葉です。「移動外科病院」というのは、当たらずとも遠からず、と言えないこともないかもしれませんが、この本が出版された1990年代の後半に大半のアメリカの読者が「MASH」と聞けばすぐに思い出すのは1970年代に大ヒットした同名のTVシリーズだったに違いありません(日本でも放送されました)。ですから、そのことを完全に無視したままの訳でいいのかどうか…。無視したままというのは、つまり、言葉は悪いのですが、やはり、手抜きなのではないか…。
テレヴィ・シリーズのタイトル、MASHというのは、朝鮮戦争中の米陸軍移動野戦外科病院を指しています(Mobile Army Surgical Hospital)。シリーズの内容は、その野戦外科病院の医者たちが繰り広げる大人の、ひねりが効いたコメディーでした。ただの「移動外科病院」では、その辺りの(アメリカ人には了解できている)事情が日本の読者にまったく伝わりませんし、ウエストのぼやきの理由も分かりません。
ここの英語文を日本の読者にも理解してもらうためには、たとえば…
<「あたしたちって(あちこちの警察を渡り歩いて、そこが抱えている傷を治そうとしているんだから)あのテレヴィ・シリーズ"MASH"の陸軍野戦外科病院の軍医たちの警察版みたいなものよね」と彼女は言い足した>とでもするべきだと思われます。
そこにつづく「ばっかみたい」という訳にも問題があります。原文は"Who were we kidding?"となっています。シリーズの中では、この野戦病院の外科医たちが患者や将校たちをからかう場面が続出します。そこがとにかく笑えるのです。このショウが高い視聴率をあげていたのはその笑いがあったからです。ですから、"Who were we kidding?"というのはその“からかい”を受けた言葉なのだと解釈するのが正しいと思われます。つまり、ウエストは「ドラマの中のあの外科医たちには、少なくとも、仲間の医者や将兵などといった他人をからかうという楽しみがあったのに、(警察を渡り歩いていまリッチモンドに来ている)このわたしたちには(ここの既成勢力に改革をじゃまされるばかりで)それもないじゃない」というぐあいにぼやいているのです。原文の読者はそういうふうに受け取ったはずです。「ばっかみたい」ではそこのところが日本の読者に伝わりません。
もちろん、プロの翻訳家は常に時間に追われて仕事をしているに違いありません。締切日に間に合わせて初めてプロとして認められるのでしょう。原文のすべての言葉を調べ上げて訳をするゆとりはないに等しいのだろうと思います。
しかし、原文の中で翻訳者に分からない個所は、それをそのまま日本語で読む読者にはもっと理解できません。
翻訳というのは、素人がその出来、質を判断することが、たとえば工業製品や食品などの何倍も難しいものなのでは?つまり、ほかのどんな“製品・商品”よりも生産者=翻訳家の良心が問われる仕事なのでは?
翻訳家には常に「翻訳とは難しいものだ」ということを頭において、できるだけ丁寧な、きめ細かい仕事をしてもらいたいものだ、と改めて感じています。
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もう一点、こちらもテレヴィが関わるところで…。
文庫本「サザンクロス」の283ペイジに「手工具の数の多さは、ボブ・ヴィラの作業場にもまさると思われるほどだ」という個所があります。ここでは「ボブ・ヴィラ」という人物が何者であるかが分からないと、何のことだかよくは分かりません。イメッジがわいてきません。
ボブ・ヴィラというのはアメリカで最も名と顔を知られた“ホーム・インプルーヴメント”(自分でやる自宅改良工事)の権威・人気者で、そのテレヴィショウは彼の作業場からの中継という形になっていますから、多くのアメリカ人はそこにどんな工具がどれぐらい揃っているかをだいたい知っているのです。
この小説が翻訳されたのは1998年だと思われます。とうに、インターネット時代に入っていました。だれにでも簡単に検索ができるようになっていたわけですね。ほんのちょっと時間をかけて訳者が検索しておけばBob Vilaがどういう人物なのかはすぐにも判明していたはずです。
せめて「テレヴィの“ホーム・インプルーヴメント”ショウのホスト、ボブ・ヴィラの…」ぐらいにでも訳されていれば、日本の読者にはいくらかは分かりやすくなっていただろうと思います。
翻訳家のみなさん、インターネット検索の普及で、手抜き訳には昔よりは厳しい目が向けられる時代になっています。
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第31回 改題再掲載 翻訳はホントウニ難しい!! (1) http://d.hatena.ne.jp/kugen/20081204/1228353415
第32回 改題再掲載 翻訳はホントウニ難しい!! (2) http://d.hatena.ne.jp/kugen/20081205/1228437531
第33回 改題再掲載 翻訳はホントウニ難しい!! (3) http://d.hatena.ne.jp/kugen/20081206/1228539414
第34回 改題再掲載 翻訳はホントウニ難しい!! (4) http://d.hatena.ne.jp/kugen/20081207