南カリフォルニアで放送されている日本語テレビ番組―特にニュース―を見ていて最近とても気になる言葉遣いがあります。
しょっちゅう耳にするわけですから、日本ではたぶん稀な遣い方ではないのでしょう。
たとえば、プロ野球のある試合で好機にホームランを打ったある選手が試合後、インタヴューするアナウンサーに「そうですね、いいホームランだったとは思いますね」と応えます。
あるいは、近所で通り魔事件があったあと、記者に感想を尋ねられて、若い母親が「ええ、怖いとは感じます」と応えます。
「は」がこういうふうに使われていることにお気づきですか?
この「は」はいったいどこからやって来たのでしょう?
いつごろから、このように頻繁に使用されるようになったのでしょう?
「そうですね、いいホームランだったとは思いますね」と「は」を挟む場合は、日本語の通常の遣い方では、その「思う」内容が否定的な<条件つき>であることを示すはずです。
いくらでも例を挙げることができますが、たとえば[いいホームランだったとは思いますが、あれはピッチャーの失投で、それほどほめられる値打ちはありません]だとか[…場外ホームランにならなかったので不満です]だとか。
「怖いとは感じます」のあとには、たとえば[でも、わたしたちには何もできまんせんから]だとか[でも、通り魔の方にもご事情がおありでしょうから]だとか。
まさか<通り魔の方にもご事情>と反応する人は現実にはいないでしょうが、こんなふうに「は」を挟み込むということは、とにかく、その<思う>ことや<感じる>ことが100パーセント言葉どおりではないことを示しているわけです。
なのに、このプロ野球選手や若い母親は、その表情からは、ほんとうに<いいホームランだった>と思い、<怖い>と感じているとしか受け取れません。そこが問題です。<言いたいこと>と<言っていること>のあいだにギャップがあるのです。
このような言い方をする人は、自分が言っていることに自信がないのでしょうか?自信がないから「は」を挟んで、自分の言葉に“含み”を持たせ、つまりは曖昧にして、相手―アナウンサーや記者―の反応や出方をうかがっているのでしょうか?
そうでなければ、そんなふうに“含み”を持たせた方が賢そうに聞こえるのではないかとでも考えているのでしょうか?
理由や動機はどうであれ、そのような「は」の遣い方は不自然です。“てらい”さえ感じられます。
もしあなたにも覚えがあれば、そんな「は」はこれから遣わないでください。
堂々と「あれはいいホームランでした」と言ってください。明確に「怖くてしかたがありません」と述べてください。
それでなくても、いまの日本には不透明なところが多すぎるのですから。