再掲載 第20回 ヘメット / カリフォルニア 

  10年以上前にこんなことを書いていました。

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  どんな退職後の暮らしを考えていますか。
  
  カリフォルニア州内の駐車場でコネティカット州カリフォルニア州ペンシルヴェニア州の3台の車が隣同士で並んでいるところを目撃する確率というのは、統計学的にいえば、いったいどのぐらいなのでしょうね?

  その珍しい光景に出合ったのは、ほかならないわたしが住んでいるアパート群(全320ユニット)の中の駐車場ででした。数か月前のことです。
  カリフォルニア州のナンバープレイトをつけていたのはわたしの車で、左隣がコネティカット州、右隣がペンシルヴェニア州のものでした(コネティカット・ナンバーはすでにカリフォルニアのものに変っています)。
  コネティカットというのはニューヨーク州(ニューヨーク市)とマサチューセッツ州(ボストン市)の中間にある小さな州で、ペンシルヴェニア州では(アメリカ発祥の地)フィラデルフィアと(鉄鋼の町)ピッツバーグがよく知られた都市です。ともに北アメリカ大陸をまるまる隔てた東部の州ですね。

  このアパート群には2個所、ローンドリー施設があります。いくらか暖かかったとはいえ十分に冬の寒さが感じられた数週間前のことでした。
  ローンドリーに行く途中のユニットにタバコ好きの夫婦が住んでいます。タバコは室内ではなく、必ずテラスで吸うことにしているこの夫婦とはあいさつを交わす機会が少なくありませんが、この日の(70代半ばだと思われる)ミセスのいでたちには驚かせられました。ピンクの木綿の半そでシャツ、ショート・パンツを身につけているだけだったのです。
  「まあ、まあ、それで寒くないんですか?」。わたしは自分の身を縮めて見せながら尋ねました。
  ミセスの返事は「なあに、わたしたち(夫婦)はアラスカから移ってきたので、きょうのこの気温はアラスカでは夏のもの、気持ちがいいぐらいですよ」というものでした。

  わたしがヘメット市に移ったのは2003年9月です。それからこれまで、市内で、いったいいくつの州の自動車を見かけたか…。
  そのアラスカをはじめ、アイダホ、ワイオミング、ノースダコタミネソタネブラスカ、アイオア、ヴァージニア、ニューハンプシャージョージア、フロリダ、テキサス…。
  見たという記憶がないのはハワイ州サウスキャロライナ州のものぐらいだと感じています。
  <そういえば、12月にわたしの車にぶつかってきたカローラユタ州のプレイををつけていましたね>

  冬場にはその状況にカナダのブリティッシュコロンビア州アルバータ州の車が加わります。

  ヘメット周辺のゴルフ場は12月から3月まで<スノーバード>と呼ばれるそのカナダ人で満ち溢れます。
  皮肉が好きな地元アメリカ人は<パームスプリング辺りで冬を過ごすだけの金銭的余裕がないカナダ人がここに寄って来るのだ>と言います。
  ヘメットから車で東へ小一時間というところにあるパームスプリングスとその周辺は立派な避寒地として(たぶん)世界的に知られています。知られているぐらいだから、あそこではゴルフを楽しむにも宿泊するにもけっこうカネがかかるのだ、というわけです。
  つまり、ヘメットはいわば<庶民のパームスプリングス>になっているといえるかもしれません。

  現在の人口が7万人弱のヘメットは、それまで牧場と酪農場ぐらしかなかった土地に、一九六〇年代になって退職者たちが移住し始めてからしだいに大きくなってきた、南カリフォルニアの、どちらかというと奥まったところにある町です。
  初期の移住者たちの多くは、手軽に変えて維持も簡単な モービル・ホーム(マニュファクチャード・ハウス)を住居にしたようで、ヘメット市内とその周辺にはいまでも数多くのモービル・ホーム・パークがあります。

  そのモービル・ホームを買ってセカンド・ハウスとして、冬場をヘメットで過ごすカナダ人も少なくないようです。ワシントン州オレゴン州の住民でそうしている人たちにも出会ったことがあります。

  上のタバコ好きの夫婦のように、アラスカからやって来てアパート暮らしをしている人たちもいます。

  いや、ヘメット市内で州外ナンバーを見かける頻度から判断すると、冬の寒さが厳しいカナダやワシントン州アラスカ州からだけではなく、実は、全米各地から多くの人びとがここに移ってきているに違いありません。穏やか(で、比較的に安上がり)な退職生活をここで楽しもうというので。

  前に住んでいたモンタレーパーク(ロサンジェルスのすぐ東隣の市)で知り合った、ある(当時60代前半だった)日系二世の男性、フレッドさんはこんな人生プランを持っていました。
  成人したら、親に育ててもらった家(①)を出て(一所懸命に働いて)自分の家(②)を持つ、子供の成長に合わせて家を買い換えたりしながら(③)子供たちを育て、その子たちが成人して家を出て行ったら、夫婦二人で(ゴルフなどをやりながら)退職生活が楽しめるところに移り(④)、(体が動きが悪くなったら)最後は海辺の小さな家で静かに暮らす…。
  わたしが知り合ったときのフレッドさんは③と④のあいだにいましたが、そのうちに④としてラスヴェガスを選んで、そちらに移っていきました。数年後には、南カリフォルニアのどこかのビーチでフレッドさんと偶然再会することがあるかもしれません。

  日本ではいま、退職後にはできれば田舎で、畑づくりでもしながら、のんびりと暮らしたい、と希望する人が増えているそうですね。
  あなたは退職後の暮らしをどう思い描いていますか。

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