第84回 看護師・介護福祉士の国家試験は英語ででも受けられるように! 2008/05/23 閲覧(581)

「苦言熟考」  第84回  アンディー・エグチ

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  若い頃から、誰かと話すときや物を書いたりするときには、自分が持っている情報の源を可能な限り明らかにすうように心がけてきました。
  その情報を伝えてくれた人や機関などに敬意を払い、感謝の気持ちを示すためです。

  そうしようとする過程で…。
  たとえば、友人と話をしているあいだに、<ああ、その話については、僕も“聞いた”ことがある…。あれ?“読んだ”ことがある、だったっけ?>というようなことがよくありました。

  <“聞いた”とすれば友人からだったっけ?テレヴィのニュースでだったけ?それとも…?>
  <“読んだ”のだとすれば、雑誌で?新聞で?>

  そうやって、情報源が何だったかを思い出していくわけですね。

  カリフォルニアに住むようになり、数年経ってからは、思い出そうとする際に<待てよ。あの情報は、そもそも、日本語で得たのだったっけ?英語でだったっけ?>というところを通るようになりました。
  <アメリカ人の友人から教えてもらったのだっけ?フジ・サンケイ・グループの日本語ニュース番組から得たのだったっけ?それともCBSの報道特別番組からだったっけ?>というような具合に、です。

  さて、そういうふうにして情報源を思い出して気が落ち着いたところで、こう思ったことが何度もあります。
  <英語力もある程度のレヴェルになると、頭が情報を自然に−日本語で得た情報と変わりなく−受けつけるようになるものなのだな!>
  <日本語で得たものだろうと英語で得たものだろうと、一つの情報は一つの情報として、使われていた言語には関係なく、脳の中の収まるべきところに、ちゃんと収まるものなのだな!>
  <だから、いったん脳に収まった情報は、日本語ででも英語ででも、好きな言語で、もとの内容をゆがめることなく、引き出すことができるのだな!>

  朝日新聞(インターネット版、2008年02月11日)にこんな記事がありました。
  <インドネシアから看護師、介護福祉士の候補者が今年中にも来日する>
  <派遣数は2年間で看護師候補400人、介護福祉士候補600人。条件は、看護はインドネシア看護専門学校か大学の看護学部を卒業し2年以上の実務経験があること。介護は同様の看護の学歴があるか、ほかの分野の専門学校卒以上の学歴で出国前に介護研修を受ける、などとなっている>
  <日本に来た候補者は、6カ月間の日本語研修を受けた後、病院や老人ホームなどで助手として働きながら技能を身につける。日本語の国家試験に合格すれば事実上無期限で在留し、施設で看護師、介護福祉士として就労できる。受からなければ帰国する>

  日本政府はフィリピンとも同様の経済連携協定(EPA)を結んでいます。

  一年ほど前のことだった思います。NHKの国際放送が、その協定が締結された後で日本で働こうという介護士をフィリピンに探しに来たという日本人医療関係者の話をリポートしていました。
  ところが、この人が訪ねた看護士・介護福祉士学校では…。
  将来は日本で働きたいという学生がほとんどいなかったのです。
  フィリピン国内の学校の授業(講義)ですでに馴染んでいる英語がそのまま使えるうえに、実務暦3年で永住権まで付与される(という)カナダを希望する学生が最も多いようでした。
  フィリピンで得た資格が(ほとんどそのまま)使える(らしい)アメリカを希望する学生も少なくありませんでした。
  ヨーロッパ諸国と中東の数か国がつづいていたようです。

  日本が嫌われていた理由は明白だと思えます。
  <日本語の国家試験に受からなければ帰国する>
  これに違いありません。
  この、先見性に欠けた、愚かな条件がついているために、協定は結んだものの、果たして本気で看護士・介護福祉士を受け入れる気が日本政府にはあるのか−と疑われているのです。

  英語でその国の資格試験が受けられる国ぐにと比べてみてください。
  <日本語の国家試験>を受けなければならない?
  3、4年間日本で働き学んだあとで、日本語の国家試験に受からなければ帰国<させられる?
  あなたがインドネシア人やフィリピン人だったら、どうしますか?あえて日本で試してみますか?一か八か、日本を選んでみますか?

