再掲載:「…たらいいと思う」はだらしない! 投稿日: 2008年2月18日

ほんとうに、日本語はいったいどうなっているのか…。

  またまたおかしな言い方が日本人の日々の会話、談話、声明などの中に蔓延してきました。今度は「…たらいいと思う」「…たらいいなと思う」「…たらいいかなと思う」という、自信を喪失した=責任を放棄した=ようなだらしない表現です。

  スポーツ選手たちは「次の試合ではもう少しいいプレイができたらいいなと思います」というように=まるで他人事のように=言います。

  政治家も「この法律で国民の暮らしが良くなったらいいかなと思っています」とふやけた=無責任な=物言いをします。

  覚えていますか?

  以前は、ふつうは、それぞれ、「もう少しいいプレイをしたいと思います」「暮らしが良くなると確信しています」などと、自らに自信を持って、明確にしゃべっていたものです。しゃべる人たちが堂々としていたものです。

  2月17日(日曜日)の天声人語朝日新聞)は<「自分の中では」が、最近ちょっと気になる>と書いていました。この10年間ほどのあいだに、もともと<気持ちの整理がついた状態など、微妙な胸中を説明する表現だった>この「自分の中では」という言い方が<昨今、飾りのように多用されている>のはおかしい、というものです。

  二つの例が挙げられていました。

  ①今季の方針を聞かれ、プロ野球の監督が答えた。「自分の中では守備力重視です」

  ②女子フィギュアの星が大会への抱負を語る。「自分の中では、トリプルアクセルを跳びたい」

  なるほど、この人たちは<守備力向上が今季の課題です><トリプルアクセルを完全に跳べるようになることです>というふうには言い切らないで「自分の中では」という言葉を“逃げ”=“責任回避”として使っていますよね。

  この現象について、上の天声人語は<断言しては押しつけがましい、あるいは言い切るだけの自信がない時、私たちは「別の見方もあろうが」というニュアンスを飾りで加えたくなるものだ>と説明しています。

  「ステアク・エッセイ」の第38回のタイトルは<その“かな”はやはり「変じゃない“かな”」?>というものでした。

  <日本人はますます、自分の言うことに自信が持てなくなり、言ったことに責任を取りたがらなくなっているようです>という主旨のエッセイでした。

  「…たらいいと思う」という言い方もこの傾向の中に収まっています。いえ、この傾向を一段と押し進める働きをしています。

  わたしたち日本人に何が起きているのでしょう?

  天声人語は「自分の中では」が目立って多用されるようになったのはほぼ10年ぐらい前からだと言っています。…<バブル経済の崩壊>が明白になったころです。

  日本の経済力の衰退が日本人の表現を変えている?

  世界の経済の中心が中国やインドに移っていくあいだに、日本人は自分の言うことに自信が持てなくなり、言葉を飾ってすべてをあいまいに語ることを好むようになった?

  この辺りに関する日本人の集団心理を研究している専門家はまだいないのでしょうか?