日本語で大失敗したアメリカ人の話

  今回は2005年に書いた「ステアク・エッセイ=苦言熟考」の【第14回 日本語で大失敗したアメリカ人の話】を再掲載します。
  第31回から第34回までの「翻訳はホントウニ難しい」といくらかは関連しているエピソードです。
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  先日、たまたま一緒になった、三人のアメリカ人とゴルフをしました(もっとも、ここ南カリフォルニアでわたしがゴルフをやる相手は、そのひとたちがどの民族系であるかを考えなければ、当然、ほとんど例外なくアメリカ人なわけですから、そのことに格別な意味はありませんが…)。
  それぞれ、トニーとスコット、ジョーという名でした。
  トニーとスコットはともにがっしりとした体格の長身の白人。二人ともかなりのロング・ヒッターでした。特に、若い方のトニーは(まっすぐでないこともありましたが)簡単に300ヤード以上はボールを飛ばしていました(!!)。
  ジョーというのは、前に「ゴルフ・ジョーク」(第6回 <2005年6月20日>)に顔を出した人物とはまったくの別人で、こちらは完全に(?)東アジア系の顔立ち。ゴルフ経験が三人の中では一番浅いということが分かる、まだ磨かれていないスウィングを見せていました。
      --3人とプレイしたヘメット・ゴルククラブ(写真は10番ホール)--
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  プレイし始めて間もなく、ジョーが話しかけてきました。「アンディー、もしかしたら、あなたは日本人ですか?」
  ジョーがそういう(ゴルフとは関係のない)私的な質問をしてきたのは(すぐに分かったことですが)彼自身が(母親が福岡出身だという)日系人だったからです。
  ジョーの次の質問はわたしが日本語をしゃべるかどうかでした。
  そのあとのジョーとの会話は日本語と英語が入り混じったものになりました。
  三人は(わたしが住んでいる)ヘメットの近くでは最大の市リヴァーサイドの、あるキリスト教教区の牧師で、トムがそこの長、スコットは「信者さんたちとスポーツだけしている気楽な立場の」牧師だということでした。
  で、ジョーは…。
  ジョーはそこから急に方行を変えて、こんな話を始めました。「いまは少し日本語が話せますが、初め、伝道のために日本に行ったころは、ほとんどだめで、何度も大きな失敗をしましたよ」
  ジョーが<いまだから笑いながら話せるのですが>といった口調で語った失敗の第一は―。
  「北海道での話です。僕は、伝道活動中で、ある町から次の町へバスで移動しようとしていました。次の町の目的の場所に行くには三つ目の停留所でバスを降りなければなりませんでした。バスはすごく混んでいました。
  「バスは停留所をすでに二つ過ぎ、目的地に近づいていました。降車の意思を伝えるにはブザーを鳴らせばいいことは分かっていました。ところが、ブザーのボタンを押しても何の音も出ません。声を出して降車の意思を運転手に告げなくてはならなくなりました。
  「<どう言うのだったけ> 僕はあれこれ考えました。<僕はアメリカ人だけど、顔がすっかり日本人だから、間違ったことを言うと周囲の人たちに変な目で見られるだろうな> <だけど、何か言わないと降ろしてもらえない> <降ろしてもらえないと、次の目的地に行けない>
  「バスが目的の停留所に着きました。でも、混んだ車内を降車口に向かって進むことができません。
  「思い出しました。こんなときにどう言えばいいかを思い出した、と思いました。胸をどきどきさせながら僕は大きな声で言いました。<僕をここでコロシテください!>
  「周りの人たちがどんなふうに反応したか、アンディー、想像できるでしょう?」
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  日本語に関する二つ目の失敗談は―。
  「ある町で、僕は、ある婦人会の会合に出ることになりました。誰かを(特に初めて)訪ねる際には何か土産を持っていくという習慣が日本にあることは学んでいました。そこで、僕は妻にアップルパイを作ってもらって、それを手土産にすることにしました。
  「当日、会場に着きました。僕は、日本語では、丁寧に物を言うときに<お>をつけるということを思い出しました。<お菓子><お礼>など。
  「そこで、アップルパイを婦人会の参加者たちに指し出しながら、僕は言いました。<僕の妻のお(っ)パイを食べてください!>」
  「アンディー、外国語を学ぶというのは大変なことですね」
  昔の失敗を(いまでは懐かしそうに)思い返しながら、ジョーは言いました。
  「まったく!」
  言うまでもなく、大きくうなづきながら、わたしは応えました。
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