  1980年代の終わりごろから90年代の初めまで、アメリカは日本が高く張り巡らせた<非関税障壁>を非難しつづけていました。なんだかんだと理屈をつけて言い訳をしてるが、日本は結局のところ、輸入したくないのだろう−と言っていました。

  インドネシアとフィリピンを対象としたこの経済連携協定(EPA)は、事実上、形を変えた<非関税障壁>設定宣言のように見えます。
  介護福祉士は将来、50万人が必要になる(NPO法人さわやかステーション東京)と見られているようです。そこへ、次の2年間に、インドネシアとフィリピンからそれぞれ、わずかに1000人ずつ?それも、日本語の国家試験に受からなければ帰国せよ?
  そんなことで日本の将来の高齢者介護はだいじょうぶなのでしょうか?

  介護福祉士などの将来の不足を本気で心配しているのなら、日本政府はその<国家試験>を(英訳して)外国人には英語で受けさせるべきです。
  英語の教科書・参考書も用意すべきです。
  看護士にしろ介護福祉士にしろ、基本的な専門用語を日本語にすることができて、日常の用が足せるだけの日本語力があれば、実務に支障はないはずです。
  英語で脳に収めた知識は、何の問題もなく、日本語として仕事に引き出すことができるでしょう。
  <国家試験>を<日本語で受けさせる>必要はまったくありません!
  日本人の介護施設スタッフがいくらか英語を勉強させられるようになる可能性はありますが、それは、日本人の英語力向上のために、むしろいいことだと言えましょう。大きな問題にはけっしてなりません。

  待て、待て、たとえ介護であれ、外国人労働者を(無制限に)受け入れていいものなのか?
  外国人介護士などを低賃金で受け入れれば、日本人介護士の暮らしはどうなるのだ?

  よほどの大改革がなければ、いまの日本に、介護に大金を費やす能力・経済力はありません。それが現実です。
  ほんの少し待遇がよくなったところで、肉体を酷使させられる介護の仕事をあえて望む日本人はほとんど増加しないでしょう。

  製造業を見てください。海外諸国との競争に勝てないとなったら(主として)安い労働力を求めて、企業は自国を脱出するではありませんか。国内の産業が衰退しても。工場労働者が職を失っても。
  世界最大規模のアメリカの農業はメキシコ人をはじめとする外国人労働者を低賃金で雇うことで生き残っています。農場経営者を除けば、農業に従事したい(農場で種をまきたい、収穫作業をしたい)というアメリカ人はまずいません。工場(生産手段)を外国に移すことができる製造業とは違って、農業では農地を移すことができません。そこで、どうするか?逆に、外国から労働力を受け入れるわけです。

  介護の分野ではどうでしょうか?
  病人や患者を、労働力が安価な外国に移すというわけにはいきません。なのに、日本人の介護労働者が劇的に増加する見込みはありません。いまの労働条件を飛躍的に向上させる力が日本にはもうないのです。
  日本の経済力はいまそんなものなのです。
  だったら、介護ができる人を外国から招くしかありません。
  よくも悪くも、それが資本主義の(自然な)流れのようです。

  工業や農業で起こっていることが日本の介護の世界でも起こる−そう考えるときが来ていると思います。

  高齢者介護の問題は、<日本の国家試験を日本語受けさせる>などという偏狭な考えは捨てて、地球規模で考えるべきだと思います。

  <日本の国家試験>は、英語ででも受けられるようにすべきです。

  介護の分野だけには資本主義の考えをあてはめてはいけない−という意見もありえます。
  ですが、ほら、<後期高齢者への新しい医療制度>を思い出してください。日本はとうに、高福祉国家を目指すことができる国ではなくなっているのです。

  いま思えば、いわゆる“小泉改革”路線はそのことをおおっぴらに告げていたようですね。