第150回 YOU CAN'T PROVE A NEGATIVE

  前回につづいてJohn T. Lescroatという作家の"A CERTAIN JUSTICE"(ISLAND BOOKS)という本の中から…

  下の英文を読んでください。
  黒人弁護士をリンチ殺人した白人グループの中の首謀者として指名手配されている(実は、この弁護士を救おうとしていた)白人青年(K)の無実を信じ始めた若い女性検事(E)が、Kを救うためにだれかが何かをしなければ、と言い出しています。
  白人青年Kをリンチの張本人に仕立て上げることに初めから反対だったサンフランシスコ警察のグリツキー刑事課長がそれに応えます。

But Glitsky was shaking his head. "No you couldn't. You can't prove a negative, which is the bitch about getting accused in the first place. I think it's why we're supposed to prove people did do something, not didn't, although normally I don't go around preaching for the presmption of innocence. But it does have its place." (P452)

  試訳 <だが、グリツキーは首を横に振っていた。「いや、君にも救えないだろうよ。(ある犯罪を)やっていないということを証明することなんかできないんだ。何かの嫌疑をかけられてしまえば、どうしようもないってこと。だから、僕らは、人びとが何かを“やった”と証明することになっているんだ、“やっていない”ではなくてね。そう思うよ。いや、僕はふつうは、有罪が証明されるまでは無実だとみなされるべきだと人びとに説きまわるようなことはしないんだよ。だけど、そう推定するべきだというのにはそれだけの理由があるわけだ>

  ここに述べられているのは、あくまでも、フィクションの中の刑事課長の考えではありますが、アメリカの法曹界でこの見方に異議を唱える者は、まあ、いないのではないでしょうか。

  考えてみてください。日本ではどうなるでしょう?
  あなたは、ある殺人事件の犯人だと疑われいます。事件発生時間に、あなたは自宅に一人でいましたが、そのことを証明してくれる第三者はいません。一方、警察・検察には<あなたに似た人物を現場近くで見た>という証人が(その虚実はともかく)います。
  さあ、どうします?
  証拠を収集する権限と能力を持つ警察・検察には<あなたが現場(近く)にいなかったということは証明しなくてもいい>のです。いえ、そんなことは、あなたを含めて、だれにも証明できはしないのです。
  
  自分は殺人現場にいなかったと証明できないあなたに対して、警察・検察はあなたに不利な“証拠”をつきつけてきます。
  ①あなたは被害者と顔見知りの関係にあった②ある女性のことで数日前に被害者と言い争いをしていた③あなたの友人たちが、あなたはかっとなりやすい性質だと言っている−などと。

  <推定無罪>の原則を無視すれば、警察・検察は自らの見込みに基づいて、ほとんどどんな捜査・取調べでもできるでしょう。捜査で集めた状況証拠を使ってあなたを起訴することも厭わないでしょう。
  あとは“自白”があればいい、というわけです。
  <凶器が見つかっていないのは、おまえが捨てたからだ。どこにすてた?>あるいは<見つかった凶器に指紋がないのは、おまえが綿密な計画を立て、手袋をはめていたからだ。手袋はどう処分した?>
  <さあ、説明しろ>

  当然のことながら、あなたには説明ができません。自分が<やっていないこと>の証明は不可能なのです。
  だれに知られることなく自宅で独り過ごしていたことを証明することもあなたにはできません。
  雇った(あるいは国選の)弁護士との相談も厳しく制限されています。
  密室の中で警察・検察に攻め立てられます…  
  
  取調べの“可視化”への要求が高まっています。
  自分の無実(無罪)を証明できない被疑者に、警察・検察が自分たちの見込み、自分たちが書いた筋書きに沿って自白を強要するのを許さないためには、可視化は是非とも必要な方策だと思います。
  いや、可視化が必要なのは、暴力事件の取調べの際だけではありません。
  検察による自白強要が稀ではないと見える日本のことですから、経済事件を含む(軽犯罪を除く)すべての取調べで可視化が実現されるべきです。
  冤罪を防ぐにはこれしかありません。

  ところで…
  <証拠の開示>については、日本ではどう扱われているのでしょうか?
  アメリカでは、法廷ではどういう証拠を提出するかを裁判の前に被告=弁護側に明かす義務が検察にあるようです。被告・弁護側に反論・反駁の機会を十分に与えるべきだ、という考えに基づいているのでしょう。検察にかなり大きい説明責任”を課しているわけです。
  被疑者が弁護士と会うことを厳しく制限することを許している日本のいまのやり方と比べてください。日本で許されているシステムがどれほど検察に有利にできあがっているかが知れます。

  こういう制限を容認している裁判所にも問題がありますよね。
  つまりは、公正な裁判を被告が受ける権利が日本では確立していない、ということです。
  確立してないから、裁判所は自然に検察寄りの判決を出すことになります。冤罪に手を貸すことにもなります。

  繰り返します。<被疑者・被告人には自分の無実を自ら証明することは事実上できない>のです。
  だからこそ、警察・検察には大きな“証明責任”があるのです。
  容疑について十分に説明しなければならないのは、被疑者・容疑者ではなく、警察・検察です。
  
  容疑内容を故意に不鮮明にしたままで、あれも怪しい、これも不審だという情報をマスコミに流して、容疑者有罪のムードを醸成する、というようなことを警察・検察に許してはいけません。
  公正な報道というのが偽りの看板でないのなら、マスコミは警察・検察のそんなやり方に乗せられてはなりません。
  
  日本の司法は危機に瀕しているようです。日本の法曹界にはその危機感が希薄すぎるように見えます。
  <取り調べの可視化>と<推定無罪の原則の適用徹底><弁護士との接見制限の大幅な緩和>がその危機を脱する鍵になるはずです。
  人間は間違いを犯します。だからこそ、間違いを少なくする制度、やり方を築き上げなければなりません。

   +

  大阪地検特捜部の暴走が明らかになってきています。

  「特捜なめるな」と署名迫る 厚労省部下また調書否定 2010年3月3日 共同通信

  <厚生労働省の文書偽造事件で、虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた元同省局長村木厚子被告(54)=休職中=の公判が3日、大阪地裁(横田信之裁判長)であり、元同省課長補佐(61)=退職=が村木被告の関与を否定し「記憶になかったが、検事から『特捜なめるなよ』と何度も言われ、やむなく供述調書に署名した」と証言した><この事件の公判では出廷した証人が次々と調書の内容を否定。村木被告は大阪地検特捜部に逮捕されて以来、一貫して無罪を主張している><元課長補佐は村木被告の隣の席に座っていた当時の部下。捜査段階では、実体のない「凜の会」を障害者団体と認める証明書の発行について「『民主党参院議員の石井一氏から紹介を受けた案件だ』と村木被告から説明を受けた」とする調書に署名していた><この日の尋問では「記憶にないと一貫して言い続けたが、検事から『1泊でも2泊でもしていくか』と大声で言われた」と取り調べの状況を批判>