NHKの「ジョシ虐待」がますますひどくなっています。
助詞、いわゆる「テニヲハ」を省略することでNHKは、日本語を貧しくしつづけています。そのNHKに倣って助詞を省いた形で思考する日本人の頭脳を限りなく劣化させています(いえ、実は「ジョシの虐待」に限らず、NHKは日本語から血肉を削ぎ落とすことで、日本人の思考力を限りなく低下させつづけていうのですが…)。
たとえば。「この問題 解決 いつになるでしょうか」というような言い方をNHKのアナウンサーがすることはしょっちゅうです。しかし、これでは「この問題は解決がいつになるでしょうか」と言いたいのか「この問題の解決はいつになるでしょうか」と言いたいのかが分かりません。言っているNHKにとっては「どちらでもいいこと」なのかもしれませんが、どちらの言い方を選択するかという脳の動きを経ないですませることで、NHKはNHK自身と視聴者を愚か者にしているのです。
「会議は今月中、開かれます」では、厳密にいえば、その会議が<今月中にも>開かれるのか<今月中には>開かれるのか、または<今月中に>なのかが分かりません。<今月中にも>なら<もっと遅れることもあるかもしれないが、事が順調に進めば案外に早く…>というような意味が含まれます。<今月中には>なら<新たな展開がほかに何かあったにしても必ず…>という感じになります。<今月中に>なら、会議が開かれるのは今月に決まっていることになります。
助詞を使わないと、そのような微妙な違いを無視することになります。「ジョシ虐待」で日本語から表現の芳醇さを奪うことになるのです。その芳醇さに気づかなくなった分だけ、日本人は愚かになっていくのです。いえ、芳醇さだけではなく、論理性さえ失われます。
<XXさん 健康のため 減食です>というような表現もNHKは好んで行います。抽象名詞や形容詞に<です>をくっつけてすませるNHKの幼稚な言語感覚にはここでは触れないで、<健康のため>だけについて考えましょう。
上の例とおなじように、<健康のため>で放り出したのではそれが<健康のためにも>なのか<健康のためには>なのか、それとも<健康のために>なのかの区別がつきません。<健康のためにも>なら<ほかにも(たとえば金銭的な)理由があるが>というような意味合いが加わりますし、<健康のためには>なら<理由はいろいろ考えられるかもしれないが、とにかく…>という思いが伝わってきます。<健康のために>なら、ほかの理由はないことになります。<健康のため>で終わっていては、このような違いがすべて無視されることになってしまいます。
受信料という名の事実上の“税金”を国民に払わせているNHKには「ジョシ」をもっともっと大事に扱う義務があります。正しい日本語の使い方を守る責任があります。
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ほかにも…。
たとえば「東京 行ったの?」で省略されいると考えられる助詞は(関東に出張したと聞いたけど…)「東京は行ったの?」「東京には行ったの?」「東京にも行ったの?」「東京に行ったの?」などと、いくつもあります。<は><には><にも><に>のうちのどれを選ぶかで意味合いは異なります。NHKは厳密に、そのうちの一つを選ばなければなりません。選ぶことで日本語の微妙な使い方の違いを後代に伝えなければなりません。NHKが国民を先導して日本語を貧しくするようなことはあってはなりません。