第251回 「証拠を示せ」はおかしいのでは?

  いわゆる“朝鮮人従軍慰安婦問題”で、石原東京都知事や橋下大阪市長、安部元首相などが、ほとんど一斉にといった具合に「慰安婦の強制連行(徴用)などに旧日本軍が直接関わったと言い張るのなら、韓国側はその証拠を示せ」と声を高めています。
  どこかが変ですね。
  この人たちの言い分は、たとえばいじめの被害者に「被害を受けたという証拠を出せ。出せないのならいじめはなかったということだ」といじめた当人たちや、学校・教育委員会、警察などが言っているのと同様に聞こえませんか?
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  いじめる方は、その仲間が寄って、誰をターゲットにするか、どういうふうにいじめるかなどを話し合うでしょうし、その相談の内容がたとえば携帯メイルに残っているということもないとはいえないでしょうが、いじめられる側は、身体的に傷つけられたことを証する診断書やいじめられるところをじかに見た人物の証言などがなければ、証拠の示しようがありませんよね。
  いじめの大半では、それを証言するのは、いじめられた当人の言葉(教師・学校への訴え、日記、遺書、他の友人への告白など)だけに限られているようです。いじめた方が、口裏を合わせて嫌疑を否定し、たとえば、メモなどの証拠物を(いわゆる終戦の日の前後に日本政府や軍が膨大な量の書類をそうしたように)焼却してしまえば、いじめられた側に事実を証明することはほとんどできないに違いありません。
  いじめの被害の中には金銭的なものも肉体的なものもあるようですが、最も一般的な被害は精神的な苦痛であるようです。ですから、いわゆる“状況証拠”がいっさい採用されないとなると、いじめの大半はこの世の中に存在しないことになりかねません。いじめた方やその件を調査する側がいじめらた方に「いじめられたという証拠を出せ」と迫るのは本末転倒、大きな筋違いだと思えます。
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  “従軍慰安婦問題”の本質は、実は、旧日本軍が直接に手を出したかどうかではないはずです。そうではなくて、この制度を旧日本軍が、少なくとも、容認し、便利に利用したことが根本の問題であるはずです。“従軍慰安婦”制度は、その制度がどのように運営されたにしろ、それが有益だと判断した大日本帝国とその軍の強大な権力を後ろ盾にして初めて成り立ったものなのですから。
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  いじめがあるのを知りながら、いじめをやめさせるどころか、むしろ、自ら積極的にいじめグループをけしかけるようなことをした教師がこれまでに何人もいましたよね。−それが“従軍慰安婦”制度で旧日本軍が果たした役割だったはずです。
  そんな教師の「わたしは直接にいじめていない」という言い逃れが通用していいのでしょうか?そんな教師の責任が問われないことがあっていいのでしょうか?直接に手を下していなくても、こんな教師は、当然のことながら、最低限でも、“ただ見ていた責任”を何らかの形で取らせられるべきでしょう?
  「証拠を出せ」という主張は“けしかけ教師”の開き直りに似ています。そう思いませんか?