第328回 産経新聞と読売新聞、自社の“うそ”は?

  <2018年2月8日に追加> 朝日新聞 【産経「在沖米兵が日本人救出」記事を削除 おわび表明】(https://www.asahi.com/articles/ASL2833ZRL28UTIL003.html?iref=comtop_8_07
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  「苦言熟考」は過去に何度も「読売新聞」の社説や記事の書き方、内容などについて批判しています。
  「読売新聞」よりも信頼度が劣ることが容易に想像できる「産経新聞」については、事実上無視しつづけていましたが、一度だけは、その捏造体質に触れたエッセイを書いています。
  そして−−。「朝日新聞」が〔日本軍が“従軍慰安婦”を済州島で強制連行したとする吉田清治氏の虚偽証言を“真実”だとして報道したこと〕を(意図的な)「捏造」だと決めつけて非難することが日本で流行しているといういまは、「捏造」を理由にして他の新聞社を非難・誹謗する資格は、少なくとも、「読売」と「産経」にはないはずだ、と感じています。
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  「産経」については、【第284回 その 「日系(人)住民」というのはだれのこと?】(2013-07-30 http://d.hatena.ne.jp/kugen/20130730/1375138136)で次の記事を取り上げています。
  【慰安婦像設置に日系住民が猛反発、公聴会大荒れ 米・グレンデール市】(産経新聞 2013.7.13) <【ソウル=黒田勝弘韓国の中央日報が12日、米国発で伝えたところによると、米カリフォルニア州グレンデール市で設置される予定の「慰安婦記念像」をめぐる公聴会日系住民の反対意見が続出し、公聴会は大荒れとなったという> <報道によると公聴会には約20人の韓国系を上回る約80人の日系住民が出席した。今回の日系住民の抗議は地元の日系新聞が「慰安婦像の撤去を要求しよう」と呼びかけた結果という。慰安婦問題で日系住民の反発が伝えられるのは極めて珍しい>
  ここで使われた「日系住民」について、「産経」はこの言葉を(意図的に)誤って使用しているとして、「苦言熟考」はこう書いています。
  <「現代国語例解辞典」(小学館)は「日系」をこう説明しています。「日本人の血統を引いていること。特に、日本以外の国籍を持っている人の場合に言う。〔日系アメリカ人〕>
  <〔猛反発〕している可能性がもっとも高いのは、日本からアメリカに来ている“日本人”です。その中には、合法ヴィザで滞在している者や永住権保持者などが含まれるでしょうが、アメリカ国籍を得ていないのですから、彼らは「日系住民」でも「日系人住民」でもありません。ただの在米邦人在米日本人です。(「産経新聞」の記事の元である「中央日報」の記事には「80歳をはるかに超えた老人からグレンデールで生まれ育った二世、引退した教授や有名建築家までが発言台に立って」と数人の発言者が特定されていました。それを伏せたうえで、これらの人たちが「日系住民」「日系人住民」を代表しているかのように記事に書いて、それですませている「産経新聞」などの姿勢は、報道倫理に反してはいませんか?)>
  <「産経新聞」は〔従軍慰安婦問題などはそもそも存在しない、だから、どこにしろ慰安婦像を設置しようという動きには反対する〕という意見を普段から示しているのですから、「日系住民」という言葉を使用することで、設置に反対する勢力を現実よりは大きく見せようという意図があったのではないか、という疑問に答えるべきだと思いますよ。報道機関としての良心があるのであれば…>
  <〔地元の日系新聞が「慰安婦像の撤去を要求しよう」と呼びかけた〕というのはどうでしょう?> <「地元の日系新聞」にすぎないにしても、一新聞社がその新聞社の意思として、そんな政治的な「呼びかけ」をするでしょうか?> <(「中央日報」の問題の記事には〔韓国人社会では時事通信ロサンゼルス特派員の後藤英彦氏が現地日本コミュニティ新聞に署名コラムで“慰安婦の造形物撤去を要求しよう”と主張したのが今回の日系住民の抗議騒動を触発したと見ている〕とちゃんと書かれていました。「羅府新報」(注:地元の日系新聞)が「呼びかけた」かのように書いた「産経新聞」の意図は?捏造?)>
  <事をあいまいにすることによって事実を隠す、歪める意図があったのなら、「産経新聞」は卑怯者と呼ばれても仕方がありませんよね>
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  「読売」については、とりあえず、次のエッセイを読んでください。
  【第293回 「資料は見つかっていない」のは当然では?】(2013-11-02 http://d.hatena.ne.jp/kugen/20131102/1383343853
  <東京ドームで行われる読売ジャイアンツの試合の入場者数は、プロ野球が機構として実数を公表することにしたときまで、長年にわたって常に「55,000人」でした> <東京ドームにはいまでも、ホームベイスから外野のウォールまでの距離の表示がありませんよね> <ヤンキース松井秀樹が「猛打賞」と報じられたことも何度もあったのでは?メイジャーリーグにはそんな制度はないというのに> <これが「日本一の販売部数」を誇る大新聞社がすることです> <事実を隠したり、嘘の情報を(誇大に)発表したりすることについて、それが報道機関として致命的な汚点である、という意識がないのですね、この大新聞社には>
  読売新聞は昨年8月に下のような社説を掲載しています【河野談話 「負の遺産」の見直しは当然だ】(2012年8月29日 読売社説 http://shasetsu.ps.land.to/index.cgi/event/1150/
