第250回 「梅ちゃん先生」 −2− それではただの愚か者です

  日本放送協会NHK)の“朝ドラ”「梅ちゃん先生」を見なくなってから、かなりの日数が過ぎました。見なくなって、朝から無用にいらだつことがなくなりました。疑いありません。
  今回も、その、見なくなった理由の一つを、前回同様に記憶だけに頼って、書くことにします。
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  女子医大に合格したことがすでに周囲の人たちには驚きだったことが暗示していたように、主人公、下村梅子は大学での学習にも遅れがちでした。医大での4人の仲間たちや、父親が働く別の大学の学生や研究生たちの助けを借りることなしには進級もおぼつかないというのが実態でした。
  そんな具合でしたから、梅子は最後の卒業試験でも、いくつかの科目でしくじります。
  しくじったのに、教授の温情で追試験を受けさせてもらったのは、まあ、梅子には幸運なことでした。…そうであるはずでした。
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  さて、そのころちょうど、梅子の仲良しグループの中の一人が(枠を大きめに広げていえば)「自分はどう生きればいいのか」という問題に直面して、おおいに悩んでいました。梅子は(いつものように、親切心、実はおせっかい心を膨らませて)この友人の悩みを解決してやりたいと思い込んでいました。
  ある科目の追試を受けている最中でした。問題が解けずに集中力を失った(らしい)梅子の目に、その友人が教室の下の中庭のベンチに座り込んで肩をすぼめている姿が飛び込んできました。
  さあ、梅子は気が気ではありません。
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  待ってください。
  そもそも、卒業できるかどうか、将来の人生がかかっている追試を、極度に緊張して受けている最中に、窓の下の中庭なんかに目を向けますか?
  梅子の親切=おせっかいぶりをよく知っているその友人が、梅子が追試を受けている教室の下に来て、うなだれた姿をわざわざ見せますか?
  そんな程度の不自然さに驚いてはいけません。梅子はなんと、その教室を飛び出して、中庭の友人のもとに走ったのです。
  追試の放棄は、卒業ができない、国家試験が受けられない、つまりは、少なくとも、医者には当分はなれない、ということは、周囲の人たちに支えられながら育ててきた自分の夢を捨てることになりかねない、ということを意味していたのですよ。
  実際、そこに来るまでに、梅子はどれだけの人たちに、どれほど助けられ励まされてきていたでしょうか?その人たちが梅子に与えてくれた好意や善意をすべて無にしてもいいから、中庭でしょげかえっている友人を、追試を受けている最中に、励ましに行く?
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  これは独りよがりの“愚か者の決断”以外の何物でもありません。
  脚本家や演出家はこの場面で、梅子の心の優しさを描き出すつもりだったのでしょうが、ここでの梅子の行動は、何よりも、まずは、それまで応援してくれた人たちへの重大な裏切りです。その人たちのためにも追試で合格点を取ることを第一にするのが、責任感がある人物にふさわしい選択でしょう?
  その友人は、大学の中庭でしょげ返っているだけですよ。身投げをしようと海岸の崖っぷちに立っていたわけではないのですよ。追試を受け終えてから励まそうと考えるのが普通でしょう?
  応援してくれている家族や知人たちの願いに考えが至らない、事の道理すら理解できない、無鉄砲な、こんな梅子に、悩んでいる友人にいい助言をすることができる、とはとても思えません。このドラマのこの場面では、梅子は、脚本家や演出家の意図を大きく離れて、そう描かれています。
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  追試の教室を飛び出した梅子に、担当教授は最初は落第を宣します。当然ですよね。梅子は追試を受ける資格を自ら放棄したのですからね。
  ところが、ところが…。それでは、人びとに愛される町医者に梅子がなるというドラマにはなりません。脚本家と演出家は、梅子の親友の4人の友情の深さが教授の心を動かすという筋にたどりつきました。梅子は最追試を受けさせてもらいます。
  取り返しがつかないはずの愚かな判断・行動をしてしまったのに、そのことで罰せられる、つまり、正当な責任を取らせられることがないばかりか、梅子はなぜかいつものように、周囲の人たちの善意に救われるという、現実ばれした、あるいは、実に空々しい、ストーリー展開です。
  NHKの朝のドラマよ、正しい教訓を垂れよ、とは言いません。いえ、その必要はありません。ですが、追試を受けるという話がこんなふうに進んでしまっては、あまりにも無責任ではありませんか?
  愚かな判断でもいい意図で行われたものなら、いい結果に結びつく?
  世の中をそんなふうにアマイものに描き出すことに、いま、どんな意義があるというのでしょう?
  いえ、本当にアマイのは脚本家と演出家の頭なのですが…
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  脚本家と演出家は自分たちが何が言いたいのかだけは分かっているようです。しかし、そのことを視聴者に理解してもらうためにはどうストーリーを展開させなければならないかについては、何も分からないままでこのドラマを制作しています。そうとしか思えません。
  前回とおなじことを言います。
  脚本家や演出家の能力が足りないために主人公、登場人物たちがただの愚か者にしか見えない、というドラマは失敗作です。見るには値しません。
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  梅子が見合いをするところについて次回は書くつもりでいます。