第239回 言いたいことだけを言ってすませる

  自分が言いたいことだけを言ってすませることが日本ではあまりに普通になっています。
  言ったことの根拠を自らちゃんと示す者もまれですし、何かに反対しているのに具体的な代案を出す者もほとんどいません。
  関西電力大飯原子力発電所の再稼動が必要だという者たちは、再稼動して問題が起こることはないのかと問われても、安全性に問題はない、という科学的根拠を示すことができません。できないものだから、電力が不足すると(関西地方は)大変なことになるなどと、的を外した回答をして平然としています(たとえば、民主党・枝野経済産業相)。自分の主張をどういう根拠で支えるべきかについて深く考える習慣がないのでしょうね、こういう人物は。
  消費税の引き上げに反対するというのも一つの意見ですし、それはそれで尊重されるべきなのですが、消費税を引き上げずにどこから諸政策の財源を引っ張り出してくるのかについては、反対者たちは何も語りません(たとえば、民主党・小沢元代表)。代案が出せないこの人たちには、たぶん初めから、“建設的な意見交換”という概念が欠けているのでしょうね。言いっ放しで政治的な役割をちゃんと果たしている=政治的な効果は十分に上げている、と信じているのでしょうね。偏った、実に困った頭脳ではありませんか。
  でも、こういう人たちを生み出したのは、結局は、それを許した国民なのですよね。
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  大リーグの公式開幕戦が東京ドームで3月に、シアトル・マリナーズオークランドアスレティックスとの対戦として行われました。スポーツネットワークESPNで観ていて、すぐに目を引かれたのは、実は、試合そのものではなくて、外野のウォールに表記されていた、ホームベイスからウォールまでの距離でした。両翼までは328(フィート)。
  もともとの東京ドームには、ほかのほとんどのプロ野球球場とおなじように、外野ウォールまでの距離表示がありません。ですから、大リーグ側の要請を受けて、東京ドームが急に距離を表示することにしたのだと思われます。距離表示がない大リーグの球場はないのですから、大リーグ側が表示を求めたのは当然だったと思います。
  大リーグではなぜ距離表示を大事にするのでしょうか?たとえば、毎年7月に開かれるオールスター戦の前日のホームラン・ダービーでのファンの熱狂ぶりを思い返してください。大リーグのファンは、打者がホームランを何本打ったかということに負けないぐらい、どれぐらいの飛距離を出したかにも大変な関心があるのです。長距離ホームランに(ほとんど)狂喜するのです。
  そもそも、アメリカの大リーグ・ファンは野球に“男と男の対決”を観ています(興味がある方は、ロサンジェルスで発行されていた日系新聞「加州毎日」の「時事往来」というコラム−1988年7月14日−の「野球とベースボール」を読んでみてください=http://d.hatena.ne.jp/ourai09/20090408/1239151012)。アメリカ人は、力と技術を備えた、男らしい長距離打者が大好きなのです(ベイブ・ルースまでさかのぼる必要はありません。ステロイド不正使用疑惑で信用を失ったバリー・ボンズやマーク・マクグァイアーが現役だったころの人気の高さは“異常”といえるほどでしたよね)。「どれぐらい飛んだ?」…外野のウォールまでの距離表示は、その関心に応えるためにはなくてはならないものなのです。
  何がファンに喜ばれるか=どういう情報をファンに伝えるべきかを、大リーグ機構はつねに考えています。距離表示がない球場ではだめなのです。
  さて、日本のプロ野球では?
  プロ野球のシーズンが始まったとたんに、東京ドームの距離表示はなくなっていました。消されていたのです。あの328(フィート)というのは、やはり、表示がどうしても必要だという大リーグへの一時的なサーヴィスだったのですね。
  でも、328フィートという距離が実測された、正確なものだったのなら、それを100メーターと書き換えて残しておけばよかったのでは?なぜ消してしまわなければならなかったのでしょう?
  もしかしたら、328フィートというのはウソだった?つまり、日本の野球ファンに見せたくはない情報だった?
  距離表示を消し去った東京ドーム(と、ここを利用する読売ジャイアンツ)は、とにかく自分に都合がいい情報しかファンへは伝えない=自分が言いたいことだけしか言わない、という態度を、ここでも、ふたたび、明らかにしたのです。ファンが何を求めているか、だれに対しても公正な情報とは何かついては、考えてもいないのです。
  なのに、プロ野球ファンは何の疑問も抱きませんし、不平を口にすることもありません。
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  アメリカン・リーグボストン・レッドソックスは4月27日現在、東部地区で最下位に低迷しています。しかし、レッドソックスのホーム球場の外野の壁には、東部地区に属する5ティームの勝敗と順位がどうどうと掲げられています。最下位は事実なのだし、ファンも当然知っていること、それを“体裁が悪い”などといって球場でファンの目から隠そうとするのは、あまりにも見え透いた、児戯に似た“情報隠蔽”だ、ということなのだと思います。
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  なぜそうなのだ?その根拠は?では、そちらの代案は?
  相手がどんな情報を求めているかに気を配りあう、情報が双方向にちゃんと行きかう、社会がプラスに動く日本を創りだしたいと思いませんか?
  真摯な議論を繰り返して、そこから何か肯定的なことを生み出したいと思いませんか?
  “言いっ放しで良しとする文化”をつぶさないと、日本はだめな国、生産性が低い国、停滞し、衰退していくだけの国になってしまいます。
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  ああ、ついでながら…。この点に関しても、日本の報道機関は当てになりません。自分に都合が悪い情報は隠して、告げたいことだけを伝える、というのは彼らの基本的な態度でもあるのですから。
  たとえば、世論調査。対象となった人の数が1000人程度なら、その精度には3ポイントパーセントの誤差があると言われていますよね。なのに、報道機関は「政権への支持率が先月より1.5ポイントパーセント下がった。政権への国民の批判が大きくなっている」というようなことを言ってのけます。統計上の誤差を考慮すれば、この程度の下がりようは「支持率はほとんど変わっていない」としか言えないのではありませんか。自分たちが行った調査が事実としては無意味だったことを正直には告げずに、無理にもっともらしい意味づけをして報じる!
  少なくとも、アメリカでは、どんな世論調査についても「この調査には○○パーセントの統計上の誤差がある」というようなことが付記されます。それが正確で公正な報道というものですよね。