第102回 田母神氏に「言論弾圧」を口にする資格はあるのだろうか 閲覧(291)

こんな状況を設定して考えてみましょう。

  A氏は、博愛・非暴力主義を唱えるある宗教団体が経営する学園の中等部の教師です。勤続10年以上。生徒指導にも熱心に取り組んできていました。
  そのA氏は、自分の経験から最近、「生徒指導には体罰も必要だ」と信じるようになっています。その考え(思想・信条)を同僚の教師たちにも話すようになりました。
  A教師があまりにも真剣に「体罰の必要性」を訴えるもので、同僚のB教師は学園の理事会にその事実を伝えました。C教師は警察に赴き「このままでは実際にA教師が生徒たちに暴力をふるうことになるかもしれない。事前に防いでほしい」と訴えました。

  理事会はどう対応するかを考えましたが、「体罰はこの学園の理想と相反するもので容認できないが、A教師の信条はまだ個人の頭の中にあることにすぎないから」という意見が多数を占めたため、A教師を観察することにしただけでした。警察は「何も事件が起こっていないので動くことはできない」と応じて、C教師を事実上門前払いしました。
  理事会と警察の対応に何か問題はありますか?

  ところが、自分の頭の中に収めておくだけでは満ち足りなくなり、A教師は自分の勤務先を明らかにしたうえで、持説を地元の新聞に投書し、これが採用されました。
  学園の理事会は「A教師の投書は、理事会に無断で、学園名を明らかにして行われたもの、しかも、その内容が学園の思想・信条とはまったく異なっているし、学園のイメッジを著しく傷つけ、今後の学園経営をすこぶる困難なものにした」として、A教師を懲戒解雇することを検討し始めました。一方、「A教師は本気だ。生徒たちが身の危険にさらされている」と再び訴えたC教師に、警察は「人には表現の自由というものが認められている。現実に事件が起こったわけでもないし、ここは警察が出るところではない」と応えました。
  理事会と警察の対応に何か問題はありますか?

  理事会が懲戒解雇を検討しているあいだに、とうとう、C教師が自分の「思想・信条」を実践し、ある生徒に全治数週間の「体罰」を下してしまいました。
  理事会はついにA教師を懲戒解雇しました。警察は、傷害事件としてA教師を逮捕しました。
A教師は「解雇と逮捕はわたしに与えられている<思想・信条・表現の自由>を侵害する不当なものだ」と主張し始めました。
  理事会と警察の対応に何か問題はありますか?
  A教師の主張は正当ですか?

  「思想・信条の自由」というのは、もともとは、公権力は、ある人物がある「思想・信条」を抱いていることを理由に、その人物に刑罰を与えてはならない−−というものだったのではありませんか?独裁者や時の政府が個人の「考え」に刑罰を与えることを禁じようというので生まれた考えだったのではありませんか?

  「表現の自由」というのは、もともと、独裁者や時の政府(“公権力”)の方針や政策、考えに反対する考えをある人物が公にしたことを理由に、(その公表の手段が公序良俗を乱さない限り)独裁者や時の政府はこの人物に刑罰を与えてはならない−−とうものではありませんでしたか?

  ですから、ある「思想・信条」に基づいて他人を肉体的に傷つける行為は、ただ考えを公にするという領域の外に飛び出ているわけで、「表現の自由」では正当化されませんよね。新聞への意見投書では動かなかった警察が、体罰を与えたA教師を逮捕したのは不当ではありません。

  では、個人的なある「思想・信条」に基づいて、それを「表現」し、自分が所属する民間の組織・団体などの「思想・信条」に反する行為に及ぶ−−というのはどうでしょうか?
  この組織・団体はこの個人を(私的に)罰することができるでしょうか?この「罰する」行為も「表現の自由」への侵害に当たるでしょうか?

  民間の組織・団体は“公権力”ではありません。ですから、当然、A教師に“刑罰”を科すことはできません。しかし、そこに所属する個人がその組織・団体の利益に反する(「思想・信条」とは相容れない)意見を、公序良俗の範囲内であろうと、公にした場合、この個人になんらかの罰を与える“自由”が認められるはずです。ことが体罰実践にいたる前の段階ででも、学園理事会にはA教師を懲戒解雇する“自由”があるはずです。この“自由”がなければ、自ら意図する組織として学園が成り立たなくなるからです。

  さて、田母神元航空幕僚長
  この人については、たとえば、読売新聞の社説がこう述べています(2008年11月12日)。
  <「言論の自由」を完全にはき違えた議論だ。一私人なら、日本の植民地支配や侵略を認めた村山首相談話と異なる見解を表明しても、何ら問題はなかろう。しかし、4万5000人を率いる空自トップが政府見解に公然と反旗を翻すのでは、政府も、自衛隊も、組織として成り立たなくなってしまう。政治による文民統制シビリアンコントロール)の精神にも反している>

