第242回 思考の踏み出しを誤ると…

  NHK日本放送協会)のテレヴィが数年前に、時代劇でときどき使われる言葉に「小股の切れ上がったいい女」というのがあるが、この「小股」とはいったい体のどこを指しているのだろうか、という疑問を提出して、それに自ら答える、という番組を放送したことがありました。「小股」探しをやったわけです。
  番組の制作者たちはこう考えたようでした。1.これは江戸時代に使われた表現だ 2.「いい女」というのだから、浮世絵(美人画など)を探れば「小股」が何であったかが分かるのではないか。
  製作者たちは、数ある浮世絵の中に素足の女性が多く描かれていることにきづきました。次には、これだけ頻繁に描かれているのだから、女性の素足は美を象徴していたのかもしれない、と考えました。ということは…。素足の中に「小股」が見つかるのではないか!製作者たちは、足の指の中で親指に当たるものとその隣の指のあいだのことを「小股」と呼んでいた可能性が最も高い、と思いました。たしかに、その二つの指を女性が意図的に広げていると見られるような絵もありました。
  番組製作者たちは、かならずしも自信に満ちたものではなかったようでしたが、「小股」が「切れ上がった」というのは、つまりは、足の指が長いということだ、当時は、足の指が長い女性が「いい女」だったらしい、と結論づけました。
  「小股」とは何のことかなどと考えたことがなかったわたしは、「何だって?足の指が長い女が“いい女”だって?」と、どこか承服しがたい思いでその番組を見終わったのですが、「平安時代ごろまでは“おたふく顔”の女性が“いい女”だったようだから、まあ、江戸時代にはそういうことだってあったかもしれない」と自分を納得させ、やがて、そのことは忘れてしまっていました。
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  5月に受けた白内障の手術のあと、とくに、あとに受けた左目のガーゼがとれてからは、福岡に住む兄の家の書庫にあった多くの本の中から数冊を取り出して、立てつづけに読み耽りました。白内障に悩ませられているあいだにはほとんどできなかったことでした。
  その中の一冊に、作家・故井上ひさし氏が日本語について書いたエッセイ集がありました。「小股」についても触れられていました。
  しかし、井上氏が言う「小股」はまったく違っていました。
  井上氏がそこで用いていた手法を真似して、「現代国語例解辞典(第二版)」(小学館)の中から「人間の体のある部分に“小”がついた言葉」を拾い上げてみました。
  ・「小首」  小首をかしげる 考えを巡らしたり、不審に思ったりして、首をちょっとかしげる
  ・「小耳」  小耳に挟む (ちらっと聞く) 耳、または聞くことに関するちょっとした動作について言う語
  ・「小腰」  小腰をかがめる 腰に関するちょっとした動作について言う
  ・「小手」  小手先の器用さ 手の先の方。また、それでするような、ちょっとした技能、能力 (「小手調べ」 小手調べに二、三球投げてみる 本芸、本番に入る前に、調子を整えるためちょっと試してみること)
  ・「小腹」  小腹が立つ 腹について、ちょっとした作用がおこるときに言う語
  ・「小膝」  小膝を進める 膝に関するちょっとした動作について言う語
  ・「小脇」  小脇に抱える 脇に関するちょっとした動作について言う語
  すぐに気づくのは、「小手」を例外としても、「小首」「小耳」「小腰」「小腹」「小膝」「小脇」のいずれも「体のある部分を具体的に指した言葉ではない」ということです。「小」は「首」「耳」「腰」「腹」「膝」「脇」に関する「ちょっとした」動作や作用を表現するために付されているのです。
  では、「小股」はどうか?
  ・「小股」  小股が切れ上がる スラリとして小粋な女性の容姿の形容 
  あれ?「小股」の説明には「ちょっと」が抜けていますね。
  「新潮国語辞典 現代語・古語」(新潮社)ででも「小股が切れ上がる」については「背丈(セタケ)がすらりとして小粋(コイキ)な婦人にいう」とだけしか説明してありません。
  ですが、NHKとは違って、井上氏は「小股」探しの方へは行きませんでした。言葉のことは言葉にきく。辞典を調べてみる。
  そして、上の「首」から「脇」までの例に従って、「小股」も「股」に関する「ちょっとした」動作や作用を言い表しているはずだ、と井上氏は考えたのです。
  つまり、「小股が切れ上がったいい女」というのは、ほかでもない、「股」が「ちょっと切れ上がった」ように“脚が長い”あるいは“脚が長く見える”女のことに違いない、と。
  なるほど、これにならただちに承服できますよね。江戸時代にも、脚が長い、腰の位置が高い女性は美しいと思われていたのです。
  ありもしない「小股」探しにNHKが走ってしまったのは、上の二つの国語辞典に見られるような説明(不足)に頭を惑わせられたからだったのでしょうね。「小」+「体の一部」という、よく見られる日本語の構成に思いが到らなかったからでしょうね。浮世絵を見せるという、いわば、“絵”になる番組づくりに過剰に熱心になってしまい、言葉そのものと真摯に向き合っていなかったからでしょうね。
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  人間は常に考えています。しかし、その考えも、踏み出しの第一歩で方向を誤ってしまうとおかしな結論に達してしまいます。
  いや、日本の政界に目を向けなおしましょう。踏み出しの一歩を故意に誤って、他人の考えをおかしな方向に導こうという者だらけだと思いませんか?