第204回 菅降ろしは“解決策”ではない

  Patricia Cornwellという作家の"Southern Cross"という小説を読み始めました(BERKLEY FICTION)。
  その第二章にこんな場面が描かれています(24ペイジ)。
  アメリカのヴァジーニア州リッチモンド市に(警察行政の一切を取り仕切る)警察本部長として一年間だけ勤務するという条件で赴任してきた“改革請負人”ジュディー・ハンマ−が幹部を集めて会議を開いています。警察の新たな紋章を作ってはどうかという提案が多数の否定的な意見に阻まれたあとに、では、パトカーのドアなどに書き記す警察のモットー(標語)を決めるというのはどうだろうという議題を提出し、まずクラウド警部の考えを尋ねます。
  "Captain Cloud, remember that accountability is to suggest a solution when you point out a problem. Do you have a new motto in mind?"
  「クラウド警部、問題を指摘するときにはその解決案も示すのが責任ある態度だということを忘れないように。新しいモットーを思いついています?」
  その“責任”を果たすために、クラウドは"Tough On Crime"(“犯罪に厳しい”リッチモンド警察)という彼自身の解決案=新たな標語の案を出しますが、会議のほかの出席者たちには思いの外に不評です。
  さて、その辺りまで読んだところで、ふと思いました。
  警察本部長が会議中にわざわざそう注意する(ところが書かれる)ぐらいなのだから、「それが問題だ!」と声を高めることはできても、その問題をどうしたら解決できるかについては実は分からない、あるいは、考えていない、という人間は、アメリカでも少なくないのだろうな。
  アメリカでも、というのは、もちろん、日本がそうだ、という思いが日ごろからあったからです。
  東日本大震災東京電力福島第一原子力発電所の事故への民主党・菅政府の対応は遅すぎるのではないかと、わたし自身も感じています。特に原発事故に関しては、これまでの速度で作業をつづけていたら、東電はいつか手の打ちようがないところに追い込まれてしまうのではないかと恐れています。
  そんな“感じ”や“恐れ”につけ込むように、自民党公明党などの野党、さらには、“私怨”にも似た反感を菅首相に抱く小沢一郎氏や鳩山由紀夫前代表などの民主党員が菅首相の退陣を迫っています。
  津波被災地の瓦礫の処理がまだできていないのも、九万人の被災者がまだ避難所での暮らしを強いられているのも、義捐金が被災者の手に十分には届いていないのも、原発事故で放射能が漏れつづけているのも、菅首相を退陣させなければ解決できない、という具合です。
  でも、待ってください。
  菅首相を退陣させれば、こうした多岐にわたる、さまざまな問題がすぐにも解決するのですか?解決するという保証はあるのですか?
  ほとんどの政治家たちの頭はまともに動いてはいません。
  なぜといって、菅政府の対応に問題があるという指摘は正しいとしても、菅首相を退陣させる、というのは解決策ではないでしょう?それは、たとえば、アメリカやフランスの原子力専門家を招いて、事故収束作業を指揮してもらったらどうだろう、というような、数多くあるだろう“方法・手段”の一つにすぎないでしょう?
  そうでしょう?
  解決策というのは、たとえば、いまだに山積み状態で残されている瓦礫はこうすれば早く片づけることができる(のではないか)という具体的な策のことでしょう?避難所住民の数を減らすための仮設住宅の建設はこうすれば早まる(はずだ)という案を出して初めて解決策を提示したことになるでしょう?
  福島第一原発の事故はこうすれば収束させることができるという具体案をまったく出さなくとも、首相を代えさえすればすべて解決する?
  菅首相を退陣させて、民主党内で党首選挙をやって、組閣をすませて、新閣僚にそれぞれの役割を与えてその内容を把握させて、対応のための組織を作り直して、自治体や東京電力原子力安全・保安院などから新たに情報を集めて…、そのあとで、さて、何をどうやったらいいかを考え始める?
  「冗談でしょう?」というのはこういう無責任で愚かな考えに出合ったときなどに使う言葉だと思います。
  どこにそんなふうに呑気に使える時間があります?
  自民党公明党、その他の野党と民主党の小沢氏一派の政治家たちに、国民は尋ねるべきです。「あなたたちの解決策は何ですか?」
  そのあとに何をどうするかの案がないまま、菅首相を辞任に追い込もうというのも、与野党間に大連立を成立させようというのも、いずれも、解決策ではありません。同様に、何とかなるかもしれないから、とにかく原発事故を収束させるために“決死隊”を現場に送り込め、というのもそうです。そういうのは、どれも、ただの方法・手段の一つでしかありません。
  菅降ろしに精力の大半を使っている人たちは、自分たちの利得だけに目を向けて、その方法・手段がああだこうだと不毛な議論をつづけ、国会で使うべき多くの時間を浪費してきたのです。有効だと思われる、被災者のためになる具体的な解決策はただの一つも示さないまま。
  なんと無責任な人間たちなのでしょう!
  リッチモンド市警察の標語を新たに決めるためには、まずそのための作業部会を警察内に設けるべきだ、だとか、外部の広告代理店を雇うべきだ、だとかいうのは、あくまでも標語を決めるための方法・手段に関する議論であって、解決策=新標語案の提示ではないでしょう?
  首相を代えようというのも同じです。
  首相を代えれば何もかもが解決する、というように主張するこれらの政治家に国民は求めるべきです。この国難から被災者と国民を救うために使うべきだった貴重な国会の時間を、自己を利するためだけの不毛な手段論議に明け暮れて無駄にしたのだから、その時間分に相当する給料・諸手当を国民に返還しなさい、と。被災地に寄付しなさい、と。そうしないと、あなたたちはすべて税金泥棒です。そう呼ばれたくなかったら、何より先に、あなたたちの解決策をそれぞれに示しなさい、と。解決策を持っていないのだったら、とりあえずは、政府がいま行っていること、行おうとしていることを手助けしなさい、と。
  菅首相の退陣・辞任を求めるだけの政治家たちが“改革請負人”ハンマー警察本部長の部下だったら、自らの“責任”をちゃんと果たそうとしていないとして、すぐにも降格させられていることでしょう。…解雇は免れたにしても。