  朝日新聞の社説はこう言っています(2008年11月12日)。
  <むろん、自衛官にも言論の自由はある。だが、政府の命令で軍事力を行使する組織の一員である以上、相応の制約が課されるのは当然ではないか。航空自衛隊を率い、統幕学校の校長も務めた人物が、政府方針、基本的な対外姿勢と矛盾する歴史認識を公然と発表し、内部の隊員教育までゆがめる「自由」があろうはずがない>

  田母神氏は“平成の関東軍司令官”です。平和国家にとっては、暴走一歩前の非常に危険な人物です。
  日本の「文民統制」という基本形態を無視し、ないがしろにしようとする懐旧軍国主義者です。
  そんな人物を政府が懲戒解雇したとしても、それは“公権力”が(死刑や拘禁刑といった)刑罰を与えたというわけではありません。「表現の自由」の侵害には当たりません。上の学園の理事会にA教師を懲戒解雇する“自由”があったように、日本政府にもそうする“自由”があるからです(世界を視野に入れたうえで日本を振り返ってみてください。自民党政府が田母神氏を懲戒解雇しなかったのは歴史的な過ちです)。

  ところで、この人の問題の論文を読みました(http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)。その内容がどうのこうのという前に、この人は論文の書き方というものが分かっていないということにたちまち気づきます。だらだらと文がつづくばかりで、一文節の中で複数の考えを述べているので、論旨がすこぶる幼児的なものになっています。

  東京新聞は2008年11月1日、「『小学校から勉強を』 「低レベル」論文内容 識者らあきれ顔」と題した記事を掲載しました。
  <「レベルが低すぎる」と断じるのは纐纈(こうけつ)厚・山口大人文学部教授(近現代政治史)。「根拠がなく一笑に付すしかない」と話し「アジアの人たちを『制服組トップがいまだにこういう認識か』と不安にさせる」と懸念する>
  <小林節・慶応大教授の話 田母神論文は、民族派の主張と同じであまりに稚拙だ。国家と軍事力に関する部分は、現職の空自トップが言っていい範囲を明らかに逸脱した政治的発言で、シビリアンコントロール文民統制)の根幹を揺るがす。諸国に仕掛けられた戦争だったとしても、出て行って勝とうとしたのも事実で、負けた今となって「はめられた」と言っても仕方がない。現在の基準や戦争相手国の視点で見れば、日本がアジア諸国を侵略したのは間違いのない事実だ。世界史に関する“新説”を述べるのは自由だが、発表の場にも細心の注意を払い、学問的に語るべきだ>
  <水島朝穂早大教授の話 航空自衛隊イラク空輸活動を違憲とした名古屋高裁判決に「そんなの関係ねえ」という驚くべき司法軽視の発言をした空幕長とはいえ、閣僚なら一行一行が辞職に値するような論文で、アジア諸国との外交関係を危うくするのは間違いない。自衛隊法は自衛官に政治的な発言を過剰なまでに制限し、倫理規程は私企業との付き合いも細部にわたって規制している。内容のひどさは言うまでもないが、最高幹部が底の抜けたような政治的発言をして三百万円もの賞金をもらうのは資金援助に近い>

  桜井よしこ氏や渡部昇一氏などといった“お仲間”学者・論者たちの意見や主張だけを集めて「自分は真理を追究している」と思い込んでいるらしい辺りにも、この人の知的幼稚さが現れていますね。

  田母神氏は(調子に乗って)「村山談話言論弾圧の道具だ。自由な言論を闘わせることができないならば、日本は北朝鮮と同じだ」とも言っています。
  “お言葉”ですが、田母神さん、“言論弾圧”という言葉は、「思想・信条・表現」を理由に現実に獄に入れられた者が叫ぶものであって、6000万円の退職金を受け取ったほか、やはり“お仲間”のアパグループ経営者から300万円を貢いでもらった人物が言うセリフではありません。
  それに、政府や軍の考えに疑問を抱く国民の「思想・信条・表現」を特高警察などを使って徹底的に弾圧した大日本帝国とその軍隊を愛してやまない田母神さん、あなたが、自分に冷たい風がちょっと吹いてきただけで「わたしは言論弾圧の被害者だ」などと泣き言を言うのは実に見苦しいものです。あなたには節操というものがありません。あなたは潔さに欠けた、武人らしさのかけらも見られない、卑怯者です。あなた自身の「思想・信条」はそれほど薄っぺらで底が浅いのです。