第184回 予算委員会では予算審議を

  毎日新聞が社説にこう書いていました(「来年度予算 困難から逃げぬ政治を」2010年12月25日)。
  <予算案は来年1月召集の通常国会で議論される。予算委員会は本来、予算を熟議する場だ。財政の正常化につながるような、生産的な議論を強く願う。2011年を、日本の政治家もついに目覚めたか、と国民に評価される年にしてほしい>
  大新聞がその社説でこれほどまっとうな“正論”を述べるのは珍しいことです。<予算委員会は本来、予算を熟議する場だ>
  ですが<目覚め>た方がいいのは<政治家>だけではありません。新聞社、いえ、報道機関全体が頭を切り替えるべきときなのです、いまは。予算委員会に<生産的な議論を強く願う>と言う程度では十分ではありません。
  <生産的な議論>が行われないのはなぜかについて考えてみてれば“なぜか”が分かります。
  日本の国会予算委員会は、予算を審議するというよりは、政府と与党を野党側やりこめるための場に成り果てています。なのに、報道機関は本気で「党利党略を最優先させることだけに囚われて、国民生活を左右する予算の審議を野党側が拒否するというのは、国民に対する国会と議員の義務を放棄するものであり、はなはだ無責任な行為だ」と明言したことがありません。
  予算を、つまりは国民生活を、いわば、人質に取っての、野党側によるはなはだ利己的な政治行動なのに?
  意図されていた予算が成立しないことで国民生活にどのような悪影響が及ぼうとも野党側がまったく気にしていないというのに?
  報道機関は何の異議も申し立てません。
  予算委員会では伝統的にそうしてきたのだという怠惰な認識を、報道機関は国会議員たちと共有しています。
  政府、与党あるいは議員に過失があれば、それを正そうと野党側がするのは、当然のことです。ですが、それを糾弾する場が予算委員会だというのは、予算審議の重要さを考えれば、そもそもおかしいのではないか、というごく当たり前のことを報道機関は声にしません。
  すでに存在している懲罰委員会でそれを行うのが不都合であれば、新たな常任委員会を設けてでも、予算委員会での予算審議時間を、国民のために確保すべきだ、と報道機関はなぜ主張しないのでしょうか?
  政治家や政党とおなじように、報道機関も国民に目を向けていないからだ、としか考えられません。
  ブランド物の服を着た女性大臣が国会内で写真撮影を行ったことで、なぜ予算院議を止めてまで、自己顕示欲が強いだけの女性議員に貴重な時間を分け与えなければならないのでしょう?そんなことをばかげていると思わない報道機関というのはいったい何のために存在しているのでしょうか?
  中国の漁船が日本の海上保安庁の船に衝突してきたところが写っているだけの、つまりは、<何があったにしろ、尖閣諸島(釣魚島)は中国領だ>と言い張る中国政府との話し合い=折衝に関しては実質的には何の価値も意味もないヴィデオがインターネット上に洩れたというだけのことで予算委員会が何日間もほとんど麻痺してしまう事態をすこぶる異常なことだとは感じずに、国を挙げての、無分別な大騒ぎの旗振りをするだけだった報道機関は、自らの国民への責任をどう感じているのでしょう?
  自衛隊は(他のどの国の軍隊もそうであるように)暴力装置であるという、世界が共有しているはずの認識を披瀝したにすぎない官房長官に対する問責決議を行おうと、またまた、予算審議を止めた野党の尻を押すしかできなかった報道機関の知性=知力はどうなっているのでしょう?この官房長官発言を根拠にして、年明けに開かれるはずの通常国会での審議も拒否すると主張している野党側を諌めようとしない報道機関は、やはり、野党側に負けないぐらい愚かなのでしょうね?
  当初は「国会軽視と見られる発言」と報じていた法務大臣の身内での戯言を、いつの間にか「国会軽視発言」と決めつけることにして、野党側が演じた空騒ぎをあおりまくった報道機関にはもう矜持や誇りというものがないのでしょうか?
  報道機関よ、目を覚ましなさい。
  予算委員会では予算の審議をきちんとやりなさいと、当たり前のことを日本の報道機関は声高に、強い調子で主張するべきです。
  日本をいま以上に悪くしないために、報道機関は自らの報道、論説に何が欠けているかをちゃんと見つめ直すべきです。
  利己的な政治目的を遂げるために、国民のための予算審議を拒否するというような、日本を悪くするだけの動きに報道機関は加担してはなりません。まして、先頭に立って悪くするような愚かなことをすべきではありません。
  物がちゃんと考えられない人間に国民をしてしまうような、筋が通らない記事や論説を書いてはなりません。
  <2011年を、日本の政治家もついに目覚めたか、と国民に評価される年にしてほしい>という程度の、他人事の提言では日本の状況は決して良くなりません。政治家を目覚めさせたければ、同時に、報道機関自身が目覚めなければなりません。