NHKアナウンサーたちの最近の言葉づかいには首を傾げさせられる点が多すぎる‐と感じませんか?
このエッセイ・シリーズで前に述べた<“です”の使いすぎ><安易すぎる“です”の使用>はすでに日本語をほとんど破壊するところにまできています。
たとえば、“です”がこんなふうに使われているのを聞いたような気がしませんか‐
<XXすい星が地球に接近です> 接近しています
<XX投手 控えに降格です> 降格させられることになりました
<あすからは晴天つづきです> 晴天がつづきます
<またまた国会空転です> 国会が空転する事態となりました
<>内の表現は、いずれもその意味は判りますが、言葉の流れに“品”がありません。その文から微妙な“表情”が抜け落ちてしまっています。日本語がいちじるしく“がさつ”になっています。
以前のNHKは、アナウンサーたちに美しい(と思われる)日本語をしゃべらせることにずいぶん気をくばっているように見えていましたよね。“悪い日本語”と戦っているようにさえ見ていましたよね。あのNHKはどこに行ってしまったのでしょうか。
NHKに限らず、報道機関は昔から、決まり文句が好きです。
警察は<慎重に捜査を行う(進める)>ことに決まっていますし、多くの動向は<予断を許さない(不透明な)状況>にありますし、そういう状況の中では人びとは動きを<注意深く見守る>ことを好みます。
いえ、外国人といえば<青い目の>と決まっていた時代に比べれば“常套句”の使用は減っているはずですが、報道での“決まり文句”の使用は、いまでも“適度”と呼べる程度をはるかに超えています。
それが日本語の自由な展開を妨げています。日本語に足かせをはめています。
そのNHKで最近ますます多用されているのが<注目が集まる><注目を集める>という言い方です。
“注目”という単語は、以前は大方<注目されています><注目の的となっています>というように使われていたものです。
“注目” : 「新潮国語辞典」(久松潜一監修) 「目をそそぐこと」「注意して見ること」
つまり、これはもともと目を<そそぐ>という動きに重きが置かれた言葉なのですね。
ですから‐
「注目が集まる」という言い方には<目をそそぐ(行為)が集まる><そそがれた目が集まる>という、二つの動詞が混在する、ぎこちない、おかしな語感がつきまとうわけです。
正しい表現だとはとても感じられません。
<XXには日本国民の厳しい注目が集まっています>よりは<日本国民の厳しい目が注がれています>の方が自然だと感じませんか?
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「なるほど…。<注目が集まる>はやめよう」と言いながら<ことしはJ1のXX選手に注目です>などといった安易すぎる、落ち着きが悪い表現に逃げ込むのもやめてくださいよ。
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ちなみに“心配”という単語でも考えてみましょうか。
これは“注目”が<目を注ぐ>であるのと同様に<心を配る>ということですよね。
<配る>という動詞がすでに含まれています。ですから、ふつうは<心配を集める><心配が集まる>というふうには使われません。
<人びとは心配している><人びとに心配されている><人びとの心配の対象となっている>などの方がうんと自然に聞こえます。
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