第352回 "全体主義政党"に成り果てた自民党

  2015年08月27日の読売新聞にこんな記事がありました(http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150827-OYT1T50094.html)。
  <自民党は27日、安倍首相の自民党総裁任期の満了に伴う総裁選を「9月8日告示、20日投開票」の日程で行う方針を固めた><28日の総裁選管理委員会(野田毅委員長)で正式に決める>
  <党内の7派閥のうち、総裁選への対応が定まっていなかった岸田派と石原派は27日、それぞれの派閥会合で首相支持の方針を決めた。これにより全派閥が首相支持で一致した。党内の一部には、野田聖子・前総務会長の出馬を求める声があるが、出馬に必要な20人の推薦人確保は難しい情勢となり、首相の無投票での3選が濃厚になった。首相の新たな総裁任期は2018年9月末まで>
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  総裁選の結果は上の記事どおりになりました。
  【自民党総裁選:野田聖子前総務会長の記者会見 要旨】毎日新聞 2015年09月08日(http://mainichi.jp/select/news/20150909k0000m010001000c.html
  ≪私の力が及ばず、本日、総裁選への挑戦を断念した。私の思いを理解してくれた同志の議員から「民主主義では全会一致による決議は無効だ」という言葉をもらった。自民党らしい自由闊達(かったつ)な議論のできる総裁選を実現したいという思いを強くし、全身全霊で取り組んできた自民党にも多様な議員がいて意見がある。その多様性が魅力のはずだ≫
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  野田氏の「自民党らしい自由闊達(かったつ)な議論のできる総裁選」という言葉を聞いて、かつて「時事往来」にこんなコラムを書いていたことを思い出しました。
  〘1987年12月9日-- 政治家の言葉〙(http://d.hatena.ne.jp/ourai09/20090301/1235860772
  «「竹下政権なら議員やめる」二階堂氏
  «政治家というのはずいぶん思い切ったことを言うものだ。
  «この発言があったのは十月十七日。竹下、安部、宮沢の三氏が自民党総裁選びの大詰めを迎えて必死の多数は工作に走る一方で、それぞれ<話し合い>をくり返し、互いに腹の探り合いをつづけながら、しかも、中曽根総裁(当時)の裁定にも期待をつないでいる、といった状況の中でのことだ。
  «二階堂氏が竹下氏に敗れたことはその時点でもう明らかになっていた。二階堂氏の、少なくとも総裁選における役割は実際、ほとんど終わっていた。安部、宮沢の両派は、万が一にも党大会での投票に持ち込まれた場合に備えて、あるいは<話し合い>を自派に有利に運ぶために、二階堂氏の<田中派>を最期の<草刈り場>にしようとしていた。
  «一方、中曽根総裁と中曽根派は沈黙に近い状態を保っていた。
  «数の論理でいけば、竹下氏有利というのが一般の見方だった。
  «二階堂氏にできることといえばもう、竹下新総裁の出現を“できるだけ”妨害することぐらいしかなかった。<田中派>を割って出た竹下氏に対する二階堂氏の<憎し>の感情は高まるだけ高まっていた。いや<田中派を割って>ではなく、竹下氏の創政会は<田中派を潰して>出ていったのだった。二階堂氏の無念がついに「竹下政権ができるようなら、私は国会議員をやめる」との発言にまで高まったとしても、その心中は分からないものでもなかった。
  «しかし、やはり、二階堂氏は辞めなかった。
  «辞めると期待していたわけでも、まして信じていたわけでもなかったが、辞めればおもしろいとは思っていた。
  «政治家のご大層な発言をいちいちまともに聞いていては、聞く方の健康によくない、ぐらいのことはいまどき、たぶん、子供だって知っているだろう。だからこそ、二階堂氏が辞めればおもしろいことになっているはずだった。
  «政治の世界の言葉がますます遠くなっていく。
  «虚々実々、駆け引きに明け暮れる政治家の言葉が常に真実を語っているとは思えないが、こんどの二階堂氏のもののように、たとえ一時の高揚からにしろ、思わず真情を洩らした言葉ぐらいには<まとも>な責任の取り方があってもよかったのではないか。…そんな気がする。
  «辞めなかったことで二階堂氏は、控えめに言って、政治の素人の目には<ただの凡庸な政治家にすぎなかった>と写ったと思う。それが言いすぎなら、<田中角栄元首相あっての二階堂氏だった>という印象がいっそう濃くなったことは間違いない。
  «政治の世界は複雑怪奇。仮に二階堂氏が辞めていたとしても、何も変わってはいなかったかもしれない。だが、政界用語の空々しさにひと刺し、日常感覚そのままの<血の通った>言葉を差し込めば、ほんのひと時とはいえ、ある種の文化的ショックを政界に与えることになっていたのではないだろうか
  «二階堂氏はせっかくの機会を自ら捨ててしまった。田中元首相に最後まで忠誠を尽くし、自民党史上最大の勢力を誇った派閥の崩壊を見届けながら、無念のうちに議員を辞した<最後の“党人派”党員>として党史に名を残すことも、これでなくなった。
  «竹下新政権。<田中派>からは、やはり、一人の大臣も生まれなかった。
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  二階堂氏は結果としては、議員としてとどまり「ある種の文化的ショックを政界に与える」ことに失敗しました。しかし、二階堂氏の「議員をやめる」発言は、良くも悪くも、自民党が「虚々実々、駆け引きに明け暮れる政治家」たちの集団であることを世間に向かって明らかにしてもいたのです。その派閥抗争で、自民党にはまだ"活力"が十分に残っていることを証明したのです。
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  一方、今回の総裁選挙で自民党は自らがいかに「自由闊達(かったつ)な議論のできる」政党ではなくなっているかをだれの目にも明らかにしました。
  「全派閥が首相支持で一致した」
  自民党は"党内全体主義"政党に成り果ててしまいました。全体としての多様性を捨て去り、時の党内権力者にだれもがへつらう、身の毛もよだつようなのっぺらぼう集団になってしまいました。
  「次の選挙では何としても一人区で公認してもらいたい。比例区では少しでも上位に指名してもらいたい」「次の内閣改造では是非とも大臣にしてもらいたい。一人でも多くの大臣を自分の派閥から出したい」
  そんな議員たちが、いまの選挙制度の下で、党の執行部に逆らうはずがないではありませんか。そうでしょう?
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  二階堂氏たちの時代には中選挙区制が採用されていました。
  〘中選挙区制中選挙区制(ちゅうせんきょくせい)は、一つの選挙区から複数人(概ね3人から5人)を選出する選挙制度であり、1994年に廃止されるまで大選挙区制非移譲式単記制が採用されていた。なお、「中選挙区制」とは日本独自の呼称である(ウィキペディア
  つまり、この中選挙区制度の下では、同一選挙区に同一政党の候補が複数立候補することが可能でした。3人から5人の当選者の中に自派閥候補を入れ込みたいと、自民党員同士でも互いに議席を争い合ったわけですね。
  当時の自民党には争うだけの多様性があったということです。自民党にはそれだけの活力があったということです。
  現行の「小選挙区比例代表並立制」が"多様性の党"としての自民党を殺してしまいました。
  「いまの自民党員は、二つの目がともに上向きについているヒラメ議員ばかりだ」という趣旨の発言を聞きます。党執行部の顔色をうかがうことしかできない議員だけで自民党は構成されているということですね。
  そんなヒラメ議員たちが党執行部=安倍晋三総裁を"独裁者"にしています。党の全体主義化を下から支えています。
  上の記者会見で野田氏が引用した「民主主義では全会一致による決議は無効だ」という言葉を重く受け止めることができる自民党議員が果たしていま、何人いるでしょうか?
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  "全体主義"に支配された自民党が「亡国好戦法」を力づくで成立させようとしています。
  同法案に関するまっとうな党内議論をしもしないで。
  自民党は党内に"議論の自由"がない、ほとんど中国共産党朝鮮労働党なみの非民主政党になっています。
  こんな自民党に"愛国者面"をさせていてはなりません。
  「貧すれば鈍する」国=アメリカからの強圧を利用して日本を再び「大日本帝国」にしようという安倍首相といまの自民党の悪行=暴挙を許してはなりません。
  違憲「亡国好戦法」を成立させてはなりません。
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 【内閣支持、最低の38.5%】時事通信 9月11日(http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015091100646
  <時事通信が4〜7日に実施した9月の世論調査によると、安倍内閣の支持率は前月比1.2ポイント減の38.5%だった。政権復帰後、初めて4割を切った前月を下回り、最低を更新した。不支持率は同0.4ポイント増の41.3%。安倍晋三首相は自民党総裁選で無投票再選を果たしたが、政権を取り巻く環境は厳しさを増している>
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