第118回 外国人の年齢を言い当てるのは……

  メトロマニラを一人でぶらつく外国人、特に日本人(だと思える男)はあまり見かけないせいか、デパートの販売員やレストランのウェイターなどにいろいろ尋ねられることがあります。
  たいていは<どこの国の人間だ?>から始まって、<フィリピンで何をしているのだ?=仕事は何だ?=何かビジネスをやっているのか?>とつづきます。<日本人だ><もうリタイアーしているのだ=仕事やビジネスとは縁がない>などと答えると、次には、ほとんどのフィリピン人が<いま何歳なのだ?>と尋ねてきます。
  どうやら、フィリピン人は一般に、他人に対する好奇心が旺盛なようです。<家族はいるのか?=結婚しているのか?=フィリピン女性と結婚しているのか?>などとたたみかけてくる人も少なくありません。

  で、年齢についていえば…。
  多くの場合は、こちらからXX歳(いまは63歳)だと答えることにしていますが、たまには、相手を見て<当ててみたらどうだ>と言うこともあります。
  彼らは(カリフォルニアのアメリカ人の知人・友人たちのほとんどがそうだったように)わたしの年齢をだいたいは10歳ほど若く推量します(実際の年齢よりも17歳も若くみたマクドナルドの警備員もいました)。
  わたしが特に若く見えるのか、日本人がみなそう見えるのかを彼らにきいたことはありませんが、わたしの目には、フィリピン人は(その生活の苦しさがそうさせるのでしょうが、多くの人が)同年齢の日本人よりは老けて見えますから、後者である可能性が高いかもしれません。

  さて、<日本人が若く見える>という話になると必ずといっていいほどよく思い出してしまうエピソードがあります。

  1981年。わたしはカリフォルニア州、オレンジ郡の小さな町、サンクレメンテに(まだ離婚していなかった妻と)住んでいました。そこに、兄の会社関係の知人(女性。26歳)がシカゴ(だったと記憶しています)にいる友人に会いに行く途中、立ち寄ることになりました。おなじオレンジ郡にあるディズニーランドなどを訪れてみたいという希望でした。
  
  その女性が到着した夜、わたしたち夫婦は彼女と(町で一番の!)レストランで食事をとることにしました。
  レストランでテイブルにつくと…。
  50歳代と思われる男性の給仕長が、この女性に興味を抱いたようで、大きな笑顔で話しかけてきました。彼女は英語が話せませんでしたので、実際にはわたしたち夫婦が対応したのですが、<この人はきょう日本からきたばかりだ>と彼女を紹介すると、給仕長はにっこり笑って<よく来たね(Welcome to the States)!>と言いながら、ナント、彼女の頭を優しげになでたのです。
  <おかしなことをする人だ><いくら歓迎の気持ちを伝えたかったからといって、客の頭をなでるというのは普通じゃないな>という思いが消えないうちに、この給仕長は、今度は、通りすがりに彼女にキャンディー(のようなもの)を手渡して<あとで食べなさい>というようにウィンクして見せました。
  自宅に戻ってからもまだ<(どうみてもフレンドリーすぎる)あんな男性を給仕長にしていて、あのレストランはもつのかな>という思いが残っていました。給仕長が彼女に、あんなふうな、過度に親しげな態度を取ったわけが分かりませんでした。

  翌々日、わたしたち夫婦は彼女をロサンジェルス空港まで送っていきました。シカゴへはノースウエストの便で飛ぶことになっていたと思います。
  そのチェックイン・カウンターには3人で行きました。が、飛行機に乗るのは彼女だけです。彼女が航空券や身分証明書(パスポート)などを差し出すと、係の30歳代の(白人の)男性が<彼女が一人でいくのか?>とわたしに尋ねました。なぜか訝しそうな、不機嫌な表情をしていました。<そうだ>と答えると、係員は<一人で、というが、12歳以上でないと、一人で乗ることはできないのだ。彼女は12歳以上か?>と言ってきました。

  あんなに意外な=思いがけないことを問われたことはあれ以前には一度もなかったかもしれません。

  係員は彼女のパスポートを先に見ていればそんな心配はしなくてよかったのですが、とにかく、彼女の“見た目”にマドワセラレタのですね。…ええ、たしかに、彼女は26歳ではありましたが、身長は、たぶん、150センティメーターに届かないぐらいで、日本人としてもかなり小作りだったのです。若く見られてもしかたがない、というところは、まあ、あったわけです。
  …しかし、26歳を12歳以下ではないかと疑うというのは!この係員は“人を見る目”があまりにもなさすぎるのではないか!

  そのときでした、<ああ!>と思ったのは。

  <サンクレメンテのレストランの、あの給仕長にも、彼女は12歳以下に見えていたんだ!><だから、幼い子がよく一人でカリフォルニアまでやって来たね、というふに彼女の頭をなでたりしたんだ!>
  合点がいきました。

  あれから28年…。
  26歳のオトナの女性が12歳以下に見られるというのは、この女性にとってはあまり誇らしいことではなかったでしょうから、彼女自身はこの“事件”のことをもう忘れ去っているかもしれませんが、あのあと、だれかが<若く見える>という話になるとわたしは、ほとんど決まって、あのときの二つの出来事を思い出します。

  待てよ。ああ、そうか…。
  ここフィリピンで多くの人びとがわたしの年齢を尋ねるのは、外国(他民族)の人間の年齢を正しく推量するのは案外に難しいものなのだという(スペイン、アメリカ、日本につづけて植民地化された)過去の経験に基づいた知恵が彼らにはあるからなのかもしれませんね。
  たんに外国人への好奇心から、というのではなくて…。

  それに、社会と家族のつながりがそれぞれ密で、目上−目下、年上−年下という意識がいまでも濃いフィリピンですから、相手の年齢を正しく知るというのは、そんな意識が薄れたいまの日本人には想像できないぐらい重要なことなのかもしれませんね。

  異なる文化には、やはり、異なる“人の見え方”があるのですね。
  いや、いや、いくつになっても新たに気づくこと、学ぶことはあるものなのですね。