第247回 その「あり」の使い方はやはりおかしい

  要点だけ取り上げていいますと、「新潮国語辞典 現代語・古語」では「ある(有る・在る)」には 1.存在する 2.居る。住んでいる 3.生きている。生活する の三つの意味があると説明されています。
  「現代国語例解辞典」(小学館)では「ある(有る・在る)」の第一義は「生物・無生物・事柄などが存在する」で、第二義は「そういう状態である意を表す」というふうに記されています。
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  <陸上のジャマイカ選手権最終日は1日、キングストンあり、男子200メートル決勝で19秒19の世界記録を持つウサイン・ボルトは19秒83で2位に終わった> (2012年7月2日10時24分 朝日)
  この朝日新聞の記事を見て胸が悪くなるようでしたら、安心してください、あなたの日本語力はまだ正常に保たれています。いやいや、あなたは、いまの時代にはまれな立派な日本語の使い手です。
  だって、上の朝日新聞の記事といったら、あまりに無様ではありませんか!その無様さを象徴しているのが「あり」です。
  <陸上のジャマイカ選手権最終日は1日、キングストンで>「あり」なのですよ。「最終日は…あり」!
  この「あり」は上の二つの辞典が説明していることのどれにあたるのでしょう?
  基本的な文法を無視して記事を書いて、それを恥じない、というよりは、それに気づきさえしない朝日新聞
  いえ、そもそも、辞典にどう説明してあるかということの前に、「最終日は」…「あり」という文が成り立つ、あるいは、変ではない、と記者と編集者が考えていることがおかしいのです。「最終日」と「あり(存在する)」は論理的にまったくつながっていませんよね。日本語としては最低に属する悪文です。せめて「最終日の競技」…「あり」ぐらいにしておいてもらわないと、こんなひどい記事を読ませられてしまったことを、読者が後悔してしまいます。
  そう変更したあとで、さらに「あり」を「行われ」と言い換えて「キングストンで開かれていたジャマイカ陸上選手権は1日、最終日の競技が行われ」とでもすれば、意味がもっとよくつながります。
  記事全体についても、こう書き換えればちゃんと理解してもらえるのに、という書き方はいくつも思いつくことができます。
  そうですね、たとえば、「ジャマイカキングストンで開かれていた(同国)陸上選手権で、最終日の1日、男子200メートル決勝(レース)が行われたが、自分が持つ19秒19の世界記録を更新するのではないかと期待されていたウサイン・ボルトは、19秒83の平凡な記録で、2位に終わった」ではどうでしょう?
  そういえば、「男子200メートル決勝で19秒19の世界記録を持つ」も、あまりにも手を抜いた悪文ですよね。「男子200メートルで19秒19の世界記録を持つ」ボルトなのですから…。
  せめて、「男子200メートル決勝で、19秒19の」と“点”を打っておくべきでした。
  「1日に最終日を迎えたジャマイカ陸上選手権(キングストン)の男子200メートル決勝で、19秒19の同距離世界記録を持つウサイン・ボルトは19秒83の平凡な記録にとどまり、2位に終わった」とでもすれば、意味が間違いがなく伝わります。
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  上の例のような無様な記事はスポーツ欄だけに見られるものではありません。政治、経済、社会、論説…。どの分野の記事にも頻繁に見られます。
  こんな理不尽な文を掲載する新聞、こんな劣悪な文を読み上げる放送局。
  こんな程度の、前後のつながりがまともにつけられない“脳”で、世の中の複雑な動きをちゃんと把握し、正しく報道できるとは、とても思えません。
  日本語をこんなふうに粗末に扱うことで、朝日新聞(だけではなく、日本の報道機関のほとんどすべて)は日本を衰退させています。
  日本人の大多数が「陸上のジャマイカ選手権最終日は1日、キングストンあり」で良しとするような粗雑な頭だったら、世界に向かって誇ることができる品質の工業製品はとても製造することができませんよね。世界を納得させるような意見を発信することなんか絶対にできませんよね。
  読者・視聴者に信頼されたいのだったら、いえ、日本を良くしたいのだったら、報道機関は、自分たちの日本語能力を高めるところから、出直すべきです。
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