  <韓国の李明博大統領の竹島訪問に関連し、いわゆる従軍慰安婦問題が再燃している><その根底には、慰安婦問題に関する1993年の河野官房長官談話があることは否定できない。政府は、これを見直し、新たな見解を内外に表明すべきである> <しかし、軍や官憲が慰安婦を強制的に連行したことを示す資料は発見できなかった。元慰安婦の証言のみが根拠とされ、これを裏付ける調査も行われていない> <結果として、旧日本軍が女性を組織的に強制連行して「性奴隷」にしたといった誤解が、世界に定着した> <だが、その後も、旧日本軍による慰安婦の強制連行を証明する資料は見つかっていない> <野田内閣は、旧日本軍による慰安婦強制連行の確証がないことを踏まえ、河野談話という自民党政権時代の「負の遺産」を見直し、日本政府の立場を内外に分かりやすく説明しなければならない>
  このような「読売」の主張に対して「苦言熟考」はこう述べています。
  <どこかで何かに色づけされていない頭で考えれば「<軍や官憲が慰安婦を強制的に連行したことを示す資料は発見できなかった>というのは、むしろありそうなことだ」となるのではありませんか?> <「日本側に<強制連行を証明する資料>が残っていないのは、おそらくは、軍や政府がその資料をすべて焼き捨てたからではないか」と思うのではありませんか?> <読売新聞が上のように「資料」の存在の有無を重視するのは、つまりは、終戦前後の<大量の公文書が焼却>という事実を熟知しているからなのかもしれませんね> <そうだとすると、ずいぶん卑怯なやり方ですよね> <でも、嘘の情報を伝えたり、事実を隠したりするというのは、この新聞社の“得意技”のようですからね>
  「終戦前後の<大量の公文書が焼却>」については「苦言熟考」は「毎日新聞」が「余禄」欄に【鎌倉に住んだ作家の高見順終戦の翌日…】(http://mainichi.jp/opinion/news/m20131018k0000m070139000c.html)と書いていることを紹介しています。
  <鎌倉に住んだ作家の高見順(たかみ・じゅん)が終戦の翌日の日記に「黒い灰が空に舞っている。紙を焼いているにちがいない」と書いている。さらに東京に行っていた作家の永井龍男(ながい・たつお)が、東京でも各所で紙が焼かれ、空が灰だらけだという話を伝えてきた▲終戦に際しては閣議決定で陸海軍だけでなく外務省や内務省でも大量の公文書が焼却されている。高見によれば鎌倉でも何かが焼かれていたらしい。当時の焼却命令は市町村の兵事関係の文書類にまで及んでいたのである▲以前の小欄でもふれたが、東京の内務省の裏庭の焼却は三日三晩続いたというから驚きである。これより先に敗戦を見越した外務省が焼却した文書は約8000冊にのぼる。この量は今年の外交文書公開で明るみに出たが、いやはやなんとも盛大に焼いたものである>
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  ところで、自分の著書『保守論壇亡国論』に<本当に強い人というものは、言い訳をしたり、自己を正当化したりしない。本当の帝国は、自分たちがやってきたことを、良い点も悪い点もしっかりと記録に残す。戦前の日本のように敗戦間際になって機密書類を焼いて捨てたりはしない>と書いている人物がいます(『月刊日本』編集部ブログ http://ameblo.jp/gekkannippon/entry-11613484929.html)。
  【第300回 偽愛国者たちの“類は友を呼ぶ”】(2014-01-1  http://d.hatena.ne.jp/kugen/20140111/1389387552)で紹介したことがある自称“保守反動系”の文藝批評家・哲学者の山崎行太郎氏がその人です。
  山崎氏はこう書いています。<たとえば渡部昇一は、「シナ事変は今では明らかになったようにコミンテルンの手先が始めたものである」、「アメリカ・イギリスとの開戦は、マッカーサー証言の如くその包囲網により、日本の全産業・全陸海軍が麻痺寸前まで追いつめられたから余儀なくされたのである」と論じている。要するに、悪いのはアメリカやコミンテルンであって日本ではない、というわけだ> <こうした議論からは、日本の主体性というものが完全に欠落している。これではまるで、敵国が謀略を仕掛けてきた時、日本の指導者たちは何もせずに黙って見ていたようではないか。彼らは敵国の謀略に為す術もなく簡単に騙されてしまうほど無知で無能だったとでもいうのだろうか。そんなはずはない> <もちろんアメリカやコミンテルンの謀略に対しても、当時の日本の指導者たちは様々な形で抵抗した。しかし、残念ながら力及ばず戦争に引きずり込まれ、そして負けたのだ。「我々は悪くない」などと責任転嫁する暇があったら、「次は負けないようにしよう」「こちらから謀略を仕掛けてやる」くらいの主体性を持つべきだ> <私は、悪いことを全て他国のせいにし、日本に責任はないとする歴史観を「受動史観」と呼んでいるが、この受動史観に囚われている人たちは、自分たちは「被害者」あるいは「弱者」であり、自分たちの手は汚れていないということを必死に証明しようとする> <本当に強い人というものは、言い訳をしたり、自己を正当化したりしない。本当の帝国は、自分たちがやってきたことを、良い点も悪い点もしっかりと記録に残す。戦前の日本のように敗戦間際になって機密書類を焼いて捨てたりはしない>
  山崎氏のこの主張を受けて『月刊日本』編集部は<つまり、何でもかんでも中国やアメリカの責任にし、日本は被害者だ、日本は悪くないと言い張る歴史観こそ、「自虐史観」と呼ぶべきものだということです>というまとめを書いています